蛇は古語に「カカ」「ヌカ」「ハハ」と言ったらしい。 勝手な想像をすると、川「カワ」は、「カハ」であり、川はその形状から、蛇「カカ+ハハ=カハ」そのものであると解釈したくなる。確証はないが、当たらずとも遠からずか。また、これは説のある話だが、「鏡」は「カカメ」であって、「カカ+メ=蛇+目」とされる。ひっそりとした静かな池の水面は鏡の如くであり、夜陰に怪しく光る水面は、確かに蛇の眼を連想させて、背筋が寒くなる。蛇の信仰は水と密接な関係にある。 <shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"><lock aspectratio="t" v:ext="edit">
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<imagedata o:title="竹生島弁財天2" src="file:///C:/DOCUME~1/渡部 ~1/LOCALS~1/Temp/msoclip1/01/clip_image003.jpg"></imagedata><wrap type="square"></wrap>
</shape><shape id="_x0000_s1027" type="#_x0000_t75" style="Z-INDEX: 2; POSITION: absolute; TEXT-ALIGN: left; MARGIN-TOP: 90pt; WIDTH: 120.05pt; HEIGHT: 157.55pt; MARGIN-LEFT: 0px; LEFT: 0px; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-vertical: absolute"><imagedata o:title="宇賀神" src="file:///C:/DOCUME~1/渡部 ~1/LOCALS~1/Temp/msoclip1/01/clip_image005.jpg"></imagedata><wrap type="square"></wrap>
</shape>そしてまた、鏡餅とは、蛇の蜷局(とぐろ)の形象であるという。段々に重ねた餅の上のミカンは蛇の頭を表しているという。そこで、はたと気が付いたことがある。先回訳出した「松浦長者」の最後のくだりで、出てきた人頭蛇身の「宇賀神」は、まさに鏡餅の形をしている。
竹生島の弁財天の頭をようく見ると、宇賀神の顔が乗っているだけでなく、弁財天の頭全体が蜷局だったことにさらに気が付いた。そうやって、改めて弁財天をみると、弁財天の頭は鏡餅に見えてくる。いや、逆だ。これからは、鏡餅を弁財天の頭部としてお供えして、拝まなければならい。
この弁財天と宇賀神はそれぞれ別の出自であり、方や仏教の神、方や土着の神であるのが合体した神仏習合であると言われ、ご丁寧にも鳥居まで設えてあり面白い。
いったい弁財天とは、古代インド、ヒンドゥー教の河の神「サラスヴァティ」のことであり、仏教の守護神の一人とされる。有名な弁財天(江ノ島・竹生島・宮島等)がすべて水辺にあるのも頷けることである。仏教と共に伝わった水に関わる神である弁財天を、日本人らしく、宇賀神とない交ぜにしてしまったものらしい。説経まつら長者の物語は、まさに、弁財天が宇賀神を頭の上に載せたという、そのことを説いた物語であったのだ。因みに、弁財天が水だけでなく音楽も司るとされるのは、河の音から来るものであると言われ、転じて芸道成就の祈願も受け付けてくれるので、我々説経の徒には大変有り難い神様である。
さて、一方、水のあるところに必ず龍もいる。例えば、神社の御手洗に龍が居る。竹生島の御手洗
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</shape>四天王寺の龍の井戸は、覗くと天井の龍が水面に映る趣向で面白い。
龍は、中国の神話における想像上の生物であり、仏教的には仏教を守護する八大龍王として登場する。説経では蛇はだいたい大蛇であり、しかも大蛇と龍は区別されていないことに気が付く。大蛇と言う場合に、描かれている挿絵の姿はすべて龍であると言ってもおそらく間違いない。この大蛇はだいたい十丈、約30mぐらいあるようである。
説経や浄瑠璃に出てくる「大蛇」の代表選手は、説経では小栗判官が契った御菩薩池の大蛇、まつら長者の安積池の大蛇、浄瑠璃では、「日高川入相桜」で清姫が化身する大蛇等が上げられる。
「龍」と蛇は同一視され、どちらも「水」に関係しているが、実は大きな違いがある。仏教では、釈迦が誕生した時に降った甘雨は、二匹の龍が降らせたと言われる。つまり、龍は水のうちでも、天に関わる水、則ち雨を、ひいては天候を司る神ということになる。雨乞いには蛇ではなく龍が必要なのである。龍に関する説経の記述で共通しているのは、
「震動、雷電、はたたがみ(霹靂神)台風民家を吹き潰し雨は車軸を流しける」
(小栗判官一代記 御菩薩池の段)
といった描写である。これは、ちょっとやりすぎかもしれないが、多くの神社が龍のモチーフを用いているのは、こうした農事暦に関わる祈願を込めているからだろう。
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弁財天と八大龍王は仏法の守護者としては同格で、八部衆に含まれている。弁財天の頭に龍が乗らなくて良かった。そんなことになったら、暴れる龍に、弁財天は落ち着いて座っていることもできない。いや、そもそも、龍が弁財天の頭に静かに鎮座する訳がない。龍は天空を駆けめぐって広く大気を支配しなければならない。そして、湖沼深くに休むのである。龍は常に循環しているのだ。そして、大地とその上の水のうち、動く水、則ち川は弁財天が、動かぬ水、則ち湖沼は宇賀神がそれぞれ協働して司ると考えると、どうして弁財天の頭の上に宇賀神が載ったのかが分かる気がする。
ところで、龍は唯一、十二支の中で架空の動物である。「辰」と「己」、龍と蛇が並んでいるのも面白いが、説経は、この「辰年」にもある重要な呪術的な意味を含ませる。先に紹介した「阿弥陀胸割」では、「壬(みずのえ)辰の年の辰の月の辰の日の辰の刻」が重んじられている。それはおそらく、「信太妻」の主人公である陰陽師「安倍晴明」の誕生日と言い伝えられている「天慶7年(西暦944)辰の月辰の日辰の刻生まれ」という伝説に関係していると思われる。(歴史上は西暦921年(延喜21年)辛己とされる・・・また蛇が出てきた。)残念ながら伝説の天慶7年は、甲辰(きのえたつ)の年で、壬(みずのえ)とは一回りだけずれている。このずれが誤りなのか、意図的なのかは分からないが、「辰」づくしにするというモチーフが戯作的に用いられたのだろうと考える。また、陰陽道では、北辰(北極星)を重要視するので、「辰」をからませると考えることもできる。因みに、「壬」はまさに五行の内の「水の兄」であり、水の信仰に大きく関わっている。「癸」(みずのと:水の弟)が「陰」であるの対し、「壬」は「陽」であり、「妊」に通じて、生み出すという意味がある。どうして説経が「壬辰」にこだわるのかが、分かってきたような気がする。
さて、手元の有り難い「御祭神安倍晴明公秘伝 平成二十四年壬辰年本暦 京都堀川一條 晴明神社」によると、来年は、まさに「壬辰(みずのえたつ)」の年である。「阿弥陀胸割」で言うところの「壬辰の年の辰の月の辰の日の辰の刻生まれの姫」のその瞬間が60年ぶりにやってくるのかと思うと、なんだかわくわくするのは、きっと私と猿八座の面々だけであるとは思うが、一応その60年に一度の、説経的瞬間を記しておこう。それは平成24年4月1日(日)午前8時頃である。(旧暦3月11日壬辰)来年は、説経「阿弥陀胸割」にとって特別な年である。いや、壬辰の年は、私が生きている間におそらくは、ただ一度しか過ごせない貴重な1年なのだ。
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