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特攻論:戦果/被害について 1

2007-10-15 | 「特攻」論
かなり前から書き始めた「特攻」論がほとんどこだわりになりつつありますが、こだわりというのはほうっておくといつまでもこだわりとして残ってしまうものなのかもしれません。
そうだとすれば、いったんとことんこだわってそれを解消するものまた一つの手かとも思われます。

折に触れ書いていければと思いますので、よろしければお付き合いいただけると幸いです。

さて、単にこだわりでマニア的に書いてもしょうがないので、いったんここでの問題意識を再確認しておくと、なぜ日本人は当時あのような行動をすることができたのか/してしまったのか、それは何か私たち日本人の精神性の根幹に触れる重要な意味を含んでいたのではないか、そしてそれを功罪とりわけて整理し解釈しなおし受容することが、私たちが見失っている日本人であることの正当な誇り、自尊心、アイデンティティの回復作業の、一つの決定的な突破口となるのではないか、そのことを考えたいと思ったのです。

先日、特攻で生還された方のインタヴューを見たのですが、「外国人にはまず理解できないのだろうが、私たちはあの時期そうするのが当然と思って出撃した」と冷静に述懐しておられるのが印象的でした。
しかし外国人だけでなく、戦後の多くの私たちにとってもそれは理解できないものとなっているのではないでしょうか。それほど当時の人と私たちの間には大きな断絶があると見えます。

さらに続けようと思った特攻隊の「戦果」に関する記事は、その意味ではあまり必要でなかったのかもしれません。

しかし特攻が日米双方にとって当時どのような意味を持っていたのかを理解する上では、実はそのことを抜きにすることはできないはずです。
とくに日本側の理解で、そこのところの理解が欠落した情緒的ないし自己非難的な議論があまりに一般化しているのは、このことを理解する上での大きな障壁にすらなっていると思われます。
いったい特攻隊員は何を目指して出撃したのでしょうか?

(そういう議論の最近の代表的なものとしては、『「特攻」と日本人』がまさにひとつの典型です。保阪氏は昭和期の歴史に関する著述家としてはたいへんに有名な影響力のある方だったようで、二重に驚かされました。)

材料が不足していますが、いちおう調べえた範囲では、米国においては特攻のもたらした被害は相当に甚大だったと認識されているようで、詳しい数字は諸説ありますが、艦船の膨大な被害が記録されているのは間違いないようです。

日本側の議論でよくあるのは「撃沈しえたのは脆弱な護衛空母や駆逐艦以下の小艦艇のみで、主要艦艇は一隻も沈められなかった。したがって特攻は無駄であった」という見方ですが、それは重要な点を見失っています。

まず用兵側自身が当初から「航空特攻では撃沈は困難だが、空母の飛行甲板を一定期間使用不能にすれば目的は達せられる」と考えていたのであり、そのことは少なくとも初期の特攻に関しては想定の範囲内だったということがあります。搭乗員もたぶんそのように理解していたのではないでしょうか。

そのように航空特攻が目的とした艦船の損害とは相当なものがあり、たとえば第一目標とされた正規空母には甚大なダメージを受け戦線離脱を余儀なくされた事例が複数あります。
物的被害に関して言えば、それは真珠湾攻撃での「戦果」を上回り、米海軍でなければこのような多大な損害を被りながら作戦を継続することは難しかっただろうといわれているようです。

さらに、安易に言うのを憚られることですが、じつは日本側がはっきりと意図し、米国側が何より恐れたのは、兵員の人的被害だったと思われることが、双方の資料から読み取ることができます。
(これは映画ですが、同時期のストーリーである『父親たちの星条旗』をご覧になった方は、そのあたりの事情がお分かりになったと思います。)

戦果、人的損害…それはつまりどれだけ人をむごたらしく殺害したかということであり、このテーマでよく語られる「美しく」「感動的な」話などでは到底ありません。きわめて暗い側面です。しかしこのテーマにおける不可分の側面です。
したがって、次に簡単にふれるのみとしたいと思います。


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