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未熟な社会性~耐震強度偽装疑惑~

2005-12-23 22:16:48 | 風景
 今日、伊丹空港から空港バスに乗って三ノ宮へついたときのこと。普段よりもちょっと手前で停車したような錯覚を覚えながら、バスから降りるときに、運転手の方に「もうひとつ向こうに止まるところありましたっけ?」と普通にたずねたら、「ありません。」とにべもない返事。人が丁寧にものをたずねているのに、もうちょっとというか当たり前のマナーとして「いいえございません。お客様ここが終着です。」ぐらい言えんか?

 空港バスの運転手は運転だけしてれば、愛想が悪くてもいいのか?空港から街中へのバス、もちろん街中から空港へ人を送り届ける役目のバス。旅の終わり、旅の始まりそれぞれの人がそれぞれの事情で旅をしているのだ。そんな中でなんとも印象の悪い、いやはっきりいって、”気分を害す”ような対応というのは、なんともなぁと。

 結局その運転手の仕事観がそのまま出たのだろう。「俺は運転するだけ。それ以外は関係ねー」などという価値観がそのまま態度や考え方に出てしまったのだろう。

 いま社会を賑わしている、”ええかげんな仕事のやりかた”をする人たち。「圧力かけられたからやった、住むのは俺じゃないから、まあいいか」と思ったかどうかは知らないが、おおかれ少なかれそんなものなのだろう。会社や企業が最低とらなければならない社会的責任の放棄に近い状態だ。そういう人たちは社会に参加してはいけない。即退場すべきである。

 この運転手もやったことはたいしたことではないが、根底に流れている”未熟”な考え方は同じである。

 人は結局社会との係わり合いの積み重ねで成長してゆくものだが、社会の中での自分を意識する機会が少なかったり、極端に避けたりし続けると、”常識”に欠ける態度をなんの悪気もなくとってしまう。会社もこんな”あほ”社員を使わなければならないのだとしたらかわいそうなものである。

 当たり前のことを当たり前にやる。

 当たり前とは何か?社会の中で当たり前とされていることを、ある人はそれを、”儲けるが勝ち”というし、べつのある人は”利益の社会への還元”という。この事でさえ、「さまざまな価値観があるからなぁ」などという人が居たら、先行きが恐ろしい。
もう一度勉強しなおすべきである。


 

 
コメント
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