僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

津軽という名の

2018-08-17 20:05:13 | 文学
RG君にこの本をお土産に貰いました。



昭和19年に初版3000部発行の津軽である。



とっても貴重な書籍だが、本当はなんちゃって書籍。
クッキーなのでした😁



栞までついています。

青森産林檎の搾汁残渣を粉末化したもので、
ほのかに林檎の甘味や酸味、苦味を有しており
美味しいクッキーです。

太宰治生誕百年を記念して発売されたそうです。

書物としての本当の初版本はこんな感じ。


私が太宰好きなのを知っていて
買ってきてくれた優しい青森出身の彼なのです。

マイコレクション

永泉寺(ようせんじ)

2018-08-17 18:26:30 | ドライブ
12日は玉すだれの滝を見物前に遊佐の永泉寺を訪れた。

山門にこわーい仁王様が不届き物を成敗してくれようと睨みを利かせている。



阿形


吽形

格天井には極彩色の絵が描かれている。


寺は可愛い次世代の住職が案内してくれた。








長谷堂合戦で活躍した最上義光の家臣、志村光安の供養碑「石造九重層塔」もあった。








なでるとご利益がある?


永泉寺沿革

・670~690年白鳳年間、役の小角(えんのおづぬ)が鳥海山中腹(観音森の麓)に道場を開く。

・823年(弘仁14年)この地を布教で訪れた慈覚大師が一棟のお堂を建て、鳥海山興聖寺と名付けた。

・1354年(文和3年)この頃、本源道也律師が寺持であったが、寺が荒れだし雑草が生い茂るようになった。
 
・1382年(永徳2年)源翁和尚がこの地を廻った際、稲荷大明神のお告げとその使いの白狐の導きで興聖寺跡を知り、道也律師は
 源翁和尚の徳を慕い、寺の管理を禅師に譲った。禅師は荒れた寺院を再興し、寺跡や仏像を現在の地に移し堂塔伽藍を復興、全境内を
 金狐洞窟と名付けて一山守護のため福寿稲荷大明神を移してお祭りした。この時点で曹洞宗となり、剱龍山永泉寺と名前を変えた。
 以来、源翁和尚を御開山とし、禅の教えを広め民衆を助け、多くの末寺を開くに至り、大本山総持寺の直末寺として曹洞宗の中本山格の寺となった。

永泉寺は老杉や古松に囲まれ、鳥海山を目前に眺めることができる。

木の根と苔石の参道は蔦が絡み幽玄で趣がある。