文楽三味線の野澤錦糸さんが、この度、第28回国立劇場文楽優秀賞を受賞されました。これは昨日の愛媛新聞の記事で知りました。野澤錦糸さんは、頻繁に大阪から愛媛に立ち寄られては、地元の文楽団体の指導をしていただいています。私の職場の博物館にも立ち寄ってくださったこともあり、私も直接、お話した際には緊張しました。でも、相手に気を遣わせない配慮のある方で、人徳を強く感じました。この度の受賞、おめでとうございます。
今日は、伊予史談会例会で、胡光氏「近世祭礼研究の可能性-伊予西条藩領を中心として-」の発表がありました。既に『伊予史談』351号(2008年)にも同タイトルで論考が掲載されており、その内容の発表です。私も10年近く前に『愛媛まつり紀行』(2000年)、「愛媛の祭礼風流誌」(『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』6号)にて、愛媛の祭礼として西条・新居浜のダンジリや太鼓台について触れたことがあります。今回の発表は、私がその時に提示した祭礼分類が「山車」の概念を曖昧に使っていた点、そして囃子を重視しない分類だったことの指摘がありました。実はまさにその通りで、私が論考を出した直後に植木行宣先生が『山・鉾・屋台の祭り』(白水社)を刊行し、現在これが一種、祭礼研究の基本文献となっています。私の祭礼分類は修正が必要だということはこの本を読んで痛感していました。ただ、これまで、論文や口頭発表でこの点を直接指摘されたことが無かったので、正直、今回の胡さんの発表は私にとってもありがたく、愛媛の祭礼研究の流れを軌道修正していただいたと思っています。というわけで、今後、愛媛の祭礼研究で参考文献を読み込む際には、私の論考を取り上げるなら、必ず胡光さんの『伊予史談』351号の論考を併せて取り上げることが必要です。今日は、大いに刺激を受け、自分でも気になっていた部分を公にしてもらったので、少し安心しました。
今朝は、子供たちといちごの収穫。自分の休みと子供の学校の休みが一致するのが今日を最後に当分無いし、いちごも今が収穫時期。今日、収穫を逃がすわけにはいかない。早朝から妻の実家の畑でいちご狩り。今日は午前中9:30から伊予史談会の例会にも顔を出す予定だったので、急ぎ、収穫を終えて、松山市内の会場に飛び込む。慌しい朝でしたが、大量のいちごゲットに満足。ちなみに夕方は、パセリの収穫。苗を植え過ぎて、パセリが大繁殖気味。一家で消費する分量を間違えた。
4~5年前から「民俗」をテーマとした講演の依頼が多い。講演の依頼があれば、原則引き受けていたが、今回、八幡浜の某団体からの依頼があったものを、どうしても都合がつかず、延期してもらった。時期が6月中旬で、どうしても展示準備や館内の資料保存作業で日程のやりくりがつかないし、展示資料の借用で、先方の都合を優先しないといけないので、どうしても6月は予定が入れられない。わざわざ来館までしてお話をいただいたに申し訳ありません。
講演会は、観光関係団体、経済研究会や老人クラブなども多いのだが、そこで私が「民俗」とは!と強調して話すと、いつも自問自答してしまうことがある。特に観光、地域づくりや経済界の方々と話す際には、「民俗」を取り上げて紹介することを「自己と他者を差異化する手段」にしてしまっているのである。これが、また、私の話を聞く側にとっては結構「受ける」。納得してくれるのだ。自己の地域性・独自性の確定を誘導する手段としての「民俗」講演会となるのである。自分の「アイデンティティ」を確認させてくれた!というような反応が返ってくる。これを戦略的に使っている自分に対して、内省することも多い。ただ、これは愛媛という一つ地域を重点的に調査していることや、博物館に勤めていて、展示で「民俗」を紹介する責務を負っている自分の定めだと思うときもある。ヘルシンキ大学の岩竹美加子氏や、東京大学の岩本通弥氏の著作・論文を読んだりしたり、最近、発足した現代民俗学会の活動内容をながめたりすると、自分自身が民俗学の調査対象者として俎上にあげられる?、いや自分自身でそこを解決・克服していく必要性を痛感する。
