しばらく、このシリーズの発表が停滞してしまったが、古浄瑠璃正本集から離れて居たわけでは無い。前回の32:「親鸞記」の後、正本(14)から順番に読み進めてはいたが、説経の焼き直しであったり、完本でない物、主観的に面白く無い物も含めて、訳出に至らなかったというのが実情である。
古浄瑠璃正本集第1の(18)は、「あかし」である。若狭守藤原吉次の作品として、正保2年、山本久兵衛板として出版された。この物語は、御伽草子「明石物語」の焼き直しであるが、ようやく訳出し甲斐がありそうである。
あかし ①
その昔、播磨の国に、明石左衛門重次(あかしさえもんしげつぐ)というお殿様がおりましたが、年取っても世継ぎがありませんでしたので、熊野権現に申し子をしました。祈誓の霊験が現れて、生まれて来たのは、男の子でした。その子は、成長するに従って、文武両道に人並み以上の能力を発揮しました。そして、十五の歳に、元服し、明石三郎重時(しげとき)と名乗ったのでした。次に、父重次は、重時の嫁探しをしました。津の国の多田刑部家高(ただのぎょうぶいえたか)が、器量の良い娘を持つと聞いて、使いを出しました。快諾の返事がありましたので、多田の姫君を重時の妻として迎え、二人は仲睦まじく暮らし初めましたが、父も母も、安心したのか、相次いで亡くなったのでした。
それから、3年が過ぎた頃、姫君は、熊野詣にお出かけになりました。この時、熊野には、七条天下の宮(又の名を高松の中将殿)が、同じく参籠されていました。天下の宮は、姫君の花の姿を見るなり、一目惚れをしてしまい、そのまま都に帰って、恋の病に伏してしまったのです。
天下の宮は、乳母の太夫に、
「軍勢を揃えて、明石を討ち、姫奪い取るぞ。」
と、言いましたが、太夫は、
「いえいえ、明石という者は、文武の名を馳せた武士ですから、そう簡単に、討ち破ることはできないでしょう。ここは、舅の多田刑部を呼び出して、姫を取り返す様に申し付ければ、嫌とは言わないでしょう。」
と、悪知恵を授けるのでした。天下の宮は、早速に多田を召し出して、
「やあ、多田の刑部よ。お前の聟の明石を討ち、姫をこの中将に嫁がせよ。その返礼には、播磨六カ国を与える。」
と、命じたのでした。多田の刑部は、これをお受けすると、飛んで帰り、四人の子供達を集めて、こう言いました。
「天下の宮様からの宣旨というのは、明石を討って姫をくれよという事であった。この命令を引き受けて来たから、お前達で、明石を討つ相談をせよ。」
これを聞いた、太郎は、
「父上の御諚に背くわけではありませんが、六カ国はさて置き、例え日本国をくれると言われても、婿殿を討つことなどできません。どうか思い留まり下さい。」
と、願い出ました。多田は、大変腹を立て、二郎に問い正すと、二郎も同じ返事でした。多田はいよいよ怒って、
「なんと不甲斐ない奴原じゃ。おまえたちを出世させる為に、色々知略を巡らせているというのに。ええ、今日よりは、親子の縁は切ったぞよ。」
と、言い捨てると、奥へ入ってしまったのでした。太郎・二郎の兄弟は、これを菩提の機会として、出家をすると、修行の旅に出てしまったのでした。この兄弟の心の内の哀れさは、何に例えん方もなし。
つづく
古浄瑠璃正本集第1の(18)は、「あかし」である。若狭守藤原吉次の作品として、正保2年、山本久兵衛板として出版された。この物語は、御伽草子「明石物語」の焼き直しであるが、ようやく訳出し甲斐がありそうである。
あかし ①
その昔、播磨の国に、明石左衛門重次(あかしさえもんしげつぐ)というお殿様がおりましたが、年取っても世継ぎがありませんでしたので、熊野権現に申し子をしました。祈誓の霊験が現れて、生まれて来たのは、男の子でした。その子は、成長するに従って、文武両道に人並み以上の能力を発揮しました。そして、十五の歳に、元服し、明石三郎重時(しげとき)と名乗ったのでした。次に、父重次は、重時の嫁探しをしました。津の国の多田刑部家高(ただのぎょうぶいえたか)が、器量の良い娘を持つと聞いて、使いを出しました。快諾の返事がありましたので、多田の姫君を重時の妻として迎え、二人は仲睦まじく暮らし初めましたが、父も母も、安心したのか、相次いで亡くなったのでした。
それから、3年が過ぎた頃、姫君は、熊野詣にお出かけになりました。この時、熊野には、七条天下の宮(又の名を高松の中将殿)が、同じく参籠されていました。天下の宮は、姫君の花の姿を見るなり、一目惚れをしてしまい、そのまま都に帰って、恋の病に伏してしまったのです。
天下の宮は、乳母の太夫に、
「軍勢を揃えて、明石を討ち、姫奪い取るぞ。」
と、言いましたが、太夫は、
「いえいえ、明石という者は、文武の名を馳せた武士ですから、そう簡単に、討ち破ることはできないでしょう。ここは、舅の多田刑部を呼び出して、姫を取り返す様に申し付ければ、嫌とは言わないでしょう。」
と、悪知恵を授けるのでした。天下の宮は、早速に多田を召し出して、
「やあ、多田の刑部よ。お前の聟の明石を討ち、姫をこの中将に嫁がせよ。その返礼には、播磨六カ国を与える。」
と、命じたのでした。多田の刑部は、これをお受けすると、飛んで帰り、四人の子供達を集めて、こう言いました。
「天下の宮様からの宣旨というのは、明石を討って姫をくれよという事であった。この命令を引き受けて来たから、お前達で、明石を討つ相談をせよ。」
これを聞いた、太郎は、
「父上の御諚に背くわけではありませんが、六カ国はさて置き、例え日本国をくれると言われても、婿殿を討つことなどできません。どうか思い留まり下さい。」
と、願い出ました。多田は、大変腹を立て、二郎に問い正すと、二郎も同じ返事でした。多田はいよいよ怒って、
「なんと不甲斐ない奴原じゃ。おまえたちを出世させる為に、色々知略を巡らせているというのに。ええ、今日よりは、親子の縁は切ったぞよ。」
と、言い捨てると、奥へ入ってしまったのでした。太郎・二郎の兄弟は、これを菩提の機会として、出家をすると、修行の旅に出てしまったのでした。この兄弟の心の内の哀れさは、何に例えん方もなし。
つづく
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