このコナリー知事の被弾の直後、227コマ目で一瞬映像がブレたあとで、今度は大統領がのけぞりながら両腕を肩のレベルまで水平に高くあげ、激しく苦悶し始める様子が映し出されている。
※第226コマ目
※第227コマ目
※第228コマ目
オズワルドの第二の銃弾による「一発説」では、大統領はその姿が交通標識に隠れている間に被弾し、背中側から頚部を貫通しコナリー知事をも貫通した、とされている。
しかしこの「一発説」が百パーセントあり得ず、実際には大統領の背部の被弾が肩の下の辺りの背骨付近で、しかも非貫通の銃創だったとすれば、銃弾の出口とされた喉仏の下の銃創はいったい何だったのか。
その答えがこの227コマ目の瞬間である。
これこそ、大統領が前方からのまた一つの銃弾によって喉元に被弾した瞬間だと見られる。その後の彼の激しくのけぞる動作と、この瞬間から始まる両手を喉元まで高く持っていく動作は、前方からの衝撃を現しているものと考えるのが、どう見ても自然だ。
※第231コマ目
この227コマ目における前方からの喉元への被弾とは、管見の限りこれまで見落とされてきたものであるようだ。
これは単なる想像ではない。繰り返すが、オズワルドの第二の銃弾が否定された以上、背部に当たったものとは別の、前方から発射された喉元への銃弾が存在しなければならない。
だとすれば、映像はどこかで喉元への被弾を捉えているはずであり、どのコマにもそうした瞬間は見られない以上は、それはこの瞬間だと考えるのが最も妥当である。
しかしわずかの間、交通標識の向こうにリムジンが隠れてしまってもいる。この間の喉元への被弾の可能性はどうだろうか。
看板の向こうに再び姿を現した時点で、すでに大統領が手を喉元近くの高さまで挙げ被弾の兆候を示していることは先に取り上げたが、コマ送りで動作を見ると、問題の227コマ目以降の激しい反応とは明らかに様子が異なって見える。
これ以前の大統領の異常の兆候とは、背部高い位置に最初の銃弾を受けたことによるものだと考えられる。それは、背部に被弾したと考えられる看板に隠れる直前、205コマ目あたりからこの227コマ目の直前までの動作や姿勢が、実際に連続しているように見えることが裏付けている。
※205コマ目 看板に隠れる直前、それまで右手を上げながら進行方向右側の観衆のほうに顔を向け歓呼に応えていた大統領が、右手はそのまま、ここで急に前方に顔を向けている。沿道の観衆は途切れておらず、異常の兆候を現している。
※226コマ目 前を向いたまま右手を胸の高い位置まで挙げている。205コマからここまで、大統領は同じ姿勢を保ったままでおり、頭部の向きも変わらない。挙げた手の動きも連続していると見える。
その前に受けた背部の浅い銃創ではなく、前方から頚部に負ったこの銃創こそ、部位から考えても致命傷となったのだと推測される。ここで急に始まる大統領の激しい動作と、そのすぐ後ぐったりとして夫人のほうに倒れ込んでゆく様子に連続性が読み取れる。
※第237コマ目 ライフルの銃弾が前方から喉に入り、しかも貫通せず体内にとどまったとすれば、銃弾のエネルギー全てを上体の高い位置で受け止めたことになる。227コマ目から0.5秒、激しく上体をのけぞらせた大統領のこの動きも当然である。
※第254コマ目 ぐったりと夫人のほうに倒れこんでゆく。
特に決定的なのは、事件直後に大統領の救命に当たった医師たちの証言であろう。
当日は現地時間の昼下がり12時30分に銃撃が発生した。瀕死の大統領は現場近くのパークランド記念病院に12時38分に運び込まれ、救命措置の末、死亡が確認されたのは13時ちょうどのことであった。
そして、早くも14時18分、救命措置と死亡確認に当たった医師たちが記者会見を開いている。記者会見はホワイトハウスのスタッフが設定したものである。
彼らはそこで、喉元の傷がライフル弾の小口径に一致するきれいな形状の穴であり、射入孔つまり前方からの射撃による銃創であったと、一致して証言している。
ここでわざわざ時間を記したのは、この医師たちこそ大統領の傷の状態を最も早い時期に確認した人物であり、しかも発言自体が死亡確認後わずか1時間18分後に行われ、それが広く報道されていることの重要性を強調するためである。
証言の重要さには、証言者と証言対象との間の、距離的及び時間的な近接性の二つの要素が決定的なのは言うまでもない。それはわれわれの記憶力を考えても当然だ。前日のことさえ思い出すのに苦労することさえあるのだから。
事件後1ヶ月以上してから行われたウォーレン委員会における証人の証言などとは、時間的近接性において比べものにならない重要性が、この医師たちの証言にはある。たとえ大統領特命調査委員会としてどれほど権威筋の人間が名を連ねていようと、そんなことは今となっては関係ない。彼らはたった今見たものを語っているのだ。
ところでこの事件では、肝心の大統領の遺体に関する疑惑が尽きない状況にある。
地元の州の責任で検死するとの州法を無視し、早くも14時過ぎには遺体は手荒に病院から運び出され、その後二千キロ以上離れたワシントンのベセスダ海軍病院にて、20時過ぎから検視が実施された。
問題は、ベセスダでの正規の検視結果とされるものが、パークランド病院で死亡確認した医師の証言と、大統領の傷の位置やその方向という基本的事実の点で、大幅に食い違っていることである。
