ところで、リフトンの著作でとりわけ印象的な記述は、ベスト・エビデンスたる「遺体の公式の検視所見」を最重視する法律関係者との、あたかも神学問答のようなやり取りであろう。普通に考えれば「最有力の証拠」としか言いようがないパークランドの医師たちの証言がなぜこれまで無視されてきたのか、その理由を示しており興味深いので紹介したい。
リフトンは、ウォーレン委員会の有力なスタッフであった弁護士W・リーベラーと直接親交を持ち、彼との議論のやり取りが本書の重要なベースとなっている。
これまで書いてきたところからすれば、ウォーレン委員会とは陰謀隠蔽の伏魔殿のようなイメージを受けかねないが、本書で登場するリーベラーは議論に開かれた闊達な人物であり、ウォーレン委員会の結論を疑い徹底的に議論しようと吹っ掛けてくるリフトンとのやり取りに誠実に答えている。ただし、法律家としてウォーレン委員会の調査結果を確信している点では最後まで揺らいでいない。それはなぜなのか。
リフトンが当初考えていたように調査に当たった法学者は陰謀の隠蔽を画策したのではなく、法律家的思考に沿って自然・当然にそのように思考していたのだと見方を改めたことを、同書は印象的に記している。
これは極めて重要な洞察だと思われるので引用したい。
リーベラーはその時期にUCLA法科大学院の教授を務めていたが、そこでリフトンはリーベラーのクラスの大学院生たちと全くかみ合わない議論を続けた。その体験は彼に苦痛とともに、ある種の事件のヒントとなる強い印象を与えたらしい。
彼ら法学生たちは大学で教わっているとおり、ベセスダ海軍病院での検視に反するあらゆる証拠、例えばザプルーダー・フィルムにおいて前方からの射撃を明示する決定的な動きが映っていようと、とりあわず問題ともしなかった。物理法則と裁判での事実認定のルールは別物である。彼らはウォーレン委員会の実務者であった法律関係者の思考方法のひな形を示していたのである。
フィルム上の明らかな大統領の動きをもとに前方発射説を主張する若きリフトンが直面したのは、検視結果という「最有力の証拠」を核心に後方発射説というストーリーを構築し、それ以外の可能性を排除する独特な法律家的思考による冷笑と無視であった。
彼らにとっては陪審員に対し最大の説得力を持つもの、それが事実なのである。たとえそのストーリーに相容れない視覚的証拠があったとしても、そんなものは素人臭い陰謀論の見せる錯覚に過ぎない、との軽蔑のこもった扱いを受けたのである。
理系の専門教育を受けてきたリフトンの、この物理法則に反する法律家的思考への強烈な違和感こそ、その後十数年、本来の工学の道を放棄してこの遺体の問題にのめり込んだきっかけだったと彼は語っている。
米国の裁判システムでは、なによりベスト・エビデンスが白黒を決するといういわば「決断主義」が根底にあるらしい。
リフトンが明らかにしたところでは、この事件ではまず事件後わずか1時間余りで最有力の証拠=遺体が押さえられ、ベセスダで検視が実施されるまでの過程で変造が加えられた。そしてそれをもとにした検視結果が公式のものとして確定されてしまった。
この事件における知られざる遺体変造とは、この法律家的思考を熟知する者の当初からの計画であったに違いない、というのがリフトンの結論である。
その当否を述べるのがここでの目的ではない。ぜひそれぞれに同書を読んでご判断いただきたい。
大統領の喉の傷が前後どちらからの銃弾によるものだったかの問題に関して、リフトンは結局「一時的な医師の意見よりも、法的には決定的となる検視結果が出されている以上、確たることは言えないことがわかった」と結論し、以降、とくに頭部の傷に関する遺体変造の闇を抉っていく。
しかし、当時の米国における法律的事実認定の思考様式どうあれ、その「事実」なるものは明らかに誤っているとしか言いようがない。
いずれにせよ、大統領の遺体に関して決定的に重要なのは、「事実」が変更されてしまう(少なくも、その可能性が生じる)前の段階の、このパークランド病院における証言なのである。この最有力の証言と合わせ、ザプルーダー映像を見直すことによって、今や事実を再度確定することができるのだと思う。
