猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠③

2015年03月24日 17時44分53秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ③

 さて、哀れなのは御台様です。兵庫の妻子が供をして黒渕に隠れて暮らしていましたが、
「いったい、正成殿はどうなされたか。」
と泣くばかりです。若君達が、
「そんなに、歎かないで下さい。」
と大人しく慰めますが、涙は止まりません。兵庫の女房は、これを見て、
「なんと、お優しい若君達でしょう。父上さえいらっしゃれば、こんな苦労はしないで済んだのでしょうが、今となっては、どうか若君達が、母上を労りお助け下さい。」
と言うのでした。
 ところが一方、国友は、郎等の兼光(かねみつ)に向かい、
「聞くところによると、正成の妻子が、落ち延びたとの事。そのまま置いておいては、後の災いとなりかねん。捜し出して、殺せ。」
と命じるのでした。こうして、国友は、正成妻子の取り締まりの触れを出すと共に、辻々に高札を立てさせたのでした。しかし、十日ほども経ちましたが、何の効果もありませんでした。
 その頃、兵庫の女房は、所用の為に長谷に出て来て、高札を見て驚きました。
「ええ、何々。正成の妻、子供、あるいは浪人の所在を知らせる者には、例え、盗賊であっても、その咎を許して、所領を与える。国友。判。何と、恨めしい。このことを、早く御台様にお知らせねば。」
と、兵庫の女房は、黒渕に飛んで帰りました。この知らせを受けた御台様は、
「それが、本当であるならば、もうどうしようもありません。私は、兄弟を刺し殺して、自害いたしましょう。」
と、決心するのでした。しかし、兵庫の女房は、
「いえいえ、それはなりません。私に考えがあります。我が子の竹若と乙若は、幸い若君達とは同年で、恐れながら見た目もそれほど悪くはありませんから、梅若様、桜若様と、言えば、敵を欺くことができるかもしれません。」
と言うと、兄弟の子を呼び、
「さあ、お前達に頼みたい事があるのです。どんな事でも頼まれてくれるか。」
と、言うのでした。兄弟達は、
「何を言っておられるのですか、母上様。私たちは、母様の子ですから、どんな言いつけにも背きはしません。」
と答えました。兵庫の女房は、
「そうか、そうか。それならば、よく聞きなさい。これから、お前達兄弟を、長谷へ連れて行き、これが梅若、これが桜若と言って、敵の目を欺き、若君達をお助け申し上げる。だから、お前達の命を、この母にくれよ。」
と、泣き崩れるのでした。兄弟は、重ねてこう言って母を励ますのでした。
「これは、何より持って、目出度い奉公ができます。母上様。主君の命に身代わりする者は、我々だけのことではありません。漢の孝明帝王が敗戦の時、その子、屠岸賈(トガンカ)太子を山に隠し置いて、家来の程嬰(テイエイ)が、我が子のキクワクの首を敵に見せ、その後、屠岸賈が再び世に出た話しは、日本にまでも聞こえています。(※参考:曾我物語:杵臼・程嬰が事)若年ながら、君の命に替わる事は、何より持って誉れです。さあ、早く連れて行って下さい。」
兄弟は、勇ましく立ち上がりました。母は、
「よくぞ言った。兄弟達よ。」
と涙を抑え、長谷を目指したのでした。兵庫の女房は、一先ず、兄弟を隠し置いて、一人で番所に行くと、こう言いました。
「高札を見て、ここへ参りました。御上にお取り次ぎ願います。」
番所の者が、国友に報告すると、国友は喜んで、兵庫の女房を御前に通しました。国友が、
「お前は、何者か。」
と問うと、女房は、
「私は、正成殿の郎等、下原兵庫の妻です。今まで、山里に潜んでおりましたが、我が身の行く末を大事に思って、御上にご注進に参りました。正成殿の御子兄弟に人々は、あの山陰にいらっしゃいますので、どうぞ捕まえて下さい。その恩賞には、私の命をお救い下さい。」
と、注進するのでした。国友はすぐに、兵を差し向けました。やがて、兄弟が連れてこられました。国友はこれを見て、
「よしよし。早く、首を討ち落とせ。」
と、命じました。兄弟の頭は、白昼に刎ね落とされたのでした。この人々の心の内は、哀れとも何とも、言い様もありません。
つづく