※第226コマ目
※第227コマ目
※第228コマ目
オズワルドの第二の銃弾による「一発説」では、大統領はその姿が交通標識に隠れている間に被弾し、背中側から頚部を貫通しコナリー知事をも貫通した、とされている。
しかしこの「一発説」が百パーセントあり得ず、実際には大統領の背部の被弾が肩の下の辺りの背骨付近で、しかも非貫通の銃創だったとすれば、銃弾の出口とされた喉仏の下の銃創はいったい何だったのか。
その答えがこの227コマ目の瞬間である。
これこそ、大統領が前方からのまた一つの銃弾によって喉元に被弾した瞬間だと見られる。その後の彼の激しくのけぞる動作と、この瞬間から始まる両手を喉元まで高く持っていく動作は、前方からの衝撃を現しているものと考えるのが、どう見ても自然だ。
※第231コマ目
この227コマ目における前方からの喉元への被弾とは、管見の限りこれまで見落とされてきたものであるようだ。
これは単なる想像ではない。繰り返すが、オズワルドの第二の銃弾が否定された以上、背部に当たったものとは別の、前方から発射された喉元への銃弾が存在しなければならない。
だとすれば、映像はどこかで喉元への被弾を捉えているはずであり、どのコマにもそうした瞬間は見られない以上は、それはこの瞬間だと考えるのが最も妥当である。
しかしわずかの間、交通標識の向こうにリムジンが隠れてしまってもいる。この間の喉元への被弾の可能性はどうだろうか。
看板の向こうに再び姿を現した時点で、すでに大統領が手を喉元近くの高さまで挙げ被弾の兆候を示していることは先に取り上げたが、コマ送りで動作を見ると、問題の227コマ目以降の激しい反応とは明らかに様子が異なって見える。
これ以前の大統領の異常の兆候とは、背部高い位置に最初の銃弾を受けたことによるものだと考えられる。それは、背部に被弾したと考えられる看板に隠れる直前、205コマ目あたりからこの227コマ目の直前までの動作や姿勢が、実際に連続しているように見えることが裏付けている。
※205コマ目 看板に隠れる直前、それまで右手を上げながら進行方向右側の観衆のほうに顔を向け歓呼に応えていた大統領が、右手はそのまま、ここで急に前方に顔を向けている。沿道の観衆は途切れておらず、異常の兆候を現している。
※226コマ目 前を向いたまま右手を胸の高い位置まで挙げている。205コマからここまで、大統領は同じ姿勢を保ったままでおり、頭部の向きも変わらない。挙げた手の動きも連続していると見える。
その前に受けた背部の浅い銃創ではなく、前方から頚部に負ったこの銃創こそ、部位から考えても致命傷となったのだと推測される。ここで急に始まる大統領の激しい動作と、そのすぐ後ぐったりとして夫人のほうに倒れ込んでゆく様子に連続性が読み取れる。
※第237コマ目 ライフルの銃弾が前方から喉に入り、しかも貫通せず体内にとどまったとすれば、銃弾のエネルギー全てを上体の高い位置で受け止めたことになる。227コマ目から0.5秒、激しく上体をのけぞらせた大統領のこの動きも当然である。
※第254コマ目 ぐったりと夫人のほうに倒れこんでゆく。
特に決定的なのは、事件直後に大統領の救命に当たった医師たちの証言であろう。
当日は現地時間の昼下がり12時30分に銃撃が発生した。瀕死の大統領は現場近くのパークランド記念病院に12時38分に運び込まれ、救命措置の末、死亡が確認されたのは13時ちょうどのことであった。
そして、早くも14時18分、救命措置と死亡確認に当たった医師たちが記者会見を開いている。記者会見はホワイトハウスのスタッフが設定したものである。
彼らはそこで、喉元の傷がライフル弾の小口径に一致するきれいな形状の穴であり、射入孔つまり前方からの射撃による銃創であったと、一致して証言している。
ここでわざわざ時間を記したのは、この医師たちこそ大統領の傷の状態を最も早い時期に確認した人物であり、しかも発言自体が死亡確認後わずか1時間18分後に行われ、それが広く報道されていることの重要性を強調するためである。
証言の重要さには、証言者と証言対象との間の、距離的及び時間的な近接性の二つの要素が決定的なのは言うまでもない。それはわれわれの記憶力を考えても当然だ。前日のことさえ思い出すのに苦労することさえあるのだから。
事件後1ヶ月以上してから行われたウォーレン委員会における証人の証言などとは、時間的近接性において比べものにならない重要性が、この医師たちの証言にはある。たとえ大統領特命調査委員会としてどれほど権威筋の人間が名を連ねていようと、そんなことは今となっては関係ない。彼らはたった今見たものを語っているのだ。
ところでこの事件では、肝心の大統領の遺体に関する疑惑が尽きない状況にある。
地元の州の責任で検死するとの州法を無視し、早くも14時過ぎには遺体は手荒に病院から運び出され、その後二千キロ以上離れたワシントンのベセスダ海軍病院にて、20時過ぎから検視が実施された。
問題は、ベセスダでの正規の検視結果とされるものが、パークランド病院で死亡確認した医師の証言と、大統領の傷の位置やその方向という基本的事実の点で、大幅に食い違っていることである。
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