僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

やまびこ学校

2007-12-09 16:09:41 | 思い出
 白鷹丘陵の山間を縫うように走る348号沿いにある集落が、上山市の山元地区です。[やまびこ学校」で広く知られるこの土地は、私の心のふるさとでもあるのです。
 しかし辺境地である例外にもれず、子どもの数が減り、山元小中学校のうち、去年、小学校が休校になり、生徒は山形市の本沢小学校に通っています。残る中学校も2,3年生で6人だけとなり今の2年生が卒業したら休校になってしまうのです。
 なぜ心のふるさとと呼べるのでしょうか。わたしが初めて、無着成恭氏篇の「やまびこ学校」を読んだのが大学2年の時でした。江口江一さんの「母の死とその後」を読んでとても感銘を受けたのです。彼は亡くなった自身のお母さんをこう称しています。「お母さんは心の底から笑ったときというのは一回もなかったのでないかと思います。・・・・・笑ったとしても、それは泣くかわりに笑ったのだという気が今します。・・・・・ほんとうに心の底から笑ったことのない人、心の底から笑うことを知らなかった人、それは僕のお母さんです。」
 母の笑いを殺してしまった貧乏の正体が、かつての山元村にはあったのです。こんな純粋な江口少年たちを育んだ南村山郡山元村にいつしか憧憬を抱いておりました。
 時は過ぎて、娘が小学5年になったとき、幸運にも卓球の山元スポーツ少年団に入れていただきました。週に二回、三角ドームの体育館で練習に励みました。地元の小中学生も「やまびこ学校」の頃の生徒同様、朴訥で真面目で、才気煥発な生徒ばかりでした。山元スポ少の監督や保護者の方には本当にお世話になりました。お陰さまで2度の団体優勝を経験させていただきました。
 こんないきさつで、わたしの心の中に山元という暖かい思いが根ざしていったのです。たとえ山元の学校がなくなったとしても、何度となく足を運びたい桃源郷とでもいえるのでしょうか。


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