風とみどりに戯れて! 

風の訪れる庭、みどりに戯れる日々の記録

福島レポート(福島第一原子力発電所)

2017-06-14 | 東日本大震災
大熊町に入ると福島第一原子力発電所が見えてきます。
送電線の鉄塔、クレーンの長いアーム、TVでよく見る光景です。
今、廃炉の現場には毎日約6千人の作業員が
被曝のリスクを負い、命がけで働いているのです。
家族はどんな思いで受け止めているのでしょうか?

このみどりの中に埋もれている家、どれだけ悔しく悲しい思いなのか・・・
国道6号から1キロ位は離れているのでしょうか?
測定器の数値はどんどん上がっていきます。
この日大熊町R6号近くのモニタリングポストの数値は、6.3マイクロシーベルトでした。

帰る人のいない家、大きく背を伸ばす草木、
何処まで走っても、黒い山が続きます。
除染特別地域(国が除染事業を進める地域)の除染情報(29/5/26時点)
仮置き場等:267ケ所、保管物数:約755万袋、
他の地域を加えたら・・・気の遠くなるような数です。
フェンスの向こう、初夏の緑はこんなに美しいのに、悔しいですね。

震災や津波は止めることの出来ない天災です、

しかし、この原発事故は人災です。絶対安全なんてあるはずがない。
これだけ広大な地域を、大勢の人々を、未来の人々をまで巻き込んだ原発事故。
この大きな痛みを伴った教訓があるのに、なぜ止められないのだろうか?
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福島レポート2017(南相馬市から双葉町へ)

2017-06-14 | 東日本大震災
目に見えない放射能の脅威、それが目に見える形となって、
行き着く先を待ちながら積み上げられている仮置き場の光景は異常です。
「復興」「避難指示解除」そんな言葉を大きく伝える報道、
でも、この現実はどれだけ伝わっているのでしょうか?

旅の2日目は南相馬市から国道6号を南下します、ここは南相馬道の駅。
「帰還困難区域」この文字の看板が目立ち始めます。
この町にも黒い廃棄物の山が続きます。
7月29~31日に繰り広げられる夏の風物詩「相馬野馬追」、
震災後主要行事は実施されてきましたが「騎馬武者行列」は中止でした。
今夏は7年ぶりに小高区での「宵乗行列」「帰り馬行列」が再開されるようです。
少しづつ震災前の状況に近づこうと頑張る福島です。
一部規制されていた国道6号は2014年9月から自由通行となりましたが、
帰還困難区域内の区間ではオートバイや自転車、歩行者の通行は認められず、
車を途中で停車して外に出ることはできません。

ダッシュ村で放映されていた浪江町
あの美しい里山はどうなっているのでしょうか?

国道沿いの大きな建物、駐車場は工事に関わる現場事務所だけが人の気配、
交差する道路や建物は侵入を防ぐフェンスの乱立、その奥は時間の止まった町。
いたるところでフェンスの前に検問の警察官が立つ双葉町、
こんな息苦しい光景を見ながら車は事故現場福島第一原子力発電所に近づいていきます。
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福島レポート2017(かしまの一本松)

2017-06-13 | 東日本大震災
「奇跡の一本松」といえば、モニュメントになった岩手県陸前高田市が有名だが、
南相馬市鹿島区にも東日本大震災の津波に耐えた「かしまの一本松」があります。
あの津波で何もかも無くなった海辺に、ポツンと立っている木は、
高さ約25メートル、根回り約2メートル。
今は葉も無く、幹は傷でボロボロ、もうすでに枯れてしまっています。
震災前は海辺の集落を守るように数万本もの松林があったというが、
震災で集落は流失、54人が犠牲となる壊滅的な被害を受けました。
地元の人々の希望の一本松、大切に見守ってきたが、
防潮堤防が壊れ、海が荒れると一本松も海水に浸され命つきてしまった。
堤防の再建工事やかさ上げ工事のために伐採が決まったようです。

でも、一本松のまつぼっくりから小さい芽が育っているそうです、
この子孫たちが、逞しい松に育ち、集落を守る林となることを祈ります。

何もない広大な土地にソーラー発電の設備が拡がっていきます。
一本松はどんな思いでこの光景を見ているのでしょうか?

Google マップのストリートビューで「かしまの一本松」を検索すると、
もう少し元気だった頃の様子が見えます。

かしま福幸商店街、
移転や店じまいで、営業店も少なくなり、
復興商店もその役目を終えようとしているようです。

鹿島区の勝縁寺さんのお堂をお借りし、私達の仲間「退職者の会福島支部」の方達に
震災時、そして今の様子をお聴きしました。
自宅に避難者を受入れた時のこと、
差別や不安に苦しむ避難者の心情、

除染、廃棄物の処理のこと、
空き家を荒らす盗人たちのこと、

街灯は新しくなり輝いているが、家の灯りの増えていかない町、
子供や孫の事を思うと戻れない人々のこと、
話は尽きません。

この地で困難に立ち向かっている人の生の声、
年月を経て、淡々と語れる彼らに、
聴いている私の方が胸が詰まってきます。



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福島レポート2017(除染情報プラザ、飯館村)

2017-06-13 | 東日本大震災
東日本大震災、福島第一原発事故から7年目の福島を訪ねました。
福島駅そばの「除染情報プラザ」からスタートです。
ここは除染や放射線に関する最新情報を伝える拠点、

放射線の測定を、実際の機器を使って体験できるコーナー、
この場所は0.05μ㏜/h(マイクロシーベルト)でした。

除染作業の様子伝える模型、

除染や放射線に関する疑問をわかりやすく解説した、まんが「なすびのギモン」
放射能について勉強不足を反省させれれるコーナーでした。

川俣町から飯館村へと車を走らせました。
緑の山々がきれいな村、でも悲しい光景です。
目につくのは、黒く大きい土のうの山、袋を覆うシート。
除染により取りのぞいた除去物を積みあげた仮置き場がいたるところにあるのです。
飯館村の仮置き場は96か所、約233万個の袋のうち
焼却場や中間貯蔵施設へ移された袋は5%に過ぎないのです。(除染情報プラザ資料より)
民家や田畑はきれいに除染されていますが、隣接する山林はまだ・・・。

「もりの駅まごころ」には
「リアルタイム線量測定システム」が設置されています。
0.421μ㏜/h(マイクロシーベルト)

福島第一原発から50キロも離れた飯館村、
水素爆発のあった3月12日、この村に避難所が設けられました。
しかし、風はこの村に悪魔を運んだのです。

情報が行き届かない怖さ、
全村避難となったのは事故から1か月以上経った4月22日でした。
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