猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん ③

2011年10月29日 22時36分59秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん その3

 九百九十九人の后達は、自分たちの計略が成功し、大王が内裏にお戻りになられたので、やっと溜飲を下げ、九百九十九人の后達が集まって喜び合っておりますと、またまた蓮華夫人がしゃしゃり出て、

「まだ終わったわけではありません。王子が誕生して、悪の験(しるし)が無ければ、ごすいでんが第一の后になってしまうことには変わりはありません。大王様が、ごすいでんを去られている間に、兵を使ってごすいでんを山中に連れ去り、殺さなくては安心できませんぞ。」

 この恐ろしい企てに、異を唱える后も無く、そうだそうだと、密かに兵を集めると、蓮華夫人は、

「いかに、なんじら、ごすいでんの孕ませたるは悪王子であるので、ごすいでん諸共に殺してしまえという宣旨が下った。これより、稚児山の麓、鬼畜の谷、虎の岩屋に、ごすいでんを連れ行き、大王様から給わった、この剣で、殺害せよ。」

と、盗み出してきた秘蔵の御剣(ぎょけん)を手渡しました。驚いた兵達でしたが、宣旨とあれば、どうしようもなく、急ぎごすいでんに向いました。

 さて、ごすいでんでは、大王が去った後、またあのような鬼神がやって来たらかなわないと、上下三万人という召使い達も、我先にと逃げ去ったので、今では、野干が住み着くような有様となってしまします。一人取り残されたごすいでんは

「これは、なんという有様、こんな広い御殿に、我を一人捨て置くとは、局もない。」と涙ながらに、肌の守りの観世音を取り出すと、

「我が身のことはともかくも、胎内にある王子の誕生、行く末を守ってください。」と深く祈っておりました。

 かかるところに、兵達は、ごすいでんに乱れ入り、

「ごすいでん、悪王子孕みし故、成敗せよとの綸言なり、急ぎお出ましなされい。」

と、声高らかに呼ばわりました。ごすいでんはこれを聞いて、

「なんと情けない、わらわを成敗とは、情けない大王様。」

と、その落胆の程は、例えるものもありません。

「心無き武士(もののふ)も、ものの哀れを知りなさい。しかし、おまえ達を恨んでも仕方ない、恨んでも飽き足らないのは大王の心。今朝、東雲(しののめ)のしとねで、又の逢瀬を誓ったのに、偽りの約束になりました。因果の巡る小車の、先の世の報いと思えば、恨むべきことでもない。現在の果は、過去の因、また、未来も又同じ事。」

と、白装束に改めると、真紅の袴を着けられて、しずしずと一間を出られました。御年十九才、辺りも輝くばかりの美しさです。

 密かに連れ出されたごすいでんは、兵士達によって、稚児山の麓、鬼畜谷の虎の岩屋まで連れて来られました。昨日までの栄華を思うと、そのいたわしくも美しい姿は、涙無しに語ることはできません。

つづく


忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん ②

2011年10月29日 13時16分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん その2

 喜んだ九百九十九人の后達は、博士を担いで、大挙してごすいでんに押しかけます。驚いた大王に、蓮華夫人は、

「この度は、ごすいでん様のご懐妊、誠におめでとうございます。后九百九十九人、そろってお祝いに参りました。王子様の誕生を願って、隣国「ケイホウ国」より未来八十年の間を見通せる陰陽の博士を連れて参りましたので、この博士に、王子か姫宮かを占わせみてはいかがでしょうか。」

大王は、后達の恐ろしい計略とも知らずに、博士に占わせました。博士は、占方を開いて長い間考えていましたが、やがて、

「王子様であることは確実です。」

と、申しあげました。これを聞いて、大王を初め公卿、殿上人皆、喜びの笑みを浮かべて安心しましたが、后達は、作り笑いをしながらも、目は恐ろしいばかりに博士を睨みつけ、博士の次ぎの言葉を、じりじりとして待っていました。いよいよ、堪忍した博士は、蓮華夫人の命令通り、やや震え声で、

