うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

ベトナム研修旅行③ 6/14 ハノイ~サパ

2019年07月15日 15時17分22秒 | 樹木医の海外研修
ベトナム研修旅行③、6/14。ハノイ~サパ 朝食前にホテルの街の周りをブラブラする。それから一路、高速道路に乗り ラオカイ、サパ を目指す。 
 
 ここで、ベトナムの歴史に触れてみる。正式国名はベトナム社会主義共和国。ベトナムは紀元前から1000年余りは中国に支配され、自国のベトナム王朝時代は850年、それから1884年から1945年まではフランスのインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)として統治される。その間にホーチミンが国内に共産党を造る。フランスとの内紛状態が続き、朝鮮動乱終結後の1955年5月ジュネーブ会議で北緯17度線で南北にベトナムが分割された。フランス撤退後の1964年、東西冷戦のさなかアメリカのケネディ大統領が参戦を決める。枯れ葉作戦はケネディ、ジョンソン大統領が採用した。
 その間に中越紛争や、カンボジアの紛争(ポルポトに対する占領など)が起きている。
 1975年4月30日サイゴン陥落(今のホーチミン市)、ホーチミンが率いる北ベトナムが全土開放する。
 その後、南北統一してから足かけ45年の年月が経過している。
 


















 高速道路に乗り車窓から見る山々は、実はベトナム戦争時代にアメリカの枯れ葉剤散布作戦によりはげ山になった所、現在は生長の早いユーカリが植林されている。現代ではユーカリ林は林業として成り立っているようだ。
 この薬剤はアメリカの化学メーカーのダウケミカルやモンサントが製造しているが、今の除草剤と同じ成分が含まれる劇薬である。散布範囲は南ベトナムの 「ベトコン」 目当てや 「北爆」などの対象地域に限定されるものではなくベトナム全土であり戦慄する忌むべき事態であった。毒物の土壌中の残留期間は過ぎたと思われるが、今でも人を含む生き物すべてにむごい後遺症を残している。



 ラオカイは中国との国境の町、河口 に接し、ホン河(紅河) に沿っている。少ないインフラである 統一鉄道 もハノイに通じている。河は南シナ海のトンキン湾に通じる。かつて、ベトナム戦争後半時の中国との紛争時はかなり緊迫した情勢であったらしい。
 正午頃の昼食、蒸し暑い中相変わらず、ここでベトナム料理店に入る。















 ラオカイからいよいよサパへ。バスは山塊の中を蛇行しながら登っていくに従い、左側に棚田が現れてくる。景色はパノラマサイズだ。その規模は日本以上で東南アジアに特徴的に存在するのだろう。この先のサパの市内では道が狭まるために小型のバスに乗り換える。ホテルにチェックインして ハムロン丘 に登る。結構、石段ばかりの悪路であり疲労困憊だ。今日の夕食はホテルで摂る、この旅行で初めてのディナーである。















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