光市の事件の判決が広島高等裁判所であったが、弁護団が即時上告したそうだ。
被告には裁判を受ける権利はある。でも弁護団は自分たちの仕事のために仕事をしてはいけない。
なぜ弁護をしなければならないのか?
それは権利だからか?
そういうことが仕事だからか?
弁護の主人公はだれだ?
弁護士か?
いやそうではないだろう。
弁護団が自らのことを「意見が割れても、一つの方向に行った。こういう弁護団であることを誇りに思う」と言ったそうだが、何言ってるんだこいつ?
20人以上の弁護士がつくってどういうことだろうか?弁護士っていったい何者だ?
刑事裁判でいつも思うのは、「弁護士」達の発言だ。北九州の飲酒事故にせよ今回の事件にせよ、犯罪を犯した容疑者あるいは犯人と被害者あるいは被害者家族が本当は事件の第一者であり第二者である。
それを「法律」に基づいて処罰するかどうかの為に「検事」と「弁護士」と「裁判所」が存在する。つまり、「事件という事実」があって、その事実が真実なのかどうかという点の評価と、その事実の背景となった環境やいきさつがどうだったのかという点の評価には言及することはあったとしても、それを夢物語のようにしてまで作りあげて弁護することは弁護士の仕事ではない。また検事が事実を裏付ける証拠をそろえる必要があるのと同じように、弁護士も証拠が必要なのは、そういう「作りあげ」を避けるためでもある。
この「作りあげ」のことを「ねつ造」というが、それは検事も弁護士もやってはならない。
ところで、判決に関係なく、この被告はどのように罪を償うつもりでいるのだろうか?自らの犯した罪は、自分がどんな精神状態だったかに関係なく、事実として残る。それをどう捉えているのだろうか? たくさんの言い訳をして、それを認めてもらえたとして、それはいったい何のためなのだろうか?弁護団はそれでどうしたいのだろうか?いったい弁護団は何を勝ち取ろうとしているのだろうか?弁護団は誰のために控訴したんだろうか?弁護団の自己満足の為にやっているのだとしたら、この弁護団こそ恐ろしい存在だ。
最近の弁護士や弁護団をみていると、自己欺瞞という言葉が頭をかすめる。
被告には裁判を受ける権利はある。でも弁護団は自分たちの仕事のために仕事をしてはいけない。
なぜ弁護をしなければならないのか?
それは権利だからか?
そういうことが仕事だからか?
弁護の主人公はだれだ?
弁護士か?
いやそうではないだろう。
弁護団が自らのことを「意見が割れても、一つの方向に行った。こういう弁護団であることを誇りに思う」と言ったそうだが、何言ってるんだこいつ?
20人以上の弁護士がつくってどういうことだろうか?弁護士っていったい何者だ?
刑事裁判でいつも思うのは、「弁護士」達の発言だ。北九州の飲酒事故にせよ今回の事件にせよ、犯罪を犯した容疑者あるいは犯人と被害者あるいは被害者家族が本当は事件の第一者であり第二者である。
それを「法律」に基づいて処罰するかどうかの為に「検事」と「弁護士」と「裁判所」が存在する。つまり、「事件という事実」があって、その事実が真実なのかどうかという点の評価と、その事実の背景となった環境やいきさつがどうだったのかという点の評価には言及することはあったとしても、それを夢物語のようにしてまで作りあげて弁護することは弁護士の仕事ではない。また検事が事実を裏付ける証拠をそろえる必要があるのと同じように、弁護士も証拠が必要なのは、そういう「作りあげ」を避けるためでもある。
この「作りあげ」のことを「ねつ造」というが、それは検事も弁護士もやってはならない。
ところで、判決に関係なく、この被告はどのように罪を償うつもりでいるのだろうか?自らの犯した罪は、自分がどんな精神状態だったかに関係なく、事実として残る。それをどう捉えているのだろうか? たくさんの言い訳をして、それを認めてもらえたとして、それはいったい何のためなのだろうか?弁護団はそれでどうしたいのだろうか?いったい弁護団は何を勝ち取ろうとしているのだろうか?弁護団は誰のために控訴したんだろうか?弁護団の自己満足の為にやっているのだとしたら、この弁護団こそ恐ろしい存在だ。
最近の弁護士や弁護団をみていると、自己欺瞞という言葉が頭をかすめる。