「信太妻」は猿八座の演目の中でも公演回数が一番多い演目です。歌舞伎(芦屋道満大内鑑)でも演じられあまりにも有名なので、「忘れ去られた物語シリーズ」には入れていません。しかし、長い物語の内、演じられているのは、ほとんどが第3場の「信太の森」の場面だと思いますので、全体を簡単な粗筋に要約しておきますので、ご参考にして下さい。
「しのだづまつりきつね 付 あべノ清明出生」延宝2年(1674)靏屋喜右衛門板
第1:
書き出しに「ここに中頃、天文地理の妙術を悟りて、神通人と呼ばれし、安部の清明の由来を詳しく尋ぬるに」とあります。そして、清明からすると、祖父の「保明」とその子「保名」、つまり「清明」の父の話から、始まります。「保名」は、宿願があって、毎月、信太明神に参詣します。一方の登場人物は、歌舞伎の外題にもなった占方「芦屋道満」とその弟、石川悪右衛門です。
悪右衛門の妻が、死の病に倒れたことが、そもそもの始まりです。兄の道満は、こう占いました。「若き女狐の生き肝」を薬として与えれば、平癒するというのです。悪右衛門は、数百人の勢子を連れて、狐が多く住むという信太の森へと急ぐのでした。
信太の森では、「保名」一行が、参詣し、陣幕を張って休んでおりました。そこで突然、悪右衛門の勢子達が、おめき叫んで、狐狩りを始めたのです。子連れの狐夫婦が、追い回されて、逃げて行きますが、子狐は、保名の陣幕の中へ逃げ込んでしまったのです。狐を出せ、出さぬで、とうとう戦になってしまいましたが、多勢に無勢。無念にも「保名」は捕縛されてしまうのでした。
そうしているところに、悪右衛門の檀那寺の「らいばん和尚」が現れて、「この囚人の命を助けて出家させ、私の弟子にさせてくれ」と頼むものですから、悪右衛門も仕方無く、「保名」を和尚に渡すのでした。しかし、この和尚は、先ほど、「保名」に助けられた子狐の親狐だったのでした。
第2:
「保名」は、危うい所を、狐に助けられました。受けた刀傷を洗う為に、沢に降りて行くと、水汲に来た、若い女と出合います。そして、「保名」は、この女の埴生の小屋で戦いの傷を癒やすのでした。
さて一方、父の「保明」は、信太での次第を聞くと激怒して、数万の軍勢で、信太の森に突撃します。悪右衛門は、漸く狐を仕留めて、山を下りる所でしたが、今度は「保明」の軍勢との戦いとなったのでした。残念なことに、父「保明」は悪右衛門に斬り殺されてしまいます。主君の敵と、三谷の前司が、悪右衛門を追いかけますが、悪右衛門は、なんとか逃げ延びました。しかし、もう日も暮れました。道に迷っていると、微かな灯火が、見えます。急いで立ち寄って、隠して欲しいと頼みますが、断られます。それもそのはず、その小屋は、「保名」が居る小屋だったのです。やがて、三谷が追いついて斬り合いになりましたが、どうした訳か、刀がポキンと折れてしまったのでした。そこで三谷は、力で悪右衛門をねじ伏せますが、首の掻きようもありません。悪右衛門は、「俺は石川悪右衛門だ。山賊に襲われているから助けてくれ。」叫ぶのでした。これを聞いた、「保名」は飛んで出でて、親の敵を討つのでした。
第3:
父を討たれた「保名」は、敵も取りましたが、世間の噂を避ける様に、信太の森近くの女の家に住み続けていました。安部の童子は、もう七歳です。この子が、後の安部の清明になるのです。さて、安部家の毎日は、保名は畑仕事をし、女房は機織りをして、貧しいなりにも幸せな暮らしでした。ところが、ある日、籬の菊に見惚れていた女房は、ふっと油断したのでしょう。狐の本性を現してしまったのでした。狐の顔になった姿を童子に見られてしまったのです。有名な歌「恋しくば、尋ね来てみよ、和泉なる、信太の森の、恨み葛の葉」を、障子に残して信太の森に帰る名場面はここです。
その後、「保名」と童子は、母を捜しに、信太の森にやって来ます。漸く姿を見せた狐は、又、母の姿に戻ってくれますが、形見の品「龍宮世界の秘符」という「黄金の箱」と「水晶玉」を童子に与えて、永遠の別れを告げるのでした。この形見の品は、後に、陰陽師としての活躍に大きく寄与するのです。
