さて、江戸の霊巌寺で修行を積まれたろうれつ(金国)は、今はもう大知識となっていました。
一切経を全て習得して、御釈迦様の教説をそらんじていましたから、人々から、仏の化
身であると尊敬されていました。
ある時、ろうれつは、こう考えました。
『天地開闢よりこの方の、日本に伝わる一切経を読破し、ひたすら六波羅蜜の修行を
行い、悟りの境地に達したけれども、とどのつまりは、名号である。伊弉冉尊(いざなみのみこと)
も天照大神も、本地と言えば阿弥陀如来であることは疑い。末世の衆生は、下地下根であり、
座禅を通して悟りに達することは難しい。この有り難い念仏を、人々が軽んじていることは、
残念なことである。十万の三世仏、一切の諸菩薩が、八万ものお経に書き表されているが、
それでも、文字には書き尽くすことはできず、言葉で言い尽くすこともできない。そう
であるからこそ、仏の知恵は、この六字に詰め込まれたのだ。私が出家をしたのは、人々
を助けるためであった。これよりは、日本中を修行して回り、人々を利益しなければ
ならぬな。」
そうして、ろうれつは、雄誉上人から授けられた御名号を襟に掛け、全国行脚の旅へ
と出掛けたのでした。先ず都に向けて旅立ったろうれつは、やがて小田原までやってきました。
もう日暮れ近くのことでした。入相の鐘が鳴るのを聞いてろうれつは、夕日を拝みなが
ら一首を詠みました。
「月も日 東に出でて 西に行き 弥陀の浄土へ 入相の鐘」
やがて、日はとっぷりと暮れました。ふと、気が付くと、遙かの向こうに、灯火の光が
ちらちらと見えます。ろうれつが立ち寄って、編み戸の隙間から中を覗いてみますと、
八歳ほどの子供が、仏前に手を合わせて、念仏をしています。これを見たろうれつは、
『さても殊勝な子供じゃな。年端も行かぬのに、有り難きお念仏。何やら子細もありげ
だが、外に人の姿も見えない。これは、ひょっとして、愚僧の修行を試す、仏神の現れ
であろうか。むう、まあそれはどうあれ、このような尊い子供を見捨てて通るというの
も如何なことか。もう日も暮れてしまったことだし、今宵はここに宿を借りて、旅の疲
れを癒やすことといたそう。』
と、思案して、庵の戸を叩きました。
「もし、私は旅の僧であるが、日に行き暮れてしまった。一夜の宿をお貸しくだされ。」
玉若殿は、これを聞くと急いで立ち上がり、戸を開けて、
「何、旅の御僧ですか。主は留守をしておりますが、お坊様であるなら、どうぞお入り下さい。」
と招きました。ろうれつは、これを聞いて、
「さてさて、あなたは、まだ子供なのに、殊勝なお志。子供ながら、只人とは思えません。
しかしならが、主もいらっしゃらない所へ、如何に法師といえども、宿を乞う訳には
行きません。お志は有り難いとは存じますが、別の宿を探すことにいたしましょう。」
と行って立ち去ろうとしました。しかし、玉若は、ろうれつの袖に縋り付いて、
「仰ることは道理ではありますが、少しも苦しいことはありません。殊に私は、最近
母を失い、孤児となりました。祖母がおりますが、今日は乳母を連れて、母の墓参りに
出掛け、まだ戻りません。丁度、物寂しく感じていた所に、あなた様が宿を乞われたので、
嬉しく思っております。丁度、明日は、母上様の初七日ですから、外の宿を借りる等と
言わずに、今夜はここにお泊まり下さい。どうかお願いいたします。お坊様。」
と言って、袂を離しません。ろうれつは、その心に感心して、
「そういうことであれば、一夜の宿をお借りいたしましょう。」
と言って、奥の間に入ったのでした。
ろうれつは、この子が、我が子であるとも知らず、先ず持仏堂にお参りなされてから、
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