午前9時34分、車内でラジオの歌謡曲を聴きながらおかしくなった。「部屋とYシャツと私」 というので、平松愛理さんが歌っていた。若い20代の女の子の彼氏に思いを寄せて、ひたむきに話すように歌う。この曲は広い音域も転調もなしにシンプルなメロディと歌詞である。素直で純朴な声質で、ひとりで彼につぶやくように、なんども繰り返しラブレターを読み上げるように歌う。
今は、暦の上では、小寒を過ぎ大寒の狭ざ間だ。冬空は重くて雪でも降るように曇っている。わたしは休日出勤で、現場を回りながらマイカーで運転中である。突然、両の目から涙がこぼれてくる。
こんなことはいつのことだったか。数年前に成田の植木圃場へ行った帰り道に車中で尺八一本で歌う、民謡 「南部牛追い唄」 を聴いて以来だ。古里を感じさせて、野太くて高音の曲調だ。
先週はおかしい。7日の新年会と二次会のカラオケまではいい。時節柄賑やかしの頃だ、所内は挨拶回りや安全祈願やら直らいと、またカラオケへと集まりは流れた。そして、数日間業務は多忙だったので収拾がうまくいかない。いや、仕事の仕方が煩雑であった。若い時期ならいざ知らず、仕事はやりこなす能力半分、人間関係半分とかまえてきた。今は、組織の問題もあるが自己責任の仕事だ。頭の切り替えは、生来、下手であったが近頃ますますひどいように感じる。わたしにとって仕事のコツは、とことん積み上げるだけだと観念している。若い時から今に至るも、調子の良さと要領の良さは嫌いだ。
当然なことに、ここしばらくは帰宅しても無口になった。家内も無口である。寒々しいのは分かっている。わたしもいいおやじだ、その辺のこらえ方は分かっている。
平松愛理さんの 「部屋とYシャツと私」 には表も裏もない。
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