天智天皇②
その頃、左大臣有澄は、葛城の宮の名代として、白鬚明神へ参詣しておりました。数々
の珍味、美味をお供えなされ、社人、楽人が、糸竹を演奏する中、国家鎮護の儀式を執り行
っています。神主右近の大夫(だいぶ)が、六根清浄の大祓を切り払い、中臣が、三種の大
祓を執り行い、滞りなく儀式が終わると、御神楽が奉納されました。ところが、すべての行
事が終わりますと、社殿の下から、不思議にも白髪の翁が現れて、お供え物をばくばくと食
べ始めたのです。人々は、
「おお、正しく、白鬚明神が顕れなさった。有り難や。」
と、地に平伏して三拝するのでした。しかし、左大臣有澄は、にやにやしながら、
「何を馬鹿な。神というものは、慈悲をその正体として、人々の尊敬を食とするものだぞ。
白鬚明神が顕れて、お供え物を食うはずがない。どうせ、狐、貉が化けてでたのに違いない。
誰かある。」
と、言うと、執権金輪の五郎輝元生年十八歳が、さっと駆け寄って、翁を取り押さえました。
金輪の五郎は、
「何者だ、正直に申せ。そうでなければ、首を刎ねるぞ。」
と、詰め寄ると、老人は、ぶるぶると震えながら、
「やや、お間違いなされるな。金輪殿。私を、見忘れなさったか。私は、絵師の金岡です。
この度、宮中における美人揃えの絵姿を、誓詞を持って描きましたが、逆目の皇子は、ご息
女、花照姫殿へ横恋慕いたし、叶わないことを嫉み、私に、醜く描くように脅かしてきました。
断れば、命が無かったので、花照姫を醜く描きましたが、誓詞の罰が当たり、倅は、忽ちに
めくらとなり、私は、このように五体が竦んでしまったのです。そして、獄屋に押し込まれて
おりましたが、この社殿の裏に捨てられ、倅も、行方知れずとなりました。もう三日の間、
何も食べておりません。神へのお供え物を勿体なくは、思いましたが、仕方なく食した次第。
お許し下さい。」
と、涙を流すのでした。これを聞いた左大臣有澄は、
「なんと、お前は金岡か。神は正しい心に宿るものだ。お前は、邪(よこしま)な者に従っ
たから天罰を受けても仕方ない。例えどれほど醜く描こうとも、花照姫の生まれ付いての
容姿が変わるわけでもない。さて、しかし、後日の証拠の為に、金岡は、神主右近の大夫に
預け置くぞ。」
と言うと、都へ向けて帰って行きました。
さて、内裏では、斉明天皇が、美人揃えに出された、醜い絵に激怒なされておりました。
逆目の皇子は、しゃしゃり出て、
「左大臣有澄が、おのれの威勢をいいことに、あの様な醜い絵を、美人と偽って奏聞したこ
とは、上を軽んじ、行く末の逆心の現れと存じます。どうか世の中に正道をお示し下さい。