2013年9月9日(於てぃーだかんかん)
第4:
安部の童子は、八歳から勉学を初め、天才ぶりを発揮します。今は十歳となり、名を「晴明」(はるあきら)と改めました。ある時、伯道上人が現れてお告げがありました。「金烏玉兎」(きんうぎょくと)という巻物を与えると言うのです。この巻物があれば、死んだ者でも、一度は生き返らせることができるのでした。晴明は、益々、神通の力を高めて行ったのでした。
或る日、烏が二羽飛んで来て、鳴いています。不審に思って、水晶玉を取り出すと、耳に当てて聞いてみました。二羽の烏は、「御門のご病気の原因は、内裏造営の際に、生きたままの蛙と蛇が、柱の下敷きになったからだ。」と話しているのでした。金烏玉兎で占ってみると、間違いありません。喜んだ「保名」は、「晴明」を連れて急いで、参内するのでした。折から、御門は、伏せっておりましたが、親子の占いに従って、柱を調べると、占い通りに、蛇と蛙が出てきたのでした。これを掘り出した所、御門の病気は忽ちに平癒したのでした。この功績によって、「晴明」は「清明」(せいめい)と改め、陰陽の頭(かみ)になったのでした。
これが、面白く無いのは、元々の陰陽師である「芦屋道満」です。ましてや、弟の敵でもあります。「蛇や蛙も、奴らが仕組んだことだろう。偽物を暴いてやるから、占い競べをさせろ。」と言うのでした。御門は、これを許しました。負けた方が、勝った者の弟子になるという約束です。さて、その占い競べというのは、箱の中身を当てるものでしたが、「清明」にも「道満」にも、その程度のことは朝飯前のことです。「道満」は「ミカン十五個」と答えました。しかし「清明」は、「ネズミ十五匹」と答えたのでした。道満はせせら笑い、「保名」は慌てました。清明は少しも騒ぎません。既に箱の中身を念じ変えていたのでした。箱を開けたら、ネズミが走り出て大騒ぎになったのは言うまでもありません。「清明」の名声は益々高まるばかりです。
第5:
負けた「道満」の怒りと恨みは浅くはありませんでした。道満は、先ず敵の「保名」を、一条戻り橋で暗殺する計画を立てました。清明が夕方に参内した後、偽の勅使を送って、「保名」を誘い出すのでした。「道満」の手下どもは、橋の下に隠れ待ち、橋の板を引っ外したので、「保名」はもんどり打って転落しました。あとは、よってたかって、ずたずたに切り裂いたのでした。
明け方に、何も知らない「清明」が帰って来ました。橋板が無いので、下を見ると、なんと父「保名」の惨殺死体です。「清明」は、「道満」の仕業と直感しましたが、証拠もありません。そこで、「清明」は、今こそ、「生活続命」(しょかつぞくめい)の法を行い、父を蘇生させようと決心するのでした。
「清明」は、一条戻り橋に祭壇を設け、鳥や獣が引き回した死体を取り集めました。「金烏玉兎」の巻物によって、肝胆砕く大祈祷が始まったのでした。やがて、イノシシが、持ち去った腕を返しに来ました。だんだんに、手や足や、肉が寄り集まって、元の「保名」へ復活するのでした。
その頃、「道満」は、参内して、「清明は、父親が亡くなったので物忌みです」と奏聞しておりましたが、遅れて、「清明」も参内して来たので、「保名が死んで、物忌みであるのに、参内するとは何事か。」と血相を変えて怒鳴りました。
「清明」は涼しい顔で、「父が死んだとは、いったいどういうことですか。今ここに、父が出てきたら、どうしますか。」と言うのでした。「道満」は、「死んだ者が再び現れるというのなら、この首をくれてやる。もし出なければ、お前の首をもらうぞ。」と言ってしまうのでした。さて、それから、蘇った「保名」が「道満」の罪状を暴き、とうとう、「道満」は打ち首となってしまうのでした。
重ねて清明 四位の主計頭(かずえのかみ)、天文博士と召されて、栄華に栄え
末代まで、その知恵をあらわす。これ、偏に、文殊菩薩の再誕なり。
上古も今も末代も、例し少なき次第やと、皆、感ぜぬ者こそなかりけれ
おしまい