僕の感性

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楼蘭王国

2008-08-19 22:05:05 | Weblog


かつて、楼蘭王国はシルクロード東部の要衝でありました。

今から2000年前、中国の出口・敦煌から、砂漠を16日ほど進むと、ロプ=ノールのほとりにある楼蘭(クロライナ)にたどり着きました。ここから、道は、天山北道・天山南道の2つに分かれます。

楼蘭王国の建国は、いつのことかはっきりわからないが、漢代の記録によれば、楼蘭王国全体で人口は

2万~3万人を数えたといいます。都、楼蘭城は、高さ約10mの仏塔(ストゥーパ)を中心に、1辺310~330mの城壁で囲まれていました。仏塔の隣には高級な木造建物の跡、少し離れたところに漢の軍司令部だったらしい建物の跡があります。この都には東西のキャラバン隊が集まりました。

いろいろな言葉が飛び交い、隊商宿の前には、ペルシアのじゅうたんや中国の絹が並べられました。夜になると至るところで火がたかれ、酒宴が行なわれます。楼蘭人のあついもてなしに快い疲労をおぼえた旅人たちは、やがて宿に入って深い眠りにつきます・・・。

前176年、楼蘭王国は匈奴の支配下に入ります。このとき匈奴は、楼蘭のほかにも烏孫など西域36国を支配しました。その後、漢の武帝は匈奴討伐に成功し、いわゆる河西回廊に敦煌郡以下4郡を設置してこの地を直轄化したのです。さらに前77年、漢は楼蘭を滅ぼして属国としていています。

この後、あいつぐ外敵の侵入や紛争によって交通路も途絶え、楼蘭は荒れ果て、廃墟と化してしまいます。こうして楼蘭は、砂漠の中に埋もれていったのです。

それ以来、約1500年間、楼蘭王国はまったく忘却の彼方にありました。

再び楼蘭が脚光を浴びるのは20世紀の初めです。スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンと、イギリスのスタイン隊が、偶然にもほぼ同時にこの地を探検し、楼蘭をはじめとする多くの遺跡を発見・発掘しました。(NHKシルクロード取材班)

そしてその遺跡群のほとんどは、砂に埋もれていたのです。

楼蘭王国跡です。

スタイン、ヘディンなどの探検家が東西文明の交流を物語るたくさんの木簡を発見しました。

最後にスウェーデンのスウェン・ヘディンのことばを紹介します。

「遠い昔に人類が生活していた明らかな痕跡や遺跡を探りあてたとき、探険家がどんなに心をはずませるものか、その喜びを、筆や口で表現することは、とてもできない。それは1900年の3月28日に、楼蘭の遺跡を発見するという幸運をつかんだときであった。(中略)目をつむると、はるか昔に消え去ったこの町の住民たちが、あたかも冥府の幽鬼たちのように、私のまわりをさまよい過ぎてゆく」



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