わたしの関係する会社に、早稲田大学の教育学部時代の綿矢りささんの同
級生がいて、その彼がどうぞといって貸してくれた小説「夢を与える」を読
んだ。(河出書房新社‘文藝・2006 winter’)
原稿用紙500枚。まず「インストール」で文藝賞をとり、次ぎに「蹴り
たい背中」で芥川賞を受賞以来の3年と半年後の第一作だそうである。
その23歳の知人はわたしが若い頃に文学青年であったことを知り、親し
い綿矢りささんの小説の出来具合を案じていたものらしい。
わたしにとって、無論、彼女の小説は初めて読む。
他の読みかけの本を放っぽりだし、通勤電車の中で三日間かけて昨日で読
み終えた。
最初は使う言葉に日本語らしい語感が感じられず修飾の少ない硬質の文章
に辟易していて、無理もない文章修行も人生経験(?)も少ないし1、2度
やめようかと思っていたのだが徐々に引き込まれた。終わり方に完成度を感
じたが、ややしなやかに剄い文体に新しい境地を展開できるのかなあという
可能性を思う。
もともと、小説というフィクションを創作する意志の強靭さは持ち合わせ
ているらしくそれは頼もしく思う。なぜなら、これが才能にとって一番必要
なファクターであるから。
題材に通俗性が感じられるものの、この人はストーリーテラーに独創性を
見出していくべきなのか、古い例で恐縮ものだが、たとえばイギリスのサマ
セット・モームのように。
小説の売れ具合にもよるが、これはいずれ映画化されそうな予感を感じる。
どうも忌憚なく書いてしまったようだ、おじさんはいやですねえ。