私が大学時代に好きだった『万葉集』。特に大伴旅人の歌「世の中はむなしきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」(巻五、七九三)。これは神亀5(728)年に亡くなった妻の弔問で返礼に際して詠んだもの。
「むなしき」を知ることは「空」の思想が日本に定着したことを物語る。仏教思想が和歌に組み込まれた事例として面白いと思っていた。後の時代の「無常」観につながる歌としても、貴重である。
ところで、最近、民俗学関連の自分の文章で「世間」という言葉を使うことが多くなった。「世間」とは何ぞやと問い続けているのだが、それは今日はさておき、「空」・「無常」とくれば、聖徳太子の「世間虚仮(せけんこけ)」を思い出す。
「世間虚仮、唯仏是真」という太子の言葉。出典は『上宮聖徳法王帝説』や『聖徳太子伝暦』といった平安時代成立の史料に記載されている言葉なので、もしかすると大伴旅人以後に創作・仮託されたのかもしれないが、「世間」の概念と「虚仮」の概念を古代日本人が真剣に考えたことは事実である。
「空」と「虚」という「むなしさ」の思想の定着、そして「世間」。この「世間」とは自己と社会との関係・間柄といえばよいのだろうか。仏典で「世間」をよく調べておく必要があるが、自分の存在を社会との関わりの中でどう位置づけても、それは結局のところ「虚」であり「仮」である。そのように私は考える。そこに「真」はない。
少し大雑把な解釈だが、「世間虚仮」。いい言葉だと思う。
「むなしき」を知ることは「空」の思想が日本に定着したことを物語る。仏教思想が和歌に組み込まれた事例として面白いと思っていた。後の時代の「無常」観につながる歌としても、貴重である。
ところで、最近、民俗学関連の自分の文章で「世間」という言葉を使うことが多くなった。「世間」とは何ぞやと問い続けているのだが、それは今日はさておき、「空」・「無常」とくれば、聖徳太子の「世間虚仮(せけんこけ)」を思い出す。
「世間虚仮、唯仏是真」という太子の言葉。出典は『上宮聖徳法王帝説』や『聖徳太子伝暦』といった平安時代成立の史料に記載されている言葉なので、もしかすると大伴旅人以後に創作・仮託されたのかもしれないが、「世間」の概念と「虚仮」の概念を古代日本人が真剣に考えたことは事実である。
「空」と「虚」という「むなしさ」の思想の定着、そして「世間」。この「世間」とは自己と社会との関係・間柄といえばよいのだろうか。仏典で「世間」をよく調べておく必要があるが、自分の存在を社会との関わりの中でどう位置づけても、それは結局のところ「虚」であり「仮」である。そのように私は考える。そこに「真」はない。
少し大雑把な解釈だが、「世間虚仮」。いい言葉だと思う。