あみだのむねわり その3
大萬長者の館に着いた兄弟が案内を乞うと、館の人々は、身なりはみすぼらしいが、なにやら世の常の人ではないように感じられ、丁寧に招き入れ、三日の間、さまざまのご馳走でもてなしました。人々が、ほんとに身を売るつもりなのかどうかを確かめると天寿は、
「もちろんです。これまで遙々と尋ねてきたのも、我が身を売るためです。しかし、このことは、弟には秘密にしてください。私だけお買いください。」
と答えました。大萬長者は、これを聞いて、陰陽師を呼んで天寿の年を占わせました。すると、天寿は、ぴたりと、辰の年辰の月辰の日の辰の一点に生まれた姫であることが分かりました。
長者は、これまで三世の諸仏を信心して祈誓を怠らなかったから、三宝仏陀も哀れと思し召して薬の姫をお与え下されたと喜びますが、御台は、父母が存命であれば、何不自由無く暮らしていたであろうに、このように流浪の身となり、それだけでもいたわしいのに、その上我が身を売って親の菩提を弔うために、遙々ここまで来るとは尋常なことではないと涙を流します。
「我が子、松若が不憫とはいえ、押さえて生き肝を取るなどということはできません。真に発心して命を捧げるというのなら是非もありませんが、命を惜しく思うならば、早くどこへでも行きなさい。」
天寿は言葉もなく泣き崩れていましたが、やがて顔を上げてこう言いました。
「みなさん、聞いてください。私が嘆くのは、命が惜しいからではありません。あそこにいる弟をご覧下さい。親と離れてより、あの弟は、私を父とも母とも頼み、山に登れば後に付き、里へ下れば先に立ち過ごしてきましたが、私が死んだ後、誰が弟を哀れみ如何なる人を姉と頼むのでしょう。心残りは、唯あの弟のことだけです。」
この言葉を聞いて、大萬長者を初め御台も館の人々も、皆感涙を禁じ得ませんでした。
大萬長者が、涙を流しながら、
「もし、真に発心されるなら、あの弟は養子とし松若の弟とし、我が宝の半分を譲ろう。その気があるのなら、今ここで、親子兄弟の契約を交わそう。」と言えば、天寿は、こう答えました。
「うれしゅうございます。最早、浮き世に思い置くことはありません。それでは、私の望みを申します。父母の供養の為に三間四方の光堂を建て、黄金阿弥陀を三体、三尺五寸に鋳造して、仏壇に安じ、尊き法師によって二十一日間の別時念仏(べちじねんぶつ)法要を行ってください。別時が過ぎた暁には、難なく生き肝を献じます。」
それは、たやすい事と、長者は直ちに光堂を建立し、別時念仏の法要を行いました。やがて別時が過ぎると、本堂のほのかな灯明の光の中で、兄弟二人、親の位牌に向い焼香礼拝し、安らかに念仏を唱えていましたが、ていれいは、姉の顔をきっと見上げると、
「姉ご様、私は、故郷で身を売ろうと申しましたが、買う人も無く、この長者に来てからも、私は身を売ろうとは申しておりませんが、どうしてこのように親の菩提を供養できたのですか。もしかしたら、私に隠して、身を売ったのですか。どうして、私も売ってくださらなかったのですか。」
と詰め寄った。
天寿は、自分が身を売って、今夜の暁には、生き肝を取られると言うのなら、驚いて大騒ぎをするだろうから、少しの間でもなんとか隠し通そうと思い、
「いやいや、ていれいや、身を売ったのではない。あの大萬長者の子息松若は、三病人であるので、お嫁に来る者もいない。私は、今は流浪の身ではあるが、元々長者の娘でもあり、あのような方の御台には丁度よいと言われるので、親の菩提を供養していただけるのなら御台になりましょうと約束したのです。おまえは、これより髪を剃り、出家をして、この寺で長く父母の菩提を供養するのです。」
これを聞いて、安心したていれいは、姉の膝を枕として、すやすやと眠ります。
弟の後れ髪を掻き撫でながら、天寿は溢れる涙を止めることもできず、最後の別れをします。
「深き恨みと思うなよ。父母故にかくなり果てたのだから、命は惜しくない。皆、人の親子兄弟は、八十九十まで共にあっても、別れの想いは同じ事。この世の機縁は薄くても、来世では、必ずひとつの蓮(はちす)蓮台(れんだい)に長き契りは疑いもない。
さてさて、この黒髪を明日からは、だれが結ってくれるのだろうか。」
天寿は、また弟に打ち掛かって、涙を噛んで嗚咽を堪え、やがて、夜は白々と明けたのでした。
つづく
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