
6日、中央区月島を訪ねた。明石町から豊洲方面に向かって隅田川沿いにある
佃大橋のそばである。
ここは都市のランドスケープとしては、高層マンションが立ち並び道路整備も完
了し、東京メトロ有楽町線も新富町から新木場まで伸びている。快適な住環境とア
クセスが良くなったというところだろう。
変わってしまった遠景を気にしなければ、つまり上を見上げず散歩気分で歩けば
まだまだ周辺はもんじゃ焼きが有名な界隈であり、メイン通りのアーケード街、低
い家屋と町並みがつづきちらほらと下町の風情を残している。
“月島ホームズ”。昭和59年8月竣工。施主は旭倉庫他。清水建設の設計施工
である。13階建てのマンションの4階部分がプラザ部になり、約130坪が人工
地盤になっている。今でこそ「屋上緑化」とブームになっているが、わたしはその
後どうなっていたのか気になって訪ねたのだ。
既に22年ぶりの年月が経過している。
当時は、白樺を植えたり、武蔵野の雑木林を模し芝生をあしらったガーデンスタ
イルが植栽計画のトレンドであった。したがってここではソロ・エゴノキの落葉樹
のみで構成し、主要部には常緑樹を植えていない。定番であるツツジもないのだ。
真ん中のエリアに、人工芝を敷き子供向けの広場があり、大きな米松の複合木製
遊具がある。これは現在でも充分に利用されているようだ。
植栽基盤は‘ネニサンソ’+パーライトの軽量骨材を施し表面に黒土をかぶせた
もの、イリゲーション(散水)設備はアメリカのRain Bird社のものである。
当時の技術では客土厚450mmであり、その後の樹木は順調に育っているのだろ
うかと思っていたが、心配無用であった。現在は散水設備は機能せずにいたが、低
木もおもいのほか残っていて、芯止めされた2~4mの背丈の樹木は自身の根を頑丈
に張っている。水やりは夏の渇水時期にのみ人力でおこなっているようだ。
おおむね、メンテナンスもしっかりしている。
当日の、冬曇りのおそい午後すっかり顔なじみになった管理人と語らい、わたし
の気持ちは昔の施工時を想い、なつかしさとほっとする感慨に満たされた。


