カテゴリーを事件としたが、ヘイトスピーチについては、政治的な発言や、文化なども含まれるので、その辺り、斟酌せずに書きたいと思っている。
さて、今に始まったことではないが、ネット上には、酷い、ヘイトスピーチが溢れていると感じる。特にネット右翼と呼ばれる引きこもりたちが、現実社会を知らずに、一部、心ない保守系の論客が書く、資料の拾い読み、あるいは、都合の良いところ取りによる、変更した解釈などを、鵜呑みにして信じてしまい、それがヘイトスピーチとなってネット上を闊歩する。
私が、お気に入りに指定しているブロガーに「トンビ母」と言うハンドルネームを持つ人のブログが最近、壊れ始めていると思うが、これも、自分の論と言うより、過激なネット右翼のブログを転載して、それに小さくコメント入れる形で、真意がどこにあるのか解らないが、かなりひどい状態になっていると思う。
敢えて、反論のコメントを付けないが、この壊れ方は、以前の管理者から全く別の管理者に変わったのではないかと思うほどで、朝鮮人や半島の歴史、あるいは従軍慰安婦問題など、かなり恣意的な資料読みによる誤解が、根底にはあると思う。
確かに、韓国や中国の「従軍慰安婦問題」「南京事件」を外交カードとする姿勢には、日本人として辟易させられるのだが、だからといって日本側に都合の良い資料の拾い読みによる罵倒は、いただけない。小生は、日本の近代史、特に昭和初期から戦争終結までに個人的に興味があり、素人ながら、時間と費用をかけて研究した経験がある。京都大学文学部史学家の教授や、母校の研究者などに、聞きに行ったり、資料をお借りしたりで、ほぼ5年余りの間、この問題を研究した。小生なりに、ある程度の結論を得たので、小生のブログの中に、詳しく書いている。
資料を挙げろと言う指摘に答えて、この資料はどこどこの図書館に、あるいは公文書館に、など、詳しく上げても、実は、ネット右翼たちは、その資料が偽物と読みもしない内に批判する、つまり彼らにとって都合の悪い事実は、ないものとして考えると言う癖が付いていると言う感じがする。
ヘイトスピーチを平然と受け入れる人やする人には、明確な共通点があると思う、それは極端なコンプレックスを抱えた一種の精神病に近い精神状態を持った人たちと言うことだ。
自らのコンプレックスを更に弱い立場の人々に浴びせることで精神の均衡を保っているとすれば、その状態こそ、精神病であるといえる。
在特会による、ヘイトデモやヘイトスピーチも同様で、社会的に落ちこぼれた精神状態の不安定な人々が、そのコンプレックスや、ストレスを発散する為に、行っていると言う正に情けない、卑劣な行為が見え隠れする。おそらく、やっている本人たちは、卑劣と言う感覚すらないのではないか、ごく一部の確信犯的な保守系論客たちの主張を真に受けて、結果、自分たちが正義を行っているとさえ思っているかもしれない、危険な状況であることは疑いのない事実である。
戦後賠償問題も同様で、この点については、外務省や我が国の司法当局が、国民をミスリードしていると言うこともあるのだが、戦後賠償について国家間で条約凍結した後については、個人の請求権も喪失するとの司法判断に基づいて、政府も常にその様に答弁、何となく韓国や中国などからの訴訟に問題があると報道も指摘する状況になっている、しかし、欧米での考え方は、全く違う、国家間の賠償問題と個人の被害に係る交渉とは、別窓口にしている。これは第二次世界大戦だけではなく、戦後行われた紛争でも同様の手続きが恒常化しており、我が国の言う、国家間による解決を持って、個人の請求権も喪失するというのは、ある意味、少数派の解釈であるのが事実で、生後賠償について、ドイツとよく比較されるが、ドイツは、官民一体となって、基金を作って個人賠償を戦後も長い間してきた。この問題で、解決できなかったのは、ギリシャだけに留まっている。
我が国の場合、この辺りをスルーしてきた事が、外交カードに使われる元凶となっており、企業個別に和解を成立させるという周りくどい方法を止めて、官民一体となって、ドイツのように基金を募り、その中で個人の請求に対応すれば、ある程度の反日感情を和らげる事が可能だと思う。しかし、我が国は、全く逆の行為の中にマスターベーションをしている。愛国心という自慰行為である。