「さりながら、太子ではありますが、悪王子にてあられます。御手には、悪という字を握り、誕生より百年間、世の中は乱れ、三歳の御時、鬼神が来て人々の種を断ち、七歳の御時、大王の首を切り、母御、大臣、公卿を刺し殺し、十歳の御年には、唐の王に国を奪われ、その時、王子も滅びるという占いが出ております。」

と奏聞しました。后達は一斉に、わっとばかりに顔を伏せ、含み笑いを噛みしめました。一転して、座はしらけ、ざわめきましたが、さすがは大王です。

「目出度くも占ったり、天竺の中でもこのマガタ国の主になる身は、普通ではすまされまい。その上、未だ生まれぬ前に死んだり、生まれても育たぬうちに死ぬこともあるのに、七歳まで王子と共に生きられることは、誠に仏の果報である。」

と、喜び、博士に沢山の褒美を与えました。

 さて、博士は、ほっとしながらも、ほうほうの程で、ごすいでんを逃げ出しましたが、門を出た途端に、血を吐き、目玉が飛び出て、口が裂け、狂い死にしてしまいました。

大王はこれを見て、

「目出度き王子を、そしった天罰。堅牢地神(けんろうじしん)に蹴り殺されたのも当然。」

と、いよいよご機嫌よく、御簾内に帰られたので、九百九十九人の后達は、がっかりとうなだれて、内裏に戻りました。

Photo

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</shape> 内裏に戻った九百九十九人の后達の憤りは頂点に達し、一間に群衆した形相は凄まじく、髪を逆立てた有様は、最早、鬼という外はありませんが、その日の夜半、真っ赤な着物を着て、顔も真っ赤に塗り上げて、腰に太鼓を結びつけると、暗闇の中を、金輪の燭台に火を灯して、しずしずとごすいでんに押し寄せる有様の不気味さは、例えようもありません。やがて、鬼のような一群はごすいでんを取り囲み、御殿を崩すばかりに九百九十九の太鼓を打ち鳴らし、天地を響かせると、一陣の風が吹き、小雨も混じっておどろおどろしいばかりです。九百九十九人の后達の声もいつのまにかしわがれて、口々にわめきたてるには、

「ごすいでんの孕み(はらみ)たる悪王子、誕生ならば大王殺す

 四方山(よもやま)火炎となり神仏去る

 国は野干(やかん)の住み家とならん

 早や、早や、閑居いたされよ

 去らねば、禁裏の人々を

 三日の内に取り殺し

 大王の髻(たぶさ)つかんで虚空に昇らん

 王子誕生無き先に

 ごすいでん諸共に殺すべし

 さもないと、今生後生のたたりあり

 我こそ、堅牢地神なり」

 鬼神が現れたと、ごすいでんは大混乱となり、臣下達も、このような不思議なことがある以上は、早く内裏に戻った方が良いと進言したので、大王もつくづくとお考えになり、とうとう、仕方なく、

「さてさて、縁の無い王子の過去の因果はいかなるものか。名残惜しや。」

と、心ならぬ、ごすいでんとの別れを嘆き、最後の夜を過ごすと、暁の鐘とともに、大王は禁裏へと戻りました。

 引き別れさせられたごすいでんは、哀れにも、空しい床に一人残されて

「ああ、浅ましいことになった。最早、大王に逢うことも叶わない。恨めし浮き世やな。」と、絹のしとねに伏して、泣き崩れる有様は、言いようも無く、いたわしい限りです。

つづく


忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん ①

2011年10月29日 00時51分49秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん その1

 世界の中心である須弥山(しゅみせん)の南には、南閻浮提(なんえんぶだい)があり、その海岸に補陀落山(ふだらくせん)という観音の住む聖地がある。

 これを地理的に言うなら、ヒマラヤ山脈に南には、インド大陸があって、その南端には観音様が住むという補陀落山があるということになるだろうか。四百年前の説経師達は、この地理的な関係を、この物語の書き出しとして、日本においては、帝都より南に紀伊の国があり、その聖地熊野権現の由来を、インドの話に置き換えて語ろうとする。いったい、説経師達の意図はなんであったのだろうか?