講演会は、観光関係団体、経済研究会や老人クラブなども多いのだが、そこで私が「民俗」とは!と強調して話すと、いつも自問自答してしまうことがある。特に観光、地域づくりや経済界の方々と話す際には、「民俗」を取り上げて紹介することを「自己と他者を差異化する手段」にしてしまっているのである。これが、また、私の話を聞く側にとっては結構「受ける」。納得してくれるのだ。自己の地域性・独自性の確定を誘導する手段としての「民俗」講演会となるのである。自分の「アイデンティティ」を確認させてくれた!というような反応が返ってくる。これを戦略的に使っている自分に対して、内省することも多い。ただ、これは愛媛という一つ地域を重点的に調査していることや、博物館に勤めていて、展示で「民俗」を紹介する責務を負っている自分の定めだと思うときもある。ヘルシンキ大学の岩竹美加子氏や、東京大学の岩本通弥氏の著作・論文を読んだりしたり、最近、発足した現代民俗学会の活動内容をながめたりすると、自分自身が民俗学の調査対象者として俎上にあげられる?、いや自分自身でそこを解決・克服していく必要性を痛感する。
物を押しつぶすことを「しゃぐ」というが、これが愛媛の方言だとは全く知らなかった。日本国語大辞典では、岡山市、愛媛県、高知県幡多郡、熊本県芦北郡での方言のようだ。よく使っている言葉なので、いまさら、これが方言だと気づく自分が少し恥ずかしくなった。
今日は、朝から子守り。子供が今年はまだ桜をじっくり見ていないらしく、明浜の野福峠と宇和の明間に行って花見。その後、八幡浜に用事があったので、八幡浜の王子の森公園に行く。ここは私も幼き頃から遊んでいた公園。そこに今、ひそかに一部で流行っている(ということは、地元の人以外はほとんど誰も知らない)緑のトンネルがある。トトロの森のトンネルみたいと評判。子供達もおおはしゃぎ。八幡浜の隠れた名所?の一つ。
昨日は、俵津文楽の公演に行きました。袖萩祭文の段、すごく良かったです。篠川さんの太夫も見事。70分、聞きほれながら鑑賞させていただきました。保存会の皆様、お疲れ様でした。
さて、『伝統芸能淡路人形浄瑠璃』という本を数年前に淡路に行った際に三原町で購入。それを読んでいて、地元愛媛では確認できていない外題があった。「宇和島天神記」である。この床本が淡路に保管されているということだ。愛媛を舞台にしているのに、愛媛では知られていない外題。これは面白いと思い、ここで紹介しておく。
「宇和島天神記」(『伝統芸能淡路人形浄瑠璃』260頁より)
宇和島(愛媛県)の領主遠江守晴之は、鎌倉勤めのため出立準備に忙しい。忠臣家老の山辺信固に、幼い世継ぎの春若丸のことをくれぐれも頼んで出立する。他方では悪党の大橋右膳が一味を集めて謀議。殿より利根川改修工事の御用金五万七千両を送れとの手紙が来る。これを好機とみて大橋一味は、武右衛門、信国の両名にこの役目をさせ、途中で御用金を略奪することを計画する。信国はそうとは知らず、大谷が浦の宿で御用金差し出しのため武右衛門と会い、武右衛門が帰った後、曲者が現われて信国を浜辺へ連れ去る。奴の銅助は後を追うが主人を見失ってしまう。
信国は掴まって蚊帳巻きにされ海に沈められ、武右衛門は生け捕りにされる。更に武右衛門の女房滝野を御殿で召し捕る。その女性は滝野ではなく乳母のおちえであった。武右衛門は牢に繋がれ、責められたが、滝野が現われて、錠前をこじあけて、夫婦の涙ながらの対面となる。(逢瀬谷の段)
二人は何とか逃げのびる。清水寺の近辺に信国の女房初音の隠れ家があった。その隠れ家に奴の銅助が戻ってきて信国の死を知らせる。初音と老母は仇を討つべく願かけをする。満願の日、銅助が信国の子清之助を伴って来て母初音に会う。そこに武右衛門が現われ、時節を待っていると話す。
次は霊雲寺の場で、法要が行われている最中、大橋一味が殿の暗殺計画や、御用金の配分やらの悪企みの話をしている。その時一天俄かにかき曇り、山内鳴動して棟木は落ち、一座の悪党はほとんど全滅する。
最後の和霊神社の場では、信国はその忠義によって正二位和霊大明神となった。そこへ清之助を連れた銅助が現われると武右衛門が敵を討てと励ます。清之助は養老の滝の願かけの力によって「とと様やかかさんの敵」と言って右膳を簡単に討ち取り、幕。
さて、『伝統芸能淡路人形浄瑠璃』という本を数年前に淡路に行った際に三原町で購入。それを読んでいて、地元愛媛では確認できていない外題があった。「宇和島天神記」である。この床本が淡路に保管されているということだ。愛媛を舞台にしているのに、愛媛では知られていない外題。これは面白いと思い、ここで紹介しておく。
「宇和島天神記」(『伝統芸能淡路人形浄瑠璃』260頁より)
宇和島(愛媛県)の領主遠江守晴之は、鎌倉勤めのため出立準備に忙しい。忠臣家老の山辺信固に、幼い世継ぎの春若丸のことをくれぐれも頼んで出立する。他方では悪党の大橋右膳が一味を集めて謀議。殿より利根川改修工事の御用金五万七千両を送れとの手紙が来る。これを好機とみて大橋一味は、武右衛門、信国の両名にこの役目をさせ、途中で御用金を略奪することを計画する。信国はそうとは知らず、大谷が浦の宿で御用金差し出しのため武右衛門と会い、武右衛門が帰った後、曲者が現われて信国を浜辺へ連れ去る。奴の銅助は後を追うが主人を見失ってしまう。
