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JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 20

2018-02-23 | JFK暗殺事件について
 なお、オズワルドの第一の銃弾が再度跳弾したというメイン通りの縁石は、証拠写真によれば次のようなものである。




※縁石での跳弾の痕跡が、このように丁寧に切り出されてまで保存されているのと比べると、保全どころか調査すらされなかった樫の木の扱いは、ますます不可解である。 

 これは、縁石表面のごく小さく浅い痕跡に過ぎない。しかしオズワルドを巡る怪しげな諸々の「証拠」と比べれば、負傷した観衆の存在という紛れもない事実と結び付いた、リアルという意味ではるかに確実な証拠物件であり、事件の真相追及を現実と結びつける貴重なカギの一つなのだ。

 まとめると、オズワルドによる第一の銃撃における弾道の中途での屈折は、合理的な説明が不可能であることから、この時点で公式説は明らかに破綻している。それは「三発の銃弾」といういわば初期設定と「傷ついた観衆」という結果の、両者の矛盾を無理矢理合わすためのフィクションである。そう断定して差し支えないだろう。
 これまでほとんど注目されてこなかったこの第一の銃弾を少し検討しただけでも、事実を強引に曲げ、あくまでオズワルドを単独犯に仕立て上げようとした、何者かの存在は確実である。

 映画「JFK」が勇気をもって描き出した陰謀の構図を、根拠不明確の単なる陰謀論にとどめないためには、オズワルド単独犯行説の虚構性という事実確認がまず必要だと見える。どれほど説得力を持つ真相追及の試みも、その点を確実にした上でなければ、最も基礎的な一点でリアリティを欠いたものとなってしまうからだ。

 「陰謀論」という言葉には「オカルトじみた非現実的なものの見方」とのニュアンスが濃厚で、このケネディ大統領暗殺事件に関する陰謀説もまた、そうした病的で怪しげなものと一括りにされ、語られてきている。「陰謀? そんなものは愚かで幼稚な妄想にすぎない」というわけだ。
 実際、ネットを少し見ただけでも、この事件の記事にはそうした低劣なレベルのものが多い。そうした事情は米日とも変わりはないようだ。陰謀には妄想的な心性を惹き付けるある種の誘因があるのだと見える。

 しかし、この事件に隠されているのは間違いなく、正真正銘の陰謀である。
 少なくとも、オズワルド単独犯行説を隠れ蓑にした何らかの陰謀が存在したことだけは確実であり、それは以上のように視覚的記録によって誰もが端的に確認できるという意味で「事実」にほかならない。

 しかし、視覚的記録によって陰謀の存在がさらに決定的なのは、次のオズワルドの第二の銃弾である。これについては多くを指摘する必要はあるまい。簡単に見ていこう。

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