「信太妻」の一節に、次ぎのような記述がある。
『頃しも今は、秋の風、梟(ふくろう)松桂(しょうけい)の枝に鳴きつれ、
狐、蘭菊(らんぎく)の花に、蔵れ(かくれ)棲むむとは、古人(いにしえびと)の伝えしごとく、
この女房、庭前なる、籬(まがき)の菊に、心寄せしが、咲き乱れたる、色香に賞でて(めでて)
ながめ入り、仮の姿をうち忘れ、あらぬ形と、変じつつ、しばし時をぞ移しける』東洋文庫説経節P286
古典が残す言葉から、現代人がイメージを勝手に創って行くと、(私がということだが)時としてどんでもない勘違いをすることがある。というか、しょっちゅうある。
先日、八郎兵衛師匠から、この一節の「蘭菊」は、「菊」じゃないって知ってた?と言われて、びっくりした。「らんぎく」という音と、「咲き乱れ」からして、「乱菊」(長い花びらが入り乱れて咲いている菊の花。写真下)をイメージしていたからである。舞台道具としては、いわゆる野菊といった風情のものを使っているが、これも勘違いの原因。
しかし、よくよく考えてみれば、手間隙かけて作る「乱菊」が野山にある訳がないし、山賤(やまがつ)の埴生の小屋(みすぼらしい小屋)の籬に「乱菊」が鎮座しているのも奇妙な想像である。まあ、野菊が群生している程度の想像はおかしくはないかも知れないが、恥ずかしい限りである。
蘭菊とは、段菊とも言われるクマツヅラ科(シソ科とも)の多年草の草のことであるという。そこらあたりに生えていないかと、しばらく探し回ったが、近辺の野山には、狐が隠れ棲むような所はないようである。狸は結構見かけるのだが・・・。そこで、花屋に行ってみると、なんと「だんぎく」が売っているではないか。その草は、なるほど、名前の通り、段々に紫の小さな花をつけている。しかし、もう花の盛りは残念ながら過ぎたという。多年草なら、来年また可憐な花を付けるだろうと、玄関脇の日当たりのよい所に植えてみた。(写真上)
さて、この蘭菊の「色香」であるが、確かに菊の様なほのかな香があり、ほんのりと甘い感じがする。なるほど、狐葛の葉は、この香に慣れ親しんでおり。狐が好む香なのかと納得した。色は、ピンクの物もあるようだが(突然変異の系統らしい)、やはり狐が目にしたのは「紫」だったろう。蘭菊の群生の中を狐が、うっとりと彷徨う姿を思い浮かべた。
さて、籬の菊は、舞台道具に使われている一般的が野菊なのだろうか?それとも蘭菊なのだろうか?注意深く記述に則して読むと、狐の棲みかが蘭菊の中にあるのであって、この埴生の小屋に蘭菊があるとは書いていない。狐葛は、籬の「菊」の香に誘われて、懐かしい棲みかの甘い香りを思い起こしたために、本性を現してしまったのだと解釈して良いのだろう。であるので、舞台道具の籬の菊は、一般的な野菊で良いのだと思った。実物に当たって調べてみることの大切さを改めて痛感したことである。
ところで、段菊の科目である「クマツヅラ」は「熊葛」と書く。「つづら」あるいは「かずら」は「つる」にかかわる総称でもあるが、漢字は「葛」である。これは偶然なのか?説経語りは、そこまで考えて「葛の葉」の話を創ったのだろうか?説経節にはこうした不思議な符合が隠されており、奥深いと感ずる。まだまだ、知らないことが沢山ある。説経節探検は続く。