18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

120年がもうひとつ

2009-10-11 18:25:00 | ニュース
 前回のブログで、記者クラブ制度について書いたけど、それと同じく120年も続いている意外なものが、電話番号案内。

 へぇ~って感じですね。


 産経新聞の記事で、104(番号案内)の利用数がこの5年で半減というニュースが報じられていた。

 
 半減って言ってもあんまり驚かなかった。インターネットがこんなに普及して、そもそもi-modeでも電話番号を調べられるし、各社ホームページを持っているから当然といえば当然。

 さらに、携帯電話って、当然のごとく電話帳機能が搭載されているし、友達から電話番号をメールで教えてもらってもそのまま保存しておけばいいわけで、半減の要素は十分に世の中に広がっている。


 
 なので、驚いたのは120年前から電話番号案内があったって方。

 当時はどんな案内だったんだろう。



 ちょっと調べてみようかなぁ。コネタで使えるかも。








2020年オリンピックに広島が

2009-10-11 16:44:00 | ニュース
2016年のオリンピック誘致活動ののぼりが色あせて見える東京の町に、広島からこんなニュースが届くとは思わなかった。




ついこの間のニュースだったが、東京が2016年のオリンピック開催地選考で落選した最大のポイントは、「大義」だといわれている。




つまり、「なぜ、東京なのか?」が説明できなかったというわけだ。





1964年の東京オリンピックは「アジア初」と「戦後の奇跡の経済成長」の象徴としての大義があった。ヨーロッパから見れば「あの日本が」ここまで平和を目指し経済成長を遂げたという復興の象徴としての意義があったのは事実である。



加えて言えば、当時東京オリンピックのロビー活動を押さえてくれたのは、第二次世界大戦中アメリカに居た、日系2世の人たちだった。



1964年の候補地を決める活動は今と同じく1956年~1957年の時期。終戦が1945年でそれから内地への帰還がおおよそ終わるのが1948~49年。そこからたった10年後の時期だったわけだから大したものである。




当時の日本はとてもとても貧乏な国で同じように経済発展途中の国々と相通ずるものがあった。「日本に投票してください。」とお願いする相手の国々も日本と同じような経済発展途上だった。特にメキシコの存在は大きく、日本は交換条件としてメキシコ立候補のときには協力を惜しまないという約束をしている。



世界のどの国もまねできない経済成長を終えた日本には、もはや大義は存在しなかったというのが、もっとも大きな敗因だったのは間違いないといって良いだろう。なにせアメリカ(シカゴ)が一番最初に落選してしまったことから見れば、大義なき立候補は支持されないことが分かるというものだ。




そして結果といえば、やはり治安の面で不安があろうが、大義があるほうが勝つことが証明している。




そして今回の広島の立候補。



2020年に向けて広島・長崎の果たす役割、つまり「大義」が厳然とあり、しかも多くの地元の人たち、さらには核廃絶を訴える世界中の人たちをも賛同者に巻き込めるとあらば、かなり高い確率で開催地を勝取れると想像できる。




2020年のオリンピックに東京が勝つ可能性よりも、広島のほうがはるかに高いと思うのだがどうだろう。



オンザウェイジャーナル

2009-10-11 07:58:00 | ノンジャンル
 今朝、ラジオ番組「オンザウェイジャーナル」で、記者クラブの話が出ていた。

 この番組によると記者クラブ制度は120年の歴史があるという、世界文化遺産モノの価値があるらしい。

 きっかけは120年前の第一回衆議院議員選挙。

 薩長の予想を覆して、民権派議員が議席を獲得。その背景には新聞社による論調があったとして、危機を感じた薩長族は取材を一切シャットアウト。しかしそれに対して猛反発して獲得した制度がこの記者クラブというものらしい。

 しかし今ではこの記者クラブ。まったく逆のことをやっているらしい。

 「逆」とは、つまり記者クラブ自らが取材するメディアに制限をかけてしまっているらしい。


 この放送の中で、「小渕政権」の頃、海外のメディアが小渕氏に直接取材許可をもらってインタビューさせてもらうことになった。しかし小渕氏は首相であることから、首相動静の点から、記者クラブに「小渕首相にインタビューしますよ」という連絡を入れた。そうしたらそのクラブは緊急の会議を開いて「取材を許可しません」と連絡してきたというのだ。





 え?





 本人がOKって言ってるのに?




 この海外メディアの日本支局長は、猛烈に抗議していたが、その途中で小渕首相がなくなられたのでこの問題は結局このままとなった。






 民主党政権が、「官僚主導」「官僚支配」から「政治家主導」といっているが、その“監視”機能としてのジャーナリストがとても「官僚的」というのは、なんとも皮肉な話である。





 
 「官僚」とは「権力」があるところに生まれる、垢のようなもの。決して自浄力が機能することはない。