体育の日の朝方、5時半過ぎに通り雨ふうの天気をおして出掛けた。コンビニ近くの放置されていた荒れ地で今年最後の栗を拾い、ついでに甘い小ぶりな山柿?数個をゲット、おもむろに県道を車で走り、毎年行く市境いのお寺の銀杏を拾う。今年も豊作だ。この状況だと11月いっぱいは収穫できるだろう。あらかじめ、境内では竹箒で三か所ほど、銀杏の実が掃き寄せられている。もやっている中でそこは遠慮して手早く素手でビニール袋に集めていく。臭いのは、がまんがまん、だ。
そんなことで小一時間ほどしてから、朝の食パンとこのごろ常食にしている柿を食べてから、庭に出る。銀杏をいれたプラスチックのたらいに水を張り、手じかにある土をいれて実を揉む。土をいれるのは臭いを減らすためにする。素手ではすぐに肌をやられてしまうので、合成皮革の手袋をはめてから、手揉みをおこない水を入れごみや皮の上澄みをながす。それを、なんどもなんども繰り返す。悪臭がひどいので庭の捨て場の地面に注意しながらしみ込ませる。その後、縁台に新聞紙を広げて乾燥させる。
腰をかがめそんなことをしながら、ふと田舎の胡桃の果皮(鬼皮?)むきを思い出す。堅い殻(外果皮)をあらわにするのだが、割と簡単に剥ける。東北で銀杏はなかったが、胡桃(オニグルミ)は台風が来る頃に沢山収穫できたものだ。胡桃の実の皮の汁には目に入れると強烈な痛みと刺激臭があり、水を入れた砂利か砂に紛れ込ませて足でも揉んだものだった。
そうだ、あのころは棗(なつめ)もとれた後に、時期は稲刈り時の真っ最中であって、干し柿用の渋柿をもぎ皮むきやさつまいもは畑から掘り上げてふかして干し芋を作ったっけ。
ところで、わたしは銀杏は好きではない。茶碗蒸しはそれがために食べない。わが家では妻だけが食べるのだ。
ここで、わが家の柿の実を紹介する。品種は甘百目、今年は甘くなっている。平年並みで100個以上は採れる勘定か。わたしは、連日、自分でも食べるが、仕事先に持参して皆さんに食べてもらう。わたしは電車ではよそゆきですましたいでたちでも、通勤かばんの中には柿がごろごろ。その皆さんの面前で、わたしは家の奥から見つけ出した肥後ナイフで手早く皮をむく、まな板はつかわず手のひらで切リ分ける、この特技は幼いころ身についた技術である、うまいものだ!!
そんなことで小一時間ほどしてから、朝の食パンとこのごろ常食にしている柿を食べてから、庭に出る。銀杏をいれたプラスチックのたらいに水を張り、手じかにある土をいれて実を揉む。土をいれるのは臭いを減らすためにする。素手ではすぐに肌をやられてしまうので、合成皮革の手袋をはめてから、手揉みをおこない水を入れごみや皮の上澄みをながす。それを、なんどもなんども繰り返す。悪臭がひどいので庭の捨て場の地面に注意しながらしみ込ませる。その後、縁台に新聞紙を広げて乾燥させる。
腰をかがめそんなことをしながら、ふと田舎の胡桃の果皮(鬼皮?)むきを思い出す。堅い殻(外果皮)をあらわにするのだが、割と簡単に剥ける。東北で銀杏はなかったが、胡桃(オニグルミ)は台風が来る頃に沢山収穫できたものだ。胡桃の実の皮の汁には目に入れると強烈な痛みと刺激臭があり、水を入れた砂利か砂に紛れ込ませて足でも揉んだものだった。
そうだ、あのころは棗(なつめ)もとれた後に、時期は稲刈り時の真っ最中であって、干し柿用の渋柿をもぎ皮むきやさつまいもは畑から掘り上げてふかして干し芋を作ったっけ。
ところで、わたしは銀杏は好きではない。茶碗蒸しはそれがために食べない。わが家では妻だけが食べるのだ。
ここで、わが家の柿の実を紹介する。品種は甘百目、今年は甘くなっている。平年並みで100個以上は採れる勘定か。わたしは、連日、自分でも食べるが、仕事先に持参して皆さんに食べてもらう。わたしは電車ではよそゆきですましたいでたちでも、通勤かばんの中には柿がごろごろ。その皆さんの面前で、わたしは家の奥から見つけ出した肥後ナイフで手早く皮をむく、まな板はつかわず手のひらで切リ分ける、この特技は幼いころ身についた技術である、うまいものだ!!
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