僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

屋久島を目指した十五才

2007-12-11 22:32:45 | 映画
 1993年の今日、屋久島が世界自然遺産に指定された記念日です。屋久島は、樹齢千年以上の屋久杉自然林で有名です。圧巻なのは、樹齢7000年以上を誇る縄文杉がそびえたっていることです。他に、亜熱帯植物のガジュマルの木が見られ、700種類の苔がはえている神秘的な森、白谷雲水峡があります。亜寒帯植物と亜熱帯植物が混在する珍しい島なのです。
 この縄文杉を目指し、ヒッチハイクで旅を続けた15才の少年を主人公にした映画が、おなじみ山田洋次監督の「十五才学校4」です。主役の金井勇太少年は映画の中で、不登校で目的のはっきりしない生活を送っていましたが、ある日突然、屋久島行きを決意します。旅の中で出会った様々な人たちによって少年は生きる事の意義を見出していくのです。途中、ひきこもりの青年に邂逅し、すばらしい詩をいただきます。

草原にまっすぐのびる道

みな馬を駆って先を急いでゆくが

浪人はゆっくりと歩いてゆく

地球が人間にくれたものを受けとめながら

葉に光る朝露

草原の緑

鳥や虫の声

しっかりこれを受けとめて

浪人はまた歩きだす

             日向 素浪人 大渡登

 中学生や高校生が、生きる目的を見出せずにいたとしたら、何のために生きているのと問いかけたくなったら、この作品を観るのも有意義かもしれません。
 

熟知性の原則

2007-12-10 23:38:27 | Weblog
大学の頃、買いたくても買えなかった稀覯本、子どものころよく集めた切手や古銭、昔親しんで、今手元にないマンガ本など、よくオークションで購入しています。すごく好きだった映画なども、時々無性に観たくなってきます。
 人はこのように、慣れ親しんだ物や人に好意や愛着を感じる事が往々にしてあります。これを熟知性の原則と呼びます。
 男性は、ある程度押しが強くないと女性をくどけないのは、熟知性の原則による所が大きいのです。最初のインスピレーションで嫌いでないモノは、目に触れる回数が多いほど好きになるということがわかっています。だからといって、執拗に女性に付きまとうと、ストーカーのレッテルを貼られることにもなりかねません。

ビクター商標ニッパー

2007-12-09 22:29:50 | 薀蓄
 中学生の頃、初めて購入したステレオがビクター製でした。陶器製の犬をもらった記憶があります。そのステレオでビートルズの赤版、青版のレコードを何度も何度も聴いていました。
 あまりにも有名なビクターの商標の犬のマークは、フランシス・バラードというイギリスの画家の作品なのです。モデルは兄の愛犬だったニッパーというフォックステリア。飼い主の死後、飼い主であった兄の声を入れたレコードをかけたところ、懐かしそうに聴き入っている姿を描いたものということです。
 この絵にhis master's voiceの文字をいれ、著作権出願していたのを、英国蓄音機(グラモフォン)が目をつけて買い取り、これを「ビクター・トーキング・マシン・カンパニー」の創業者、エミール・ベルリーナが商標としてアメリカで登録したものです。
 由緒ある歴史があるものですね。

やまびこ学校

2007-12-09 16:09:41 | 思い出
 白鷹丘陵の山間を縫うように走る348号沿いにある集落が、上山市の山元地区です。[やまびこ学校」で広く知られるこの土地は、私の心のふるさとでもあるのです。
 しかし辺境地である例外にもれず、子どもの数が減り、山元小中学校のうち、去年、小学校が休校になり、生徒は山形市の本沢小学校に通っています。残る中学校も2,3年生で6人だけとなり今の2年生が卒業したら休校になってしまうのです。
 なぜ心のふるさとと呼べるのでしょうか。わたしが初めて、無着成恭氏篇の「やまびこ学校」を読んだのが大学2年の時でした。江口江一さんの「母の死とその後」を読んでとても感銘を受けたのです。彼は亡くなった自身のお母さんをこう称しています。「お母さんは心の底から笑ったときというのは一回もなかったのでないかと思います。・・・・・笑ったとしても、それは泣くかわりに笑ったのだという気が今します。・・・・・ほんとうに心の底から笑ったことのない人、心の底から笑うことを知らなかった人、それは僕のお母さんです。」
 母の笑いを殺してしまった貧乏の正体が、かつての山元村にはあったのです。こんな純粋な江口少年たちを育んだ南村山郡山元村にいつしか憧憬を抱いておりました。
 時は過ぎて、娘が小学5年になったとき、幸運にも卓球の山元スポーツ少年団に入れていただきました。週に二回、三角ドームの体育館で練習に励みました。地元の小中学生も「やまびこ学校」の頃の生徒同様、朴訥で真面目で、才気煥発な生徒ばかりでした。山元スポ少の監督や保護者の方には本当にお世話になりました。お陰さまで2度の団体優勝を経験させていただきました。
 こんないきさつで、わたしの心の中に山元という暖かい思いが根ざしていったのです。たとえ山元の学校がなくなったとしても、何度となく足を運びたい桃源郷とでもいえるのでしょうか。

