猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 5 説経熊谷先陣問答 ④

2011年12月23日 22時36分00秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

くまがえ先陣問答 ④

 桂の前を追いだした北の方は、これで、邪魔な者は居なくなったと清々して、玉鶴姫

に、こう言いました。

「玉鶴よ、桂の前を追い出したので、もうお前と争う者は居ませんよ。吉日を選んで、

小太郎を迎えましょう。いいですね玉鶴。」

これを聞いた玉鶴は、はっと叫ぶ外に、驚きのあまり声も出ませんでした。泣き崩れる

玉鶴姫の様子を気にも掛けず、北の方は、そさくさと行ってしまいました。いたわしの

玉鶴姫は、涙ながらにこう嘆きました。

「世の中に心も身も任せるのはいいけれど、それにつけても浪間に浮く舟のように、哀

れにも儚い、母上の計らいじゃ。さぞや、姉上は私を恨んでいらっしゃることだろう。

この世に神や仏があるならば、母の心を和らげて、姉を返してください。」

しばらく、そうして嘆き悲しんでいましたが、やがてこう思い直しました。

「私がこの家を継ぐようなことになれば、浮き世の仁義も消え果てて、人とも呼ば

れるようなことになってしまう。その上、父上が、どこかでこのことを聞いたならば、

さぞやお怒りになるに違いない。しかし、このままここに居るならば、母の仰せに背く

ことも出来ない。いっそ、出家して、世を厭い、親兄弟の菩提をお祈りするならば、神

仏も悪くはお思いにはなられまい。」

 玉鶴姫は、今一度、母のお姿を拝して、心の中でお暇をとも思いましたが、遁世を

悟られて、咎められては叶わないと、密かに館を忍び出ました。しかし、永久の別れに

なるかもしれず、出ては戻り泣き崩れ、また出ては戻り、何度もためらいました。やが

て、意を決すると、母上の部屋の方に手を合わせ、涙を振り切って、ようやく館を後に

したのでした。

 玉鶴姫に、当てがあったわけではありませんが、とぼとぼと小走りで行くと、そこに

寺が見えました。玉鶴姫は、追っ手があるかもしれないと思い、この寺に走り込みまし

た。早速に案内を乞うと、中から出てきたのは、桂の前でした。どういう不思議でしょ

うか、その寺は、姉が身を寄せた比丘尼寺だったのです。あっと、驚いた二人は、手に

手を取り合って、夢か現かと抱き合って喜び合い、しかじかと、互いの事と次第を話し

合いました。玉鶴姫は、

「もう、館には戻りません。どこへでも共に、お供をさせて下さい。」

と、言いますが、桂の前はややあって、

「そうは言うものの、お前はまだ年端もいかぬ。どこへ行くとも分からぬ旅路に、どう

してお前を連れて行けようか。お前の気持ちは頼もしい限りですが、やはり、館へ戻っ

て、母の仰せに従い、孝行を尽くした方が良いと思います。

  母上の不興を受けて追い出されて、その上お前まで連れて行ったとなれば、いよい

よ、母上の憎しみは強くなり、私の罪が重くなるばかりです。」

と、妹を諭します。しかし、玉鶴は、

「山の奥、虎伏す野辺の果てまでも、姉御様を捜しだそうと、思い切って出て来たのに、

館へ帰れとは、情けない。どうしても帰れと言うのならば、どこかの淵に身を投げて

死にます。それであれば、姉上の罪はさらには、重くはなりません。」

と言って、声を上げて泣くのでした。桂の前は、これを聞き、

「そこまで、強く思うのであれば、先ずはこちらへ。」

と、玉鶴を尼公の前に連れて行くと、尼公に事の次第を話しました。尼公は、

「それは、誠に殊勝なこと、それでは、姉妹そろって御髪(おぐし)を下ろしなさい。」

というと、揃って、丈と等しい御髪を、四方浄土に剃り下ろして、墨染めの姿となられ

たのでした。さて、姉妹は、旅の準備が整うまで、しばらく比丘尼寺で過ごしました。

 ところで、館の北の方は、玉鶴が居なくなって、比丘尼寺に行ったと聞き、郎等を集めると、

「桂の前が玉鶴を唆して、比丘尼寺にかくまったと聞く。急ぎ比丘尼寺に行き、桂を殺

害して、玉鶴を取り返して来なさい。早く行きなさい。」

と命じました。さて、郎等は、畏まったとばかりに、比丘尼寺に押し寄せると、姉妹の

人々を出せと、大声で呼ばわりました。応対に出た尼公は、

「さて、左様の人は、この寺にはおりませんよ。門をお間違えではありませんか。」

と答えました。怒った郎等達は、問答無用とばかりに、寺中に踏み込みました。

ところが、その時、突然の轟音と振動が起こったかと思うと、廾尋(はたひろ:約30m)

あまりの大蛇が現れて、郎等共を追い散らしたのでした。大蛇は、天女と姿を変えると

姉妹の前に立ち、

「我は、汝らが氏神なり。ここに隠れて居るならば、重ねて憂き目に遭うであろう。今

すぐにでも、出立しなさい。」

と、言うと、かき消すように消えました。姉妹は、あら有り難しと虚空を三度礼拝すると、

尼公に暇乞いをして、旅の装束を調え、首には頭陀袋を下げて、早速に修業の旅に出た

のでした。

 生まれ育った熊谷を後にした姉妹は、二人うち連れて、兄が向かった善光寺を、まず

目指すことにしました。

(これより道行き:中山道~北国街道)

①明けやらん夜は深谷の宿(埼玉県深谷市)

②何、本庄の仮初めも(埼玉県本庄市)

③いとど心は、くらがねの(群馬県高崎市倉賀野町)

④鳴く音は空に高崎や(群馬県高崎市)

⑤散り行く梢、板鼻の(群馬県安中市)

⑥我をば、誰か、松枝や(群馬県安中市松井田町)

⑦登れば下がる坂本の(群馬県松安中市井田町)

⑧岩間に曝す麻衣、碓氷峠に差し掛かり

⑨かかる修業の功力にて、罪は消えて軽井沢

⑩沓掛の宿を討ちすぎて(長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)

⑪いざさらば、涙、比べん浅間山、胸の煙は、誰も劣らじ

⑫草の種々、追分けや(長野県北佐久郡軽井沢町追分)

⑬小諸の宿の仮枕

⑭今日は上田の宿を行く

⑮坂城を取るや、千早ぶる(長野県埴科郡坂城町)

⑯神の祈りは、屋代の里(長野県更埴市)

⑰音に聞こえし千曲川

⑱丹波島とはあれとかや(善光寺街道丹波島宿)

⑲流れ、涼しき犀川の

宿の名残も重なれば、

良き光ぞ掛け頼む

善光寺にぞ着き給う

姉妹の心の内

哀れとも、なかなか申すばかりはなかりけり

つづく


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