天智天皇④
さて一方、葛城の宮と花照姫は、九条(京都市南区)の辺りに潜んでおりましたが、逆目
の皇子の探索が厳しくなって、追い詰められて来ました。もう都には、居られないと思った
葛城の宮は、
「花照姫よ。もうこうなっては、いつまでも生き恥を曝しては居られない。お前と差し違え
て、この世の憂さを晴らすぞ。さあ、こちらへ。」
と言うと、姫君は、
「これは、勿体ないお言葉。こんなことを言っては、命が惜しいように聞こえるでしょうが、
お聞き下さい。先ず、よくお考え下さい。あなた様は、既に皇位に就かれておられるのですよ。
お命さえあるならば、必ず、返り咲くことができます。幸い、私の所縁の者が、伊勢の磯部
におります。(三重県志摩市)神野采女(かんのうねめ)と言う、大変頼もしい神職の方です。
この方を頼って、伊勢路へ落ち延びては如何でしょうか。」
と、涙ながらに訴えるのでした。この言葉に、葛城も思い留まり、伊勢路へと旅立つことに
なったのでした。
《以下道行き:省略》
(経路概略=滋賀県大津⇒石部⇒水口⇒地蔵院(三重県亀山)⇒鈴鹿峠⇒明星が茶屋(清めが茶屋)⇒宮川⇒外宮⇒内宮⇒朝熊山(あさまやま)⇒磯部)
磯部の浦に着くと、姫君は、
「若宮様、あそこに見える館が、尋ねる先です。私が行って案内を乞うてきますので、お待
ち下さい。」
と、急いで門番に案内を乞うと、丁度その時、采女が娘の榊の前を連れて、庭に出てきた所
でした。この様子を目にした采女は、侍に、連れてくるようにと命じました。采女は、花照
姫を見ると、
「みれば、身分のあるお方にみえますが、何のご用でいらしたのですか。」
と、尋ねました。花照姫が、
「大変失礼ですが、こちらは、神野采女様のお屋敷ではありませんか。私は、都の左大臣
有澄の一人娘、花照姫と申します。」
と答えると、采女は驚いて、
「何、有澄の姫君ですか。お名前はお聞きしていましたが、これまで会うこともありません
でしたね。いったい、何のご用で、これまでいらしたのですか。」
と心配顔です。花照姫は、涙ながらに、これまでの次第を話し、葛城の身分を隠すために、
「そうして、兄上と共に、ここまで尋ねて来たのです。」
と言うのでした。采女は、更に驚いて、
「それでは、有澄殿は、無実の罪で流されたのですか。私は、まったく知りませんでした。
私を頼りにしてくれて、大変嬉しく思いますよ。」