15日。
09:05定刻通りJALのMD機は羽田を飛び立つ。今日は快晴だ。
鈴木機長のアナウンスでは、飛行速度750キロ、高度3万フィート(約9,1
00メートル)である。
窓際の席で外の情景をみる。眼下には雲がなく、まるで地上写真を見るようだ。
ルートは本州を陸づたいにとる。雪をかぶった富士山の上を通過し、南アルプス・
中央アルプスから滋賀県の雪の伊吹山を通る、山脈の稜線に沿った冠雪は地形
図そのものである。やがて見慣れた形の琵琶湖が見えた。そしてその次に遠景と
して日本海に面した天橋立を望むことができた。しばらく、物思いにふけり我に
かえる。飛行機は中国山地を西下しつづけ周防灘に出ると、住宅街にある狭い北
九州空港に着陸。実は、この空港は今日限りで、明日から海上の沖合いの新空港
へ移転する。帰りの最終便ではセレモニーがおこなわれた。
今まで、日本国内へ団体であっちこっちへ行ったけれども今回は違った旅になっ
たようだ。造園・ランドスケープ・デザインにからんだ接待、材料検査、踏査、調
査目的が多く、宿泊地は温泉つきの旅行企画をたてていた。それは誤解を恐れず
に言えば、うきうきする、楽しい非日常のイベント如きものである。仲間内でワ
イワイ言えば仕事が進んだと、錯覚していけた世界である。
しかし今回はちがう。単独行動であって、起業後の心境の変化がある。サラリー
マン社会のように組織で動いているわけではない。自立、経営という3年ほど苛烈
な試練を経てきたのだ、と思いたい。実は孤立無援の自己責任の世界だった。
なにか、なぜか、わたしにとって、こういう機会に見聞きするものごとのひとつ
ひとつが非常に貴重に思われるのだ。