昨日(4月11日付)の愛媛新聞の文化面のコラム「四季録」に、澄田恭一先生が上甲米太郎の事跡を紹介していました。上甲米太郎は、植民地時代の朝鮮で教師をしていましたが、植民地教育に疑問を感じ、現地の朝鮮語で授業を行ったり、当時の朝鮮の生活の現状を目の当たりにして、社会運動に取り組み、果ては治安維持法、レッドパージで教職は追われるものの、福岡の炭鉱で社会運動に取り組んだ人物。八幡浜市の出身。
最近、上甲米太郎の事跡も陽の目があたるようになってきました。もともとは、大牟田での近現代史研究の実績のある新藤東洋男氏が取り上げ、地元八幡浜・大洲の澄田恭一先生や山村好克先生が上甲米太郎のことを調査研究し、地元に紹介したことが基礎となっています。
その後、米太郎の娘で青年劇場の俳優である上甲まち子さんが八幡浜に来訪したり、大学の先生が上甲米太郎について資料紹介や論文を書いたりと、だんだんメジャーになってきています。インターネットで検索するといろんな情報がヒットします。
地元、八幡浜でもご存知ない方、四季録を読んでみてください。また、インターネットで「上甲米太郎」を検索してみてください。
最近、上甲米太郎の事跡も陽の目があたるようになってきました。もともとは、大牟田での近現代史研究の実績のある新藤東洋男氏が取り上げ、地元八幡浜・大洲の澄田恭一先生や山村好克先生が上甲米太郎のことを調査研究し、地元に紹介したことが基礎となっています。
その後、米太郎の娘で青年劇場の俳優である上甲まち子さんが八幡浜に来訪したり、大学の先生が上甲米太郎について資料紹介や論文を書いたりと、だんだんメジャーになってきています。インターネットで検索するといろんな情報がヒットします。
地元、八幡浜でもご存知ない方、四季録を読んでみてください。また、インターネットで「上甲米太郎」を検索してみてください。