 紀伊の国の熊野権現は、あまねく利生をほどこし、すべての人々の願いを聞き入れてくれるという、そのいにしえを尋ねれば、元々は中天竺(インドの中部)にあったマガタ国の大王でありました。

 現世での名前を、「千ざい王」といいました。玉を磨き、甍を並べた御殿に、一万の臣下、十万の殿上人が仕え、美しい都を統治されていました。さてまた、千ざい王は、千人の后を持ち、昼夜に御遊覧して、喜見城(楽園の例え)の楽しみとは、このことであると思われる程でした。

 しかし、大王は、楽園に暮らしながらも、世継ぎの王子が無いことが、唯一の嘆きでした。大王は、千人の后の中でも特に美しかった、末のお后「千王女」を特に寵愛しました。千王女は、容姿が美しいだけでなく、八歳の春より観世音菩薩に帰依して、三十三巻の普門品を毎日怠らずに読誦しました。その霊験が現れたのでしょうか、やがてご懐妊されたので、大王の寵愛はますます深くなりました。

 大王は、内裏から一里ばかり離れた千丈松原という山麓に、新たな御殿を建立すると、千王女を移し、「ごすいでん」と名付けました。大王は、ごすいでんに御幸されたまま、内裏に戻らなくなりました。

 内裏では、残り九百九十九人の后達が、集まって、嫉妬して憤り、

「大王様は私たちを疎んじて、すっかり顧みられない。まして、王子誕生ならば、我々が内裏の住まいは、有り甲斐もない。生まれる前に、ごすいでんを殺してしまえ。」

と、口々に叫ぶ有様は、浅ましい限りです。中にも蓮華夫人(れんげぶにん)という后の悪知恵には、

「隣の国に、四十年、八十年先を占う相人がいるので、占わせて、その上で、相人に頼んで、呪詛させましょう。」と小賢しくも計略をし、さっそく、その博士を、内裏に呼びつけました。

 陰陽の博士が、内裏に上がるやいなや、蓮華夫人は、

「まず、ごすいでんの懐妊は、王子か姫君かを占いなさい。」

と言いました。博士は、占方を開いて、しばらく考えると

「大変、目出度い事です。王子がご誕生されます。「米」と「宝」という字を左右の手に握り、ご誕生のその日から、百年間、世界は安堵し、三歳の年には悟りをひらかれ、七歳で東宮へお上がりになり、十歳の年には、唐、天竺を掌に納められるでしょう。さてさて、類稀なる王子様であられます。」

と占いました。これを聞いた九百九十九人の后達が、いよいよ、憎しみをつのらせたことは言うまでもありません。蓮華夫人は、

「この上は、ごすいでん、王子諸共に、呪詛して、呪い殺しなさい。」

と、言いますが、博士は、

「愚かなことを、かの太子は、未だ胎内にあるとはいえ、母子諸共に、百日の間、法華経を読誦して、毎日三巻づつの観音経も怠らずに読んでおられるのですから、どのような呪詛も効きません。法華経普門品には、還著於本人(げんじゃく おほんにん)とあるように、返って、ご自分に災いしますぞ。外に洩れ聞かれぬ内に、思い留まってくだされませ。」

と、道理を尽くして説得をしましたが、

「ごすいでんが、王子を生んだなら、一番末だった后が、第一の后となってしまう。そんなことは、見たくも無い。これから、大王の前で占い、太子を悪王子と奏聞して、九百九十九人の后の憤りを静めるのです。」

「とんでもない。」

と、博士は席を立ちますが、たちまち九百九十九人の后に取り囲まれ、押し倒され、

「博士、よく聞きなさい。九百九十九人の心は一つ。思い変えることはありませんぞよ。生きながら九百九十九人の鬼となる。ごすいでんに乱れ入り、太子諸共、ごすいでんを引き裂いて、それから、おまえの子孫、末孫まで取り殺してやるぞ。」

と、九百九十九人の后達は、たちまち顔色が変え、髪の毛を逆立てて、襲いかかってきます。その凄まじさに怖じけ付いた博士は、

「ああ、仕方ない、仏神、許してください。」

と、とうとう、嘘の奏聞を承諾してしまうのでした。

つづく