戦争時代に生きた人は、限りなく減り、その財源も必ずしも国家財政を圧迫するほど膨大なものにはならない、また、慰安婦問題の様に、戦争と性の問題は、お前もやっていただろうとする、橋下発言など、弁護士とは思えない暴論で、隣の国が国際犯罪を犯すから、我々もやったでは、通用しない、決して正当防衛などと言う問題ではなく、限りなく、個人のしかも弱い女性、子供に対する人権侵害なのであるからだ、先に上げた従軍慰安婦は、玄人であり、大金を稼いだのだから、強制ではなく、あくまで自分の意志で体を売った。東京裁判における米国の資料の中で、「慰安婦は、大金を稼ぎ、中には、日本兵と婚姻するものもいた、性行為の相手は拒否することもでき、と売春宿を経営する業者が発言している」とその資料を引き合いに出して、従軍慰安婦は、玄人の売春婦であったと結論しているのだが、これは、悪質な言葉上のトリックである。なぜなら、最後に書かれた、業者・・・売春宿を経営者が、経営しているのは、戦争中に基地近くや繁華街に作られた民間の娼館のことであり、これは、日本国内にも当時、かなりの数があった。有名な吉原や、柳町なども同じである。ここで働く女性は、当時、内務省が免許を与えた女衒によって日本中から集められた娼婦で、売り買いの対象であった。国内法にこの国内の売娼婦を国外に連れ出すことは、厳しく禁止されており、現実に内務省記録によれば、陸軍が勝手に免状を与えた女衒が国内で女を買い、国外に連れだそうとしたところを逮捕されたと言う記録が残っている。徳島県警の記録である。その後、外務省と陸海軍省がと協議の上、特例として、最初は、満州に限って許可、それが半島に及んだ、その時ですら、内務省は、反対している。
戦争激化にともなって、基地外に作る民間施設では、治安も、あるいは性病の蔓延を抑えられないとして、基地内に憲兵隊が管理する施設ができ、ここに集められたのが従軍慰安婦である。これは民間が集めたのではなく陸海軍が免状を与えた女衒が各地で集め、兵站の一部として軍が運んだ、これも防衛大学校に残された数少ない、海軍資料の中に散見している。直接、強制的に徴用した慰安婦について、公文書は残されていないが(戦後、ことごとく焼き捨てることを命じている)情況証拠なら、かなりの数残されている。朝鮮総督府の資料や、当時の警察本部の資料、これらは、公文書館で閲覧できるが、警察官日誌などに依れば、陸海軍による任命された女衒が、若い女性を求めて貧しい農家に通うが、戦争が激化してきた時点では、娘をわずか前渡し金20円程度では、最前線に出さない。門扉すら開けてくれない、ノルマを果たせない女衒は、一計を策する。ドアを開けされるために、日本人警察官を同行させる、警察官はドアを叩いて「警察」を名乗る、当然、拒否できない。警察官は、中には入らない、女衒たちは「天皇陛下」の名前を出して、書類に署名させる。これで形は強制ではなく志願と言う形に変わる。
当時、キーセンなどに娘を売り渡す場合、半島の相場は、100円から200円で、国内の吉原や、柳町は、300円から、高い女性の場合1000円もの高値が付く場合もあった、慰安婦と言う売春を強制させられる苦海に娘を沈めるなら、何も軍の慰安婦にならずとも朝鮮半島内のキーセン宿や日本国内のそう言った民間施設に売り渡したほうが遥かに利を得られる。
つまり、前私の30円は、買い取るための資金というより、給与の前私の類で、その仕事内容は、女中奉公程度だと考えていたとしても、あながち間違いとは言えない。こういった状況証拠を根拠にして河野談話は作られている。つまり傍証によって強制性が認められる限り、直接的な公文書が残されていないを理由にした言い訳はできないと省庁、つまり官僚が考えた苦肉の策であったのだろう。
