家の裏でねこを遊ばせていたら、
飛行機の音。
わたしは、飛行機の音を聞くと、
ついつい空を見上げて、
機影を探さないと気が済まない性格。
ちょうどねこを撮ろうと、カメラを持っていたので、
200mmで追っかけました。
ファインダーを覗いている間に、
ちょっと傾いて、
機体の上半分が黒く見えました。
あ、スターフライヤーだ!!
”黒い飛行機という、非常識”
下から見ると、何だかイルカみたいな感じ。
北九州空港に下りる飛行機です。
このとき、15時28分。
後で調べたら、15時40分に空港到着。
すごい、ここからたった12分で
北九州空港に着いちゃうんだ。
赤福の話から、京都に行きたくなったと、
12日のブログに書きましたが、
偶然にも昨日や今日のネットや新聞に、
「最難関、決意の『堂入り』比叡山・千日回峰行の星野さん」
というニュースが載っていました。
実は、わたしにとって京都以上に心惹かれる場所として、
この「比叡山」があるのです。
比叡山には、二度ほど行きました。
ちょうど、その頃部活で「文芸部」副顧問をしていて、
旅行をした時には、毎月発行していた文芸誌に
旅行記を載せるのが恒例となっており、
そのために書いた文章が残っていたので載せてみます。
2001年7月
~略~
21日は比叡山へ。ほんとだったら、バスや電車を乗り継いで行くはずだったが、京都の知人Yさんは、当然のことのように私たちを比叡山に自家用車で連れて行ってくださった。
比叡山にはあちらこちらに延暦寺関連の建物がある。そのうちのYさんお勧め、「明王堂」に一緒に行った。駐車場からゆるやかな下り坂の道を延々と歩いて、無動寺谷の「明王堂」に到着。小さなお寺といった雰囲気であるが、ここは「*千日回峰行」の根拠地となっているところだそうである。
ここで、お参りをして、護摩に名前と願いを書いた。ほんとは自分の書いた護摩が焚かれたときの炎を見た方がもっと御利益があるらしいが、この日はされないようなので、諦めた。
そして翌日の朝、世界遺産である、比叡山三塔十六谷三千坊の中心、延暦寺の総本堂、「根本中堂」を訪れた。伝教大師が延暦7(788)年に一乗止観院として創建したものである。靴を脱ぎ、門をくぐり、更に廊下を歩き、建物の中に。開創以来1200年間燃え続けている「不滅の法灯」が暗い本堂の中に灯されていた。仏さまは、私たちがいる場所よりも一段低い場所に据えられていて、私たちは仏さまと目の高さが同じ。そんなところが普通のお寺とは一風変わっていたが、中の暗さといい、建物の古さといい、荘厳な感じに圧倒された。久しぶりに心静かになれ、お線香の香りに包まれながら、ずっとこの「根本中堂」にたたずんでいたいような気にさえなった。
初めはロテル・ド・比叡に宿泊するための「比叡山行き」だったが、後から思えば、歴史の教科書でしか知らなかった、この比叡山延暦寺の偉大さを目の当たりにできて良かったし、また、いろいろあって不安定になっていたわたしの心をこの「聖山」が静めてくれた。
*千日回峰行
この原稿を書いていたときに、ちょうど「読売新聞」(9月6日)に「ルポ 癒しの行」というタイトルで比叡山が載っていた。内容を要約すると・・・回峰行とは、天台宗の修験行で、千年前の相応和尚に始まる。現在の「千日回峰行」は「山中を百日単位で礼拝する『山廻り七百日』」「断食断水・不眠不休で九日間堂中に籠もる『堂入り』」、さらに「京都へ下る『赤山苦行』」「市中を巡る『京都大廻り』」と続く。この難行を満行すると「阿闍梨」様となれる・・・ということである。
2004年10月
~略~
比叡の旅は10月10日に決まった。朝の6時過ぎに家を出て、車で新山口に向かった。おしゃべりをしながら高速道路を走っていたら、下りる予定だった山口南ICをいつの間にか通り越していて、小郡ICまで来ていた。運がよければ、予定より一つ早い”のぞみ”に乗れるかと思ったが、連休ということもあり、指定席はゼロだった。結局、最初に予定して、チケットを取っていた”レールスター”に乗り、一路関西へ。京都で新幹線から在来線の湖西線に乗り換え、20分足らずで、比叡坂本駅へ。自宅を出発してから、約4時間で、思い続けていた比叡へ到着した。比叡山鉄道のケーブル坂本駅までタクシーで向かい、ちょうどタイミングよく延暦寺駅行きのケーブルカーに乗ることが出来た。ケーブルカーの往復乗車券には、「縁」と「福」の文字があり、2台の上り下りのケーブルカーの名前が「縁号」と「福号」だと車内で説明があった。この乗車券だけでも、なんだかとてもありがたい気がした。
