18年にもなりますか

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世界の中心で、愛をさけぶ

2005-12-10 15:51:13 | 映画
 2004年に公開されて、ブームにもなった「世界の中心で、愛をさけぶ」をDVDレンタルで観た。

 原作本は読んではいないが、本当に胸が強く締め付けられてしまう、強烈な映画だ。
 まだ観ていない人は、まずはレンタルしてきて観ることをおすすめする。

 映画を観ていて思ったのは、自分がもし大人になった主人公の朔太郎の立場になったとき、高校時代にお互いに想い合ったままで死んでしまったの彼女”亜紀”との交換日記ならぬ交換カセットテープを結婚を前に聴くことになったとしたら、いったい自分はどんな気持ちになるのだろうということだ。そう想像しただけで複雑な思いが心の中で激しく交錯してしまう。

 高校生のまだまだ純粋に相手の事を想い合う気持ちだけが強い二人の結びつき。その時、二人が過ごしたその時の、そのままの時の”声”がテープから流れてくる。お互いの事を思いつつ吹き込んだカセットテープ。そしてこのテープから流れてくるその時の一つ一つの言葉。相手への気持ちが込められた生前の肉声なのだ。

 テープを聴くことで、朔太郎の中に再び蘇るその時の感情と、自分ではどうしようもできない、悔やんでも悔やみきれないでいる彼女を失った気持ち、そしてその気持ちに代わるものを見つけられず、埋めることができないままで居る朔太郎のこころの中の空洞。

 もしも、自分にそんなことがあったとしたら、恐ろしく胸が締め付けられるだろう。自分の中にあるまだ吹っ切れないままでいる、死んだ彼女に対する気持ちを、そのテープが、より強く印象的に今の自分の胸に再び蘇らせるなんていうことがあったら、自分はいったいどれほど普通に居られるだろう?

 あらためて、腹の底から大声で叫んで、その気持ちを胸の中からはき出したい気持ちになる。それでも、はき出しきれない気持ちは、恐ろしい力で胸を締め付けて、心を揺さぶり、強く心の中に渦を巻く。止めどなく涙が溢れ出し止めることなどできない事だろう。
 この映画は、そんな”朔太郎”の心の叫びを、二人の女性、”亜紀”と”律子”の運命的に絡んだ糸をほぐしながら、展開され、観る者の感情を強く揺さぶる。

 あまりに強烈に”朔太郎”の気持ちが伝わってきたので、映画を観で後数日経った今でもまだ心の隅っこにその感情がくすぶったままのような感覚が残っている。本当に”きつく”心を締め付ける映画だ。

 こころをこれほどにも揺さぶる映画は久しぶり。心の揺さぶられ度180%、映画としては100点満点で95点ぐらいか。ちょっと甘いかな。

キャスト:大沢たかお、柴咲コウ、長澤まさみ、森山未來、山崎努



Deep Love アユの物語

2005-12-08 01:06:51 | 映画
 邦画はあんまり見ない方なのだけども、DVD化された娯楽系をちょくちょくレンタルDVDで借りてみることがある。このDeep Loveアユの物語もその一つだ。

 損だとか得だとか、お金持ちだとかそうでないとか、人間が大人になって行く課程で、人が生きてゆく中で本当は大切に育ててゆかなければならない「心」がいまの社会で如何にないがしろに扱われているかがわかる一つの映画だと言える。

 さしたる目的もなく毎日を過ごす若い命。本当に目的があって生きているのだろうかと思える大人たち。どこかぎくしゃくしている世間。昔よりも心のふれあいが少なくなっている社会。それが故に、純愛物の映画やドラマが受けたりする。

 社会人になってもサークル活動やアフターファイブの習い事、スポーツジム通いも、人が人の中で自分という存在を確かめる為の時間を過ごしているように見える。大人になっても真の心の交流を求めてやまないのではないかと思える。

 大人も子供も「心が渇いている」そんな社会そのものをアユという少女に変えてこの映画ではストーリーが進んでゆく。

 自分をさめた目で見る一方で、こころの寂しさを埋めきれないでいる。だから、何か、ほんのちょっとのきっかけさえあれば実は人は変ることができるはずという問いかけで全体が展開されてゆく。

 映画の中での大きなポイントがおばあちゃんとの出会いだ。おばあちゃんとの出会いからあゆの心のちょっとした変化がおきるのだが、私たちの多くが、このほんの些細な心のふれあいに気づかないでいることが多い。アユはこの出会いで、少しずつだが”素直に”自分のこころを晒すことができるようになる。はたして私たちはどれほど、アユのように”素直な”自分になれたり、心をさらけ出したりできるのだろうか?そう考えてしまう。

 その後、ストーリーはアユを取り巻くさまざまな人達の”生や死”を通じて、アユの生きる目的探しの舞台が用意されてゆく。

 そして義之との出会い。それをきっかけにアユは生きる目的を知る。

 それからについては映画をごらん頂きたいが。映画そのものは淡々と進んでゆくごく普通のドラマなのだが、微妙なトーンで心の重なり合いが描かれていることに、多くの若い人たちの心には強く響いたのは、それだけ若い心には素直さが残っているのだろう。つまりおおくの”アユ”達が、こころの寂しさを感じ、こころのふれあいを待っているということを物語っている。心のふれあいに鈍感で、その寂しさをうまくごまかすすべを知っている大人には、もはや得ることのできない”素直さ”が多くの若い命にはあるのだろう。

 そう考えると、このぎすぎすした社会は、いったいだれが作っているのだろうか?とふと思わずには居られない。

 Deep Love アユの物語 小説もお薦めする。