本来、あまりブログでは書きたくないのだが、今度の民主党の代表選挙について触れる。一般的には、ここで自動的に日本の首相に選出される。
わたしは、昨年の衆議院選挙は民主党に、7月には、党はみんなの党へ、個人は民主党に投票した者である。このブログをご覧になっていた方ならご存じのとおり、わたしは今までも一度も選挙の棄権したことがない。定期的な日赤の献血の習慣とともに一貫している(?)。
この6月に菅さんが鳩山さんから替わったのだが、この人は最初から話の仕方がおかしかった。日本の政治家の経歴としては稀な市民運動上がりということで、ひそかにわたしは瞠目していた。もちろん、権力欲は旺盛、だから切った張ったの局面や物ごとをなす契機は知っていると思う。政治家特有のやみくもな闘争心もある。
しかし、なんだか政治活動というよりも言いたいことを大きな声でなんども繰り返せばいいと言うように感じた。要するにもとめることだけが政治と勘違いしているのだ。原資をつくる、ものを生み出すとか、無駄を省き再生させるという思想がないようなのである。みずから、問題を見つけ出し時系列に沿って解決していく能力がなさそうなのである。
はたして、菅さんに職業として政治家の素質はありやなしや、それならば古い体質、政治手法であっても、実績のある小沢さんでいいだろう。時代が変わっていると言いたいところだろうが、そもそもは政治家なんて能書きのみでご飯を食べている危なっかしい職業であり、古来、普遍的な人間性を売り物にしているものだ。しかも、悪い側面として、この世界のすさまじい男の嫉妬と毀誉褒貶は世の常であるらしい。それがこの職業の属性らしい。
菅さんのこの3カ月を見ると、結果的に言うこととやることが一致していない信用できない職業についたようだ。どうも周りを見ないように視野が狭まっている感じだ。菅さんは官僚のお仕着せで動いているくせに、政治上のそつのある動きがあり、その言葉の使い方がお粗末だ。政治は唯一、人間のみを相手にしている職業なのだから、失敗したらほっかぶり、上手いレトリックで処理できるものではない。もっと言うと、政治家の特質として実は実際的に人間の感情を誰よりも敏感に把握する能力が必要だし、およそ、巷間言われている学業優秀の輩には向かない職業だ。適性は学校や机上で身に付くものではない。
わたしには、迫っているとされる小沢自身の検察捜査についても実は本人の自覚があるようだし、古い政治家の象徴とされている小沢一郎の方が国政担当者として信頼できるのだ。政治理念は、昨年のマニフェストに則って立候補する由、当り前のことだろう。
不思議なことに、小沢さんは今回初めて首相に挑もうとしているのだから、一遍、やってもらったらどうだろう。今まで何回かの機会があったのに。
次はその場合の、組閣方針だが…
いつか、興が乗ったらこのブログに雑談風にアップしてみたい。
ちなみに、小沢一郎さんについては、以前このブログで触れたので重複を避けたい。当時と感じたことは全く変わっていない。下記のサイトをご覧願う。
小沢さんのこと
小沢さんのこと Part2
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