延暦寺駅に到着して、乗客のほとんどは右側の道を、延暦寺目指して歩いて行ったが、これからマニアックなことを計画しているわたし達は、左側の下りの坂道を歩いて行った。わたし達の他には、少し前を年配の女性が歩いているだけだった。15分くらい歩いて、目指す”明王堂”に到着した。3年前の夏、Yさんにここへ連れてきてもらって、とても心惹かれるものがあったので、延暦寺以上にもう一度行きたい場所であった。到着したのは11時少し前。以前来た時は、ほとんど人がいなかったが、きょうはこの狭いお堂に人が十数人、正座しているようだ。何が始まるのかと、不安だったが、せっかくここまで来て、やりたいことをしないで帰るなんて事は絶対出来ない。近くにいた、この場所に慣れていそうな女性に「入ってもよろしいんでしょうか?」と尋ねたら「どうぞ、どうぞ」というような答えが返ってきた。少し躊躇しながらも、靴を脱いでお堂の中に入った。ここでやりたかったことは、「護摩」に願い事を書くこと。いまわたしの家族には病人がおり、病気が治るようにという願いを書きたいというのが、この旅の一番の目的だった。「護摩」は幅2センチ・長さ20センチくらいの角材で、マジックで願い事と満年齢、名前を書くのである。自分も体調の悪い時があるので、自分のをはじめ、家族全員のを1本ずつ書いた。お堂の中で何かが始まりそうだったので、急いで護摩を書いたが、それが終わるか終わらないかの内に、なんと、阿闍梨さま登場!お経が始まり、わたし達もその渦に巻き込まれていった。唱える言葉は、「ナーマク。サーマンダバサラナン。センダ。マーカロシャーナ。ソワタヤ。ウンタララタ。カンマン。」 意味など全く分からないが、カタカナで紙に書いたものがお堂内に貼ってあったので、40~50分間この言葉を延々と繰り返した。自分たちの書いた護摩も阿闍梨さまの手によって、火の中に放り込まれ焚かれた。終わり頃に、阿闍梨さまがお経を読みながらひとりひとりの両肩と頭にお数珠を軽く当てて歩かれた。とてもありがたい感じがした。長い長いお経の時間が終わって、少々足もしびれかけ、お堂の外に出た。さあ、それでは、延暦寺の根本中堂へ参ろうかと思った時、近くのお坊さんから、「阿闍梨さまがお待ちですので、どうぞ」と、少し坂を下ったところにある家屋へ案内された。何が起きるのか分からないまま、流れに逆らうことも出来ず、お堂の中で1時間近くを一緒に過ごした、十数名の見知らぬ人たちとその案内された場所へ向かった。玄関につくと、すぐ左の部屋に昼食の準備がされていた。何も知らずに来て、一緒に行ったMさんと二人、「どうしよう、どうしよう」の連発。まったく予想外の展開に戸惑い、不安になった。しかも、後ろの方をついて行ったので、Mさんとは席が離ればなれ。座布団に座り、目の前に置かれたお膳のお料理を食べるハメになった。部屋の真ん中の前には、阿闍梨さまも座られて、一緒に食事を召し上がるようだ。お料理は、白飯・赤だしみそ汁(豆腐とわかめ)・大根の漬物2枚・おからの炊いたもの、そして、ちょっとこの場には似つかわしくないじゃがいものコロッケ。でも精進料理には間違いない。場違いなこんな緊張の中で、味わう余裕もないが残すのはとても失礼だと、喉通りは悪いながら一生懸命食べた。やっと、食べ終わってちらっと隣の席のおじさんを見ると、なぜか一枚だけ大根の漬物を残している。なんで、一枚だけ残すの?と不思議に思ったが、これが、とても大きな意味を持っていたのである。ほとんどの人が食事を終わらせると、すかさずお坊さんの手によりお茶が運ばれてきた。隣のおじさんは、運ばれてきたお茶を各器に少しずつ注ぎ、残した一枚の漬物と箸で器を洗い始めた。わたしは、焦った、焦った。仕方ないので、箸だけで洗うふりをして、その場をしのいだ。作法を何にも知らずに来て、ほんとに恥をかいた。でも、これでこの緊張からは解放されると思ったがそれは大きな間違いであった。まだまだ、解放はされなかったのである。こんどは、「お隣のお部屋で阿闍梨さまとお茶を」と案内された。廊下からちらっとみると、皆、心付けを差し出している。まだ「どうしよう、どうしよう」が始まった。近くにいた、お坊さんに尋ねると、半紙を二枚持ってきて、これにお金を包んで、「上」と書き、後ろに自分の住所を書くと良いですよと教えて下さった。言われた通りにして、入りづらいながらも、皆と一緒に四畳半くらいの部屋に座り、阿闍梨さまの点てて下さったお茶を、これまた緊張しながらいただいた。わたしは、恥ずかしいことに茶道の作法もちゃんと知らないので、周りの人をちらちら見ながら、お茶をいただいた。阿闍梨さまは、皆に「お茶会ではないので、作法は必要ないですよ。だいたい、お茶会だったらわたしがこんな胡座をかいて、お茶を点てたりはしませんよ」と、案外気さくである。中に常連の方もいらっしゃって、世間話も始まり、そのうち阿闍梨さまはタバコを吸い始められた。崇高な阿闍梨さまといえども、こんなところは普通っぽいなぁと、少し緊張が緩んだ。どれくらい経ったのか、ある一人が、「すみません。用がありますので失礼させて頂きます」と立ち上がったのをきっかけに皆が「それでは、これで」と口々に言って、退席した。これで、こんどこそやっとこの緊張から解放されると思い、ほっとした。帰りに玄関で、お下がりのりんごと良い香りのお線香一箱をいただいた。阿闍梨さまのお名前を知らないままで、これがとても気がかりだったから、帰ってからYさんに尋ねたら、 四十八代・上原行照大阿闍梨さまではないかということであった。
わたしは普段、決して宗教に凝っている訳ではないけど、
何かにすがりたいと思った時は、神様・仏様に助けを求めてしまいます。
ちなみに、我が家は、曹洞宗。
また、比叡山を訪れてみたいです。