直接的な証拠がないは、我が国の場合、言い訳に使えない、なぜなら、国を上げて公文書を焼き捨てているからだ。証拠を故意になくしておきながら、証拠がないは通用しない。刑事裁判ではない、歴史をどう解釈するかである。傍証が確定的に存在し、間接的な証拠や情況証拠が揃っていれば、それは、認めなければ歴史認識などできない。まだ70年前のことだから、直接的な証拠などを保守派は主張するが、数百年前の事象など、直接証拠など得られる場合は奇跡的なことで、だからこそ、歴史は、新しい文書が発見されるたびに書き換えられてきたのだ。徳川家康が、タヌキおやじとして何となく胡散臭い、腹黒い人物と言う認識から、今では、人の神輿に乗るのが上手な好人物としての評価がある、誰も彼に直接あった人などいないかからだ、つまり、歴史認識うというのは、現在ある直接証拠、間接的な証拠、情況証拠などを集めて、総合的に推論を作り上げることであり、刑事裁判のように確定させるものではない、保守派の言う、直接的な証拠を見せない限り、慰安婦の強制的な畳用はなかった、あるいは、著しい人権侵害はなかったとする見解は、卑劣である。同じ日本人として恥ずかしい限りだ。
現実に、年齢18歳に満たないものは、女衒による売り買いの対象にはならないのだが、半島からくられた従軍慰安婦の中には、14才以下の少女の記録すら陸軍軍医などの記録にも散見している。つまり、こう言った行為があったと言う事実から、強制性の認識を作り上げたのであって、根拠のないものではない。しかし、ヘイトスピーチなどには、そう言った被害者の全てを嘘つき、詐欺師、カネ目当ての卑劣漢などと言い放っている。それこそ、卑劣で卑怯であろう。
ヘイトスピーチ、これは、自らの精神病を認めるコンプレックスの現れであり、そう言った感情が心を支配している人は、早急に精神病院や神経内科に通うことをお薦めする。
さて、今に始まったことではないが、ネット上には、酷い、ヘイトスピーチが溢れていると感じる。特にネット右翼と呼ばれる引きこもりたちが、現実社会を知らずに、一部、心ない保守系の論客が書く、資料の拾い読み、あるいは、都合の良いところ取りによる、変更した解釈などを、鵜呑みにして信じてしまい、それがヘイトスピーチとなってネット上を闊歩する。
私が、お気に入りに指定しているブロガーに「トンビ母」と言うハンドルネームを持つ人のブログが最近、壊れ始めていると思うが、これも、自分の論と言うより、過激なネット右翼のブログを転載して、それに小さくコメント入れる形で、真意がどこにあるのか解らないが、かなりひどい状態になっていると思う。
敢えて、反論のコメントを付けないが、この壊れ方は、以前の管理者から全く別の管理者に変わったのではないかと思うほどで、朝鮮人や半島の歴史、あるいは従軍慰安婦問題など、かなり恣意的な資料読みによる誤解が、根底にはあると思う。
確かに、韓国や中国の「従軍慰安婦問題」「南京事件」を外交カードとする姿勢には、日本人として辟易させられるのだが、だからといって日本側に都合の良い資料の拾い読みによる罵倒は、いただけない。小生は、日本の近代史、特に昭和初期から戦争終結までに個人的に興味があり、素人ながら、時間と費用をかけて研究した経験がある。京都大学文学部史学家の教授や、母校の研究者などに、聞きに行ったり、資料をお借りしたりで、ほぼ5年余りの間、この問題を研究した。小生なりに、ある程度の結論を得たので、小生のブログの中に、詳しく書いている。
資料を挙げろと言う指摘に答えて、この資料はどこどこの図書館に、あるいは公文書館に、など、詳しく上げても、実は、ネット右翼たちは、その資料が偽物と読みもしない内に批判する、つまり彼らにとって都合の悪い事実は、ないものとして考えると言う癖が付いていると言う感じがする。
ヘイトスピーチを平然と受け入れる人やする人には、明確な共通点があると思う、それは極端なコンプレックスを抱えた一種の精神病に近い精神状態を持った人たちと言うことだ。
自らのコンプレックスを更に弱い立場の人々に浴びせることで精神の均衡を保っているとすれば、その状態こそ、精神病であるといえる。
在特会による、ヘイトデモやヘイトスピーチも同様で、社会的に落ちこぼれた精神状態の不安定な人々が、そのコンプレックスや、ストレスを発散する為に、行っていると言う正に情けない、卑劣な行為が見え隠れする。おそらく、やっている本人たちは、卑劣と言う感覚すらないのではないか、ごく一部の確信犯的な保守系論客たちの主張を真に受けて、結果、自分たちが正義を行っているとさえ思っているかもしれない、危険な状況であることは疑いのない事実である。