ホームレス中学生

2007-12-09 15:00:20 | 読書
 今、とても話題になっている「ホームレス中学生」を読みました。9月20日に発行されているので、もう麒麟の田村裕の境遇は、ほとんどの日本国民に知れ渡っている事と思います。
 中学生のとき家を差し押さえられ、気丈にも他の兄弟に気兼ねして、1人で公園生活をはじめるなんて・・・  普通では考えられない事が現実に起こるものなのだなあというのが、最初の印象でした。
 約1ヶ月もの間ホームレス生活を送り、ダンボールを水に濡らして食べたり、青臭い雑草も、おなかを満たすため仕方なく食べていました。
 その後、幸いな事に、友人の家にお世話になり、多くの人のご好意で兄弟全員一つ屋根の下で暮らせるようになりました。私自身も本当に安堵できました。また彼の周囲には多くの心優しい人たちが関わっていることにうれしさを覚えました。
 空腹感に耐えられず、コンビニに入りパン売り場の前にしゃがみこんだシーンでは、パンを盗むという罪悪と理性との葛藤の中で彼は戦い悩みました。しかし亡くなったお母さんの顔が浮かび、犯罪に手を染めることもなく、事なきを得ました。
 家が差し押さえられ、お父さんに「解散!」と高々に宣言され、やむなく公園で暮らし始める・・・そして徐々に生活は好転していく、そんな彼はきっと、困っている人をほっとけない暖かいスーパーヒーローになれるだろうと思っています。同時に今の仕事を通じ、人々に安らぎと笑いを供給できる、決して偉ぶったり自慢したりせず、弱者の痛み、苦しみのわかる人になるだろうと確信しています。
 いい本でした。

初恋

2007-12-04 22:28:55 | 

初 恋


まだあげ染めし 前髪の

林檎のもとに 見えしとき

前にさしたる 花櫛の

花ある君と 思いけり


やさしく白き 手をのべて

林檎をわれに あたえしは

薄くれないの 秋の実に

人恋い初めし はじめなり


我が心なき ため息の

その髪の毛に かかるとき

楽しき恋の 杯を

君が情けに 酌みしかな


林檎畑の 樹の下に

おのずからなる 細道は

誰が踏みそめし かたみぞと

問いたもうこそ 恋しけれ


 有名な島崎藤村の「初恋」です。彼が二十歳の時に明治女学校高等科英文科の教師で食いぶちを稼いでいる頃、佐藤輔子と恋に落ちたのです。この女性が「初恋」のモデルといわれています。
 しかし、藤村は輔子に思いを打ち明ける事はできませんでした。輔子は自分の教え子で、いわゆる禁断の恋だったのです。しかも、彼女にはすでに婚約者がおりました。初めから叶うはずのない恋に苦悩し、教師を辞して、関西へあてのない流浪の旅に出てしまうのです。
 現実逃避の旅は半年にも及びましたが、輔子への思いが消える事はありませんでした。悶々とする藤村のもとに、衝撃的な知らせが舞い込んできます。なんと輔子が病死してしまったというのです。藤村は、この時のショックを
「大地がゆらぐように感じられ、あたりが黄色く見えた」と表現しています。

天智天皇

2007-12-03 21:00:29 | Weblog
  今日12月3日は、天智天皇が崩御した日です。天智天皇は、百人一首のなかの「秋の田の刈ほのいほの苫を粗みわが衣手は露にぬれつつ 」という歌で知る人が多いでしょう。
 彼の業績のひとつに、660年に漏刻という水時計をつくったことがあげられます。中央官制下の陰陽寮に2人の漏刻博士がおかれ、守辰丁(しゅしんちょう)と呼ばれる20人の時守を用いて漏刻を管理し、鐘を突いて時を知らせました。
 他に、大化の改新を実行し、庚午年籍(こうごねんじゃく)作成など、様々の功績を残し、671年病のためお隠れになられました。