僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

ビクター商標ニッパー

2007-12-09 22:29:50 | 薀蓄
 中学生の頃、初めて購入したステレオがビクター製でした。陶器製の犬をもらった記憶があります。そのステレオでビートルズの赤版、青版のレコードを何度も何度も聴いていました。
 あまりにも有名なビクターの商標の犬のマークは、フランシス・バラードというイギリスの画家の作品なのです。モデルは兄の愛犬だったニッパーというフォックステリア。飼い主の死後、飼い主であった兄の声を入れたレコードをかけたところ、懐かしそうに聴き入っている姿を描いたものということです。
 この絵にhis master's voiceの文字をいれ、著作権出願していたのを、英国蓄音機(グラモフォン)が目をつけて買い取り、これを「ビクター・トーキング・マシン・カンパニー」の創業者、エミール・ベルリーナが商標としてアメリカで登録したものです。
 由緒ある歴史があるものですね。

やまびこ学校

2007-12-09 16:09:41 | 思い出
 白鷹丘陵の山間を縫うように走る348号沿いにある集落が、上山市の山元地区です。[やまびこ学校」で広く知られるこの土地は、私の心のふるさとでもあるのです。
 しかし辺境地である例外にもれず、子どもの数が減り、山元小中学校のうち、去年、小学校が休校になり、生徒は山形市の本沢小学校に通っています。残る中学校も2,3年生で6人だけとなり今の2年生が卒業したら休校になってしまうのです。
 なぜ心のふるさとと呼べるのでしょうか。わたしが初めて、無着成恭氏篇の「やまびこ学校」を読んだのが大学2年の時でした。江口江一さんの「母の死とその後」を読んでとても感銘を受けたのです。彼は亡くなった自身のお母さんをこう称しています。「お母さんは心の底から笑ったときというのは一回もなかったのでないかと思います。・・・・・笑ったとしても、それは泣くかわりに笑ったのだという気が今します。・・・・・ほんとうに心の底から笑ったことのない人、心の底から笑うことを知らなかった人、それは僕のお母さんです。」
 母の笑いを殺してしまった貧乏の正体が、かつての山元村にはあったのです。こんな純粋な江口少年たちを育んだ南村山郡山元村にいつしか憧憬を抱いておりました。
 時は過ぎて、娘が小学5年になったとき、幸運にも卓球の山元スポーツ少年団に入れていただきました。週に二回、三角ドームの体育館で練習に励みました。地元の小中学生も「やまびこ学校」の頃の生徒同様、朴訥で真面目で、才気煥発な生徒ばかりでした。山元スポ少の監督や保護者の方には本当にお世話になりました。お陰さまで2度の団体優勝を経験させていただきました。
 こんないきさつで、わたしの心の中に山元という暖かい思いが根ざしていったのです。たとえ山元の学校がなくなったとしても、何度となく足を運びたい桃源郷とでもいえるのでしょうか。

ホームレス中学生

2007-12-09 15:00:20 | 読書
 今、とても話題になっている「ホームレス中学生」を読みました。9月20日に発行されているので、もう麒麟の田村裕の境遇は、ほとんどの日本国民に知れ渡っている事と思います。
 中学生のとき家を差し押さえられ、気丈にも他の兄弟に気兼ねして、1人で公園生活をはじめるなんて・・・  普通では考えられない事が現実に起こるものなのだなあというのが、最初の印象でした。
 約1ヶ月もの間ホームレス生活を送り、ダンボールを水に濡らして食べたり、青臭い雑草も、おなかを満たすため仕方なく食べていました。
 その後、幸いな事に、友人の家にお世話になり、多くの人のご好意で兄弟全員一つ屋根の下で暮らせるようになりました。私自身も本当に安堵できました。また彼の周囲には多くの心優しい人たちが関わっていることにうれしさを覚えました。
 空腹感に耐えられず、コンビニに入りパン売り場の前にしゃがみこんだシーンでは、パンを盗むという罪悪と理性との葛藤の中で彼は戦い悩みました。しかし亡くなったお母さんの顔が浮かび、犯罪に手を染めることもなく、事なきを得ました。
 家が差し押さえられ、お父さんに「解散!」と高々に宣言され、やむなく公園で暮らし始める・・・そして徐々に生活は好転していく、そんな彼はきっと、困っている人をほっとけない暖かいスーパーヒーローになれるだろうと思っています。同時に今の仕事を通じ、人々に安らぎと笑いを供給できる、決して偉ぶったり自慢したりせず、弱者の痛み、苦しみのわかる人になるだろうと確信しています。
 いい本でした。