ふりかえると、わたしにとって初めての北海道旅行は平成5年の5月である。
道東、帯広市にある‘真鍋庭園’へ北方樹木とコニファー(球果樹木)を見学に行ったときになる。それはお客様の建築設計事務所、S氏を同伴してのもの。当時、担当していた《天王州アイルプロジュクト》関連の業務上の出張になる。全体として、こういう道行きは熊本2回、島根・岡山と和歌山の各1回、北海道2回に及ぶ。
真鍋庭園の広い苗畑の一角には北国のモデル庭園をしつらえてある。季節は、内地から一ヶ月以上も遅い新緑が芽吹きエゾヤマザクラが満開の頃。ここでは日本の長野県の上高地と、敷地に接して流れる札内川河畔にしかない珍しいケショウヤナギ原生林も見た。
S氏とは二人連れで、わたしにとってとても気の会うひとまわり上の先輩だ。いつも坊主頭で小柄なおとなしい性格、と言えるかもしれない。凛とした個性、わたしには上品な気持ちのいい人に感じられていた。生涯独身主義を貫いた。
明日は札幌市内のホテルに宿泊予定。
一日目は音更町の十勝川モール温泉の‘観月苑’に宿泊する。当時は夕食後、ホテル内のカラオケスナックに繰り出すのが常であった。その夜もいろいろ盛り上がり、中盤ほどにS氏が聞きなれない歌を歌った。八代亜紀の<花束(ブーケ)>である。
♪ひとり暮らしに慣れたのに
愛も気にせず生きたのに
罪な心が届けられ
わたし女を思い出す
こんなキザなことは
あなたに違いない
郵便受けにブーケを
さして帰るなんて
何を話すつもり
あなたがわからない
死んでもいいと泣くほど
つらくさせておいて
ひとり暮らしに慣れたのに
愛も気にせず生きたのに
罪な心が届けられ
わたし女を思い出す
時の流れだけが
(作詞:阿久悠 作曲:服部克久)
わたしには初めて聞く歌だ。八代亜紀のあの演歌調とはメロディがまったくちがいフォークぽいしっとりした曲だ。やたらだだ広い宴会場じみたスナックで、その女心の歌詞をSさんは澄んだ声で可憐に歌う。立教大学を出てすぐに志を立て直し東京農大農学部造園学科に学士入学、一度郷里の福岡で土木コンサルタントを自営していたらしい。所属の建築設計事務所のなかでは識見を持ち一目おかれた存在であった。
わたしは41歳の生意気盛り、S氏はその4年後の一月に「死にたくない、死にたくない」と痛みを訴えながら病死した。