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特攻論:戦果/被害について 2

2007-10-20 | 「特攻」論
さて、前に書いたように悲惨なデータといいながら、なぜ殺害戦果というようなことをここであえてあげつらうかというと、なにより出撃した彼ら隊員が命を投げうって達成しようと強く願ったのは、その行動を冷静・虚心にとらえるなら「敵と刺し違える」という一事であったことはおそらく間違いないと思われるからです。
そしてそれがどの程度達成しえたのかを知ることは、単純に考えてもこのテーマに関する重要かつ不可欠な事実認識ということになるのではないでしょうか。

またもう一つには、本論を書く上でのモチーフとなっている、現行の通説としての「特攻隊=犠牲者・犬死論」に対する反駁の有力な論点として、事実という観点から決定的な説得力を持つのではないかということがあります。

ところで、海・陸軍あわせ約5000人とされている日本側の特攻戦死者については、それこそ一人ひとりの姓名に至るまで詳細に公表されていながら、なぜか当たれる限り日本人の著わしたどの資料を調べても、特攻戦実施全期間における、特攻機による米国側の人的被害総数はよくわからないままです。これは不思議なほどと思われる事実です。
これをお読みの方で、そういう資料をご存知でしたら、ぜひお教えいただけないでしょうか。

把握できた範囲では、沖縄戦直前の1944年3月半ばから8月の終戦までの、全特攻作戦のいわば後半期、米艦隊における戦死者は約5000人と算定されています。
これは通常攻撃を含めた数字ですが、しかし述べてきたとおり大戦末期のこの時期には通常攻撃ではほとんど戦果を期し難い状況だったことから、その大多数が特攻によるものであったことはおそらく間違いないと思われます。
さらに「総特攻」の方針の下、もはや通常攻撃と特攻の境界が不明確になっていた時期だったということがあります。

1944年10月のレイテ戦にはじまる特攻前半期の状況は不明なのですが、一説には以降の全期間を通じて、米国側では航空特攻によって7000人の人員が戦死したとされています。
比較的特攻効果の大きかったとされる前半期の状況を考えるとこれは決して過大な数字とはいえず、むしろ上記と考え合わせ妥当な線である可能性が高いと思われます。しかし出典が不明であり、確実ではありません。
(米ディスカバリー・チャンネルの番組、”Kamikaze in color”のナレーションより)

仮にそうであるとすると、航空特攻は硫黄島戦と並んで米側の被害が日本側の損害を上回った、大戦後期にほかに例のない作戦だったことになり、かつ単独の戦場との比較は難しいとはいうものの、その厖大な人的損害が米国の世論を動かした硫黄島戦をさらに上回る「戦果」であったことになります。

これをもって、よくありがちな「日本もがんばった。私たちは誇りを持つべきだ」という結論を導くことはできるし、たしかに私もそういう気持ちがあるのは否定できませんが、しかしそれが本論の目的ではないのです。またそれでとどまっていては単なる自己満足であり、危険だということもあります。

そうではなく、さらに進んで言いたいことは、つまり航空特攻に限って言えば、それはきわめて徹底的に遂行されたのであり、特攻隊員たちは現在の私たちが一般に認識しているようなたんなる「無力な被害者」や「犬死」ではないということ、戦後ほとんど見落とされてきたけれども、絶望的劣勢の中で彼らが何より念願した「敵に一矢報いる」という戦う者としての目標は、その評価はどうあれじつは全体として相当程度貫徹されたのではなかったか、ということです。

もちろんいうまでもなく、先の大戦、大東亜戦争/太平洋戦争とは、日本とアメリカ、そして無数のアジアの人々の悲惨な犠牲をもたらした人類史上最大の愚行のひとつであることは間違いありません。
またとりわけ戦前・戦中の日本側の政治・軍事における行動の合理性の欠如ぶりは目を覆わんばかりです。

そして、そういう大枠の中でなされた特攻作戦そのものを肯定的に評価することは、現代の私たちにはもはや到底できないことです。
たとえば特攻が行われた戦場が無辜の無数の住民が犠牲になったフィリピンや沖縄であったことを私たちは忘れてはならないでしょう。
また、次代を担う有為の若者たちに十死零生の任務を課した指導者の愚かしさとその罪は、どれほど強調してもし足りないほどです。

しかしたとえそうであっても、「純粋」で「壮烈」と見える若者たちのあの行動それ自体は、歴史に根差す日本人の精神的なあり方のタイプと当時の発達レベルのおける、その意味で相対的に正当な「勇敢さ」の発露だったと捉えなおすことが可能だと思います。

さらに、私たち日本人からそういう気概=大和魂が失われて久しい今、そしてそれよってこの国が精神的な崩壊を起こしているかに見える今こそ、そのことをあえて再確認することには少なからぬ意味があると思うのです。

今後の作業としてここでそのように解釈しなおすにあたり、それを単なる思弁や観念論にとどまらせることなく現実に即して基礎づけるために、特攻の戦いが日本だけでなく米国にも何をもたらしたのかを冷静に踏まえておくことは、データ不足のここでの試みがいかほどなしえているかはおいても、新しい「特攻」論にとってやはり不可欠の前提だと思われます。

いずれにせよ、それが現在の日本で一般的にイメージされているものとかなり違っていることは、おそらくまちがいないと思われました。
お読みの皆さんには、いかがでしょうか。

2 コメント

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ありがとうございます!! (M軍曹)
2007-10-23 10:11:31
りょうさん、おひさしぶりです。お元気でしょうか?
誕生日のこと、ありがとうございます。
うれしいです!
ではまたお会いしましょう。
(ブログの更新は停止されているようですね。こちらは残念)
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おめでとうございます!! (りょう)
2007-10-23 01:00:11
どうもお久しぶりです!
本文とは関係ないんですが、お誕生日おめでとうございます!
M軍曹さんにとってよい歳になりますよう!
生日快樂!(シェンリィクワィラァ)
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