信国は掴まって蚊帳巻きにされ海に沈められ、武右衛門は生け捕りにされる。更に武右衛門の女房滝野を御殿で召し捕る。その女性は滝野ではなく乳母のおちえであった。武右衛門は牢に繋がれ、責められたが、滝野が現われて、錠前をこじあけて、夫婦の涙ながらの対面となる。(逢瀬谷の段)
二人は何とか逃げのびる。清水寺の近辺に信国の女房初音の隠れ家があった。その隠れ家に奴の銅助が戻ってきて信国の死を知らせる。初音と老母は仇を討つべく願かけをする。満願の日、銅助が信国の子清之助を伴って来て母初音に会う。そこに武右衛門が現われ、時節を待っていると話す。
次は霊雲寺の場で、法要が行われている最中、大橋一味が殿の暗殺計画や、御用金の配分やらの悪企みの話をしている。その時一天俄かにかき曇り、山内鳴動して棟木は落ち、一座の悪党はほとんど全滅する。
最後の和霊神社の場では、信国はその忠義によって正二位和霊大明神となった。そこへ清之助を連れた銅助が現われると武右衛門が敵を討てと励ます。清之助は養老の滝の願かけの力によって「とと様やかかさんの敵」と言って右膳を簡単に討ち取り、幕。
某研究会から昨年秋に原稿依頼があった。原稿の分量はさほど多くはなく、思わず、引き受けてしまったのだが、その〆切は3月31日。既に期日は過ぎている。その事実に気づきながらも、忘れたふりをして、1ヶ月くらい遅れてもいいだろう、催促の連絡もないし・・・と思っていたら、自宅に帰宅すると編集担当から電話がかかってきた。やばい。半分も書けていない。これはまずい、ということで、急遽、書類の山から、いただていた「執筆要領」を探し出し(←この時点で既にあやしい)、何とか本格執筆モードにギアチェンジ。あと数週間以内には、提出できると思います。編集担当者様、これを見ていたら、現況を理解していただけますよね。もうしばらくお待ちください。
昨晩、東京の某大手テレビ局のニュース番組制作者から問い合わせ。職場ではなくて、夜10時半に自宅に突然の電話。どこで自宅電話番号を知ったのかと思ったら、調査でお世話になっている方からの紹介らしい。先方は結構、切羽詰った状況らしく、今日のテレビで流れるニュース映像を作っていて、確認事項があったので、夜にもかかわらず、問い合わせしたみたい。ちょうど職場から帰宅したところだったので、テンションはまだ仕事モードで、丁重に対応しましたが、少しびっくりしました。いつもなら酔っ払っています。
昨日は、本当は早く仕事を切り上げて、夜の座敷雛を見たかったのだが、かなわず。でも、前日2日の午前には、じっくり拝見させていただきました。穴井の真穴地区公民館でもいろんな古い写真を見ました。公民館長さん、長命講の会長さんはじめ、いろんな方と挨拶することができて、よかったです。お土産もありがとうございました。感謝。
ところで、最近、「座敷雛」という名称を、真穴以外でいろんなところで使用している・されているのも、気にかかる。長女の初節句という家庭行事、そして棟梁制度を有しているように、地域を挙げての伝統行事として継承されているのは、八幡浜市真穴地区だけ。しかももともとは穴井地区発祥。何か「座敷雛」の名称が少し安売りされているような感じがして、心配。観光資源として非常に高い価値を持っている裏返しなのだろうが、民俗文化財として本物の「座敷雛」は、八幡浜市真穴地区だけ。これは強調しておかないといけないと思う。
昨日は、本当は早く仕事を切り上げて、夜の座敷雛を見たかったのだが、かなわず。でも、前日2日の午前には、じっくり拝見させていただきました。穴井の真穴地区公民館でもいろんな古い写真を見ました。公民館長さん、長命講の会長さんはじめ、いろんな方と挨拶することができて、よかったです。お土産もありがとうございました。感謝。
ところで、最近、「座敷雛」という名称を、真穴以外でいろんなところで使用している・されているのも、気にかかる。長女の初節句という家庭行事、そして棟梁制度を有しているように、地域を挙げての伝統行事として継承されているのは、八幡浜市真穴地区だけ。しかももともとは穴井地区発祥。何か「座敷雛」の名称が少し安売りされているような感じがして、心配。観光資源として非常に高い価値を持っている裏返しなのだろうが、民俗文化財として本物の「座敷雛」は、八幡浜市真穴地区だけ。これは強調しておかないといけないと思う。