繰り返すと、大統領の喉の傷を最初に、しかも原形のままで直接見たのは彼らパークランドの医師たちをおいて他になく、前方からの銃撃を示す所見をこの事件でも最も早い段階、死亡確認後わずかの時間のうちに世間に公表している。なおかつ、銃創に関して経験豊かな専門家集団が一致して同じ証言をしており、民間の医師としてこの暗殺に陰謀が存在したとしてもそれに無関係であるのは疑い無い。
すなわち、空間的・時間的近接性、専門的資格、そして中立性という、証言の証拠能力を決定する四つの点で、その重要性はきわめて大きい。
ところで、ウォーレン報告書では医師たちが背部側の傷を確認していないことをもって、パークランドの医師たちの所見が不備だった、つまり信用性が薄いとしている。しかしこれはいわれなき非難であろう。
大統領の公式の死亡確認は13時ちょうどであった。そして早くも14時過ぎには大統領の遺体はエアフォース・ワンに向け運び出されており、この間の乱闘騒ぎも含む騒動は映画「パークランド」でも描かれていたとおりである。
※映画「パークランド」より 結局、この映画は何を語りたかったのだろうか。JFK暗殺事件の神話化…90年代の「JFK」から20年を経て、米国映画が劣化したのを皮肉にも物語っている。
救命措置の後のこの1時間程度の間に、彼らが遺体を探索する余裕がなかったのは、むしろ当然である。加えて、彼ら外科医の使命は何よりまず救命措置であり、死亡後のことは彼らの仕事ではない。検視は別の医師が担当することになっていた以上、遺体に手をつけないのこそ正しい態度であったのだ。
(蛇足だが、この映画「パークランド」(2013年)は単に駄作であるばかりか、公式説に沿ったプロパガンダの趣きが濃厚な、強い違和感を覚える映画である。ケネディ大統領の救命現場という題材を中心に据えながら、上述の銃創の問題などは一切語られことなく、オズワルド単独犯行説を前提に、あたかも事件の神話化を図るかのような描き方がなされている。しかしだからこそ、病院の様子はリアルに描かれていた。見るべきはせいぜいその点だけである。)
リフトンは、ウォーレン委員会の有力なスタッフであった弁護士W・リーベラーと直接親交を持ち、彼との議論のやり取りが本書の重要なベースとなっている。
これまで書いてきたところからすれば、ウォーレン委員会とは陰謀隠蔽の伏魔殿のようなイメージを受けかねないが、本書で登場するリーベラーは議論に開かれた闊達な人物であり、ウォーレン委員会の結論を疑い徹底的に議論しようと吹っ掛けてくるリフトンとのやり取りに誠実に答えている。ただし、法律家としてウォーレン委員会の調査結果を確信している点では最後まで揺らいでいない。それはなぜなのか。
リフトンが当初考えていたように調査に当たった法学者は陰謀の隠蔽を画策したのではなく、法律家的思考に沿って自然・当然にそのように思考していたのだと見方を改めたことを、同書は印象的に記している。
これは極めて重要な洞察だと思われるので引用したい。
リーベラーはヒュームズ中佐の証言は絶対的なものだと強調した。ヒュームズの証言はザプルーダーのフィルムなどよりもずっと有力な価値のある証拠なのだ。あるいは私がいろいろと持ち出したものよりもずっと上等な証拠だ。そう、これこそ正に、「最善の証拠」なのだ。ヒュームズの結論は、ニュートンの法則に反しているというくらいでは無視するわけにはいかないほど重要な証拠なのだ。
…
我々の議論の結果、論点は明確に絞られてきたのだ。それらはあくまで、ひとりの海軍士官の遺体検査は信じられるか、だった。検視そのものとその報告書と、そしてその士官がウォーレン委員会でした証言とは、本当に信じられるのか?
(『ベスト・エヴィデンス』邦訳、154~155頁)
…
我々の議論の結果、論点は明確に絞られてきたのだ。それらはあくまで、ひとりの海軍士官の遺体検査は信じられるか、だった。検視そのものとその報告書と、そしてその士官がウォーレン委員会でした証言とは、本当に信じられるのか?
(『ベスト・エヴィデンス』邦訳、154~155頁)
リーベラーはその時期にUCLA法科大学院の教授を務めていたが、そこでリフトンはリーベラーのクラスの大学院生たちと全くかみ合わない議論を続けた。その体験は彼に苦痛とともに、ある種の事件のヒントとなる強い印象を与えたらしい。
彼ら法学生たちは大学で教わっているとおり、ベセスダ海軍病院での検視に反するあらゆる証拠、例えばザプルーダー・フィルムにおいて前方からの射撃を明示する決定的な動きが映っていようと、とりあわず問題ともしなかった。物理法則と裁判での事実認定のルールは別物である。彼らはウォーレン委員会の実務者であった法律関係者の思考方法のひな形を示していたのである。
〔ザプルーダー・フィルムなどが証明している事実について〕いいや、そうではない。これが学生たちの答えだ。
リーベラーと同じく、学生たちは検視報告書を全面的に受け入れていた。検視報告書こそが「動かしがたい証拠」であり、「最善の証拠」であり、ケネディを撃った回数や方向などを示す唯一の価値ある証拠なのだ。
…学生たちと議論してその言い分を注意して聞いていくうちに、私は次のことに気づいた。つまり、ウォーレン委員会が集めた証拠を委員会流に判断する限り、委員会が下した結論に到達するのは実に訳ないことで、組織的な陰謀など全く必要としないのだ。ただ、弁護士がいればそれで十分だったのだ。
…
この頃(1966年)は、委員会の結論は単に間違っているだけでなく、委員会のスタッフたちが巧妙に何らかの隠蔽工作をしたと信じられていたからだ。
しかし、リーベラーのクラスに参加してみて初めて隠蔽工作など全く必要なかったのだと思うようになった。リーベラーの授業は正にウォーレン委員会のミニチュア版だった。
…
リーベラーの学生たちは単に成績を気にしていただけさとか、法律専攻の学生なんて政治的には保守的なのさと言ってこのことを片付けるのは容易だった。しかし、私はそれだけではないと思っていた。とくに狙撃状況の解釈ということになると、彼らがウォーレン委員会と全く同じように考えるということは、彼らの教育に何か関係があるのではないかと考えた。つまり、逆に考えれば、学生たちの考え方を理解すれば、ウォーレン委員会のスタッフを務めた弁護士たちが何を考え、どのように行動したのかを理解する鍵になるはずだった。
(同156~157頁)
リーベラーと同じく、学生たちは検視報告書を全面的に受け入れていた。検視報告書こそが「動かしがたい証拠」であり、「最善の証拠」であり、ケネディを撃った回数や方向などを示す唯一の価値ある証拠なのだ。
…学生たちと議論してその言い分を注意して聞いていくうちに、私は次のことに気づいた。つまり、ウォーレン委員会が集めた証拠を委員会流に判断する限り、委員会が下した結論に到達するのは実に訳ないことで、組織的な陰謀など全く必要としないのだ。ただ、弁護士がいればそれで十分だったのだ。
…
この頃(1966年)は、委員会の結論は単に間違っているだけでなく、委員会のスタッフたちが巧妙に何らかの隠蔽工作をしたと信じられていたからだ。
しかし、リーベラーのクラスに参加してみて初めて隠蔽工作など全く必要なかったのだと思うようになった。リーベラーの授業は正にウォーレン委員会のミニチュア版だった。
…
リーベラーの学生たちは単に成績を気にしていただけさとか、法律専攻の学生なんて政治的には保守的なのさと言ってこのことを片付けるのは容易だった。しかし、私はそれだけではないと思っていた。とくに狙撃状況の解釈ということになると、彼らがウォーレン委員会と全く同じように考えるということは、彼らの教育に何か関係があるのではないかと考えた。つまり、逆に考えれば、学生たちの考え方を理解すれば、ウォーレン委員会のスタッフを務めた弁護士たちが何を考え、どのように行動したのかを理解する鍵になるはずだった。
(同156~157頁)
フィルム上の明らかな大統領の動きをもとに前方発射説を主張する若きリフトンが直面したのは、検視結果という「最有力の証拠」を核心に後方発射説というストーリーを構築し、それ以外の可能性を排除する独特な法律家的思考による冷笑と無視であった。
彼らにとっては陪審員に対し最大の説得力を持つもの、それが事実なのである。たとえそのストーリーに相容れない視覚的証拠があったとしても、そんなものは素人臭い陰謀論の見せる錯覚に過ぎない、との軽蔑のこもった扱いを受けたのである。
理系の専門教育を受けてきたリフトンの、この物理法則に反する法律家的思考への強烈な違和感こそ、その後十数年、本来の工学の道を放棄してこの遺体の問題にのめり込んだきっかけだったと彼は語っている。
米国の裁判システムでは、なによりベスト・エビデンスが白黒を決するといういわば「決断主義」が根底にあるらしい。
リフトンが明らかにしたところでは、この事件ではまず事件後わずか1時間余りで最有力の証拠=遺体が押さえられ、ベセスダで検視が実施されるまでの過程で変造が加えられた。そしてそれをもとにした検視結果が公式のものとして確定されてしまった。
この事件における知られざる遺体変造とは、この法律家的思考を熟知する者の当初からの計画であったに違いない、というのがリフトンの結論である。
その当否を述べるのがここでの目的ではない。ぜひそれぞれに同書を読んでご判断いただきたい。
大統領の喉の傷が前後どちらからの銃弾によるものだったかの問題に関して、リフトンは結局「一時的な医師の意見よりも、法的には決定的となる検視結果が出されている以上、確たることは言えないことがわかった」と結論し、以降、とくに頭部の傷に関する遺体変造の闇を抉っていく。
しかし、当時の米国における法律的事実認定の思考様式どうあれ、その「事実」なるものは明らかに誤っているとしか言いようがない。
いずれにせよ、大統領の遺体に関して決定的に重要なのは、「事実」が変更されてしまう(少なくも、その可能性が生じる)前の段階の、このパークランド病院における証言なのである。この最有力の証言と合わせ、ザプルーダー映像を見直すことによって、今や事実を再度確定することができるのだと思う。
繰り返すと、大統領の喉の傷を最初に、しかも原形のままで直接見たのは彼らパークランドの医師たちをおいて他になく、前方からの銃撃を示す所見をこの事件でも最も早い段階、死亡確認後わずかの時間のうちに世間に公表している。なおかつ、銃創に関して経験豊かな専門家集団が一致して同じ証言をしており、民間の医師としてこの暗殺に陰謀が存在したとしてもそれに無関係であるのは疑い無い。
すなわち、空間的・時間的近接性、専門的資格、そして中立性という、証言の証拠能力を決定する四つの点で、その重要性はきわめて大きい。
ところで、ウォーレン報告書では医師たちが背部側の傷を確認していないことをもって、パークランドの医師たちの所見が不備だった、つまり信用性が薄いとしている。しかしこれはいわれなき非難であろう。
大統領の公式の死亡確認は13時ちょうどであった。そして早くも14時過ぎには大統領の遺体はエアフォース・ワンに向け運び出されており、この間の乱闘騒ぎも含む騒動は映画「パークランド」でも描かれていたとおりである。
※映画「パークランド」より 結局、この映画は何を語りたかったのだろうか。JFK暗殺事件の神話化…90年代の「JFK」から20年を経て、米国映画が劣化したのを皮肉にも物語っている。
救命措置の後のこの1時間程度の間に、彼らが遺体を探索する余裕がなかったのは、むしろ当然である。加えて、彼ら外科医の使命は何よりまず救命措置であり、死亡後のことは彼らの仕事ではない。検視は別の医師が担当することになっていた以上、遺体に手をつけないのこそ正しい態度であったのだ。
(蛇足だが、この映画「パークランド」(2013年)は単に駄作であるばかりか、公式説に沿ったプロパガンダの趣きが濃厚な、強い違和感を覚える映画である。ケネディ大統領の救命現場という題材を中心に据えながら、上述の銃創の問題などは一切語られことなく、オズワルド単独犯行説を前提に、あたかも事件の神話化を図るかのような描き方がなされている。しかしだからこそ、病院の様子はリアルに描かれていた。見るべきはせいぜいその点だけである。)
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