戦後賠償問題も同様で、この点については、外務省や我が国の司法当局が、国民をミスリードしていると言うこともあるのだが、戦後賠償について国家間で条約凍結した後については、個人の請求権も喪失するとの司法判断に基づいて、政府も常にその様に答弁、何となく韓国や中国などからの訴訟に問題があると報道も指摘する状況になっている、しかし、欧米での考え方は、全く違う、国家間の賠償問題と個人の被害に係る交渉とは、別窓口にしている。これは第二次世界大戦だけではなく、戦後行われた紛争でも同様の手続きが恒常化しており、我が国の言う、国家間による解決を持って、個人の請求権も喪失するというのは、ある意味、少数派の解釈であるのが事実で、生後賠償について、ドイツとよく比較されるが、ドイツは、官民一体となって、基金を作って個人賠償を戦後も長い間してきた。この問題で、解決できなかったのは、ギリシャだけに留まっている。
我が国の場合、この辺りをスルーしてきた事が、外交カードに使われる元凶となっており、企業個別に和解を成立させるという周りくどい方法を止めて、官民一体となって、ドイツのように基金を募り、その中で個人の請求に対応すれば、ある程度の反日感情を和らげる事が可能だと思う。しかし、我が国は、全く逆の行為の中にマスターベーションをしている。愛国心という自慰行為である。
戦争時代に生きた人は、限りなく減り、その財源も必ずしも国家財政を圧迫するほど膨大なものにはならない、また、慰安婦問題の様に、戦争と性の問題は、お前もやっていただろうとする、橋下発言など、弁護士とは思えない暴論で、隣の国が国際犯罪を犯すから、我々もやったでは、通用しない、決して正当防衛などと言う問題ではなく、限りなく、個人のしかも弱い女性、子供に対する人権侵害なのであるからだ、先に上げた従軍慰安婦は、玄人であり、大金を稼いだのだから、強制ではなく、あくまで自分の意志で体を売った。東京裁判における米国の資料の中で、「慰安婦は、大金を稼ぎ、中には、日本兵と婚姻するものもいた、性行為の相手は拒否することもでき、と売春宿を経営する業者が発言している」とその資料を引き合いに出して、従軍慰安婦は、玄人の売春婦であったと結論しているのだが、これは、悪質な言葉上のトリックである。なぜなら、最後に書かれた、業者・・・売春宿を経営者が、経営しているのは、戦争中に基地近くや繁華街に作られた民間の娼館のことであり、これは、日本国内にも当時、かなりの数があった。有名な吉原や、柳町なども同じである。ここで働く女性は、当時、内務省が免許を与えた女衒によって日本中から集められた娼婦で、売り買いの対象であった。国内法にこの国内の売娼婦を国外に連れ出すことは、厳しく禁止されており、現実に内務省記録によれば、陸軍が勝手に免状を与えた女衒が国内で女を買い、国外に連れだそうとしたところを逮捕されたと言う記録が残っている。徳島県警の記録である。その後、外務省と陸海軍省がと協議の上、特例として、最初は、満州に限って許可、それが半島に及んだ、その時ですら、内務省は、反対している。
戦争激化にともなって、基地外に作る民間施設では、治安も、あるいは性病の蔓延を抑えられないとして、基地内に憲兵隊が管理する施設ができ、ここに集められたのが従軍慰安婦である。これは民間が集めたのではなく陸海軍が免状を与えた女衒が各地で集め、兵站の一部として軍が運んだ、これも防衛大学校に残された数少ない、海軍資料の中に散見している。直接、強制的に徴用した慰安婦について、公文書は残されていないが(戦後、ことごとく焼き捨てることを命じている)情況証拠なら、かなりの数残されている。朝鮮総督府の資料や、当時の警察本部の資料、これらは、公文書館で閲覧できるが、警察官日誌などに依れば、陸海軍による任命された女衒が、若い女性を求めて貧しい農家に通うが、戦争が激化してきた時点では、娘をわずか前渡し金20円程度では、最前線に出さない。門扉すら開けてくれない、ノルマを果たせない女衒は、一計を策する。ドアを開けされるために、日本人警察官を同行させる、警察官はドアを叩いて「警察」を名乗る、当然、拒否できない。警察官は、中には入らない、女衒たちは「天皇陛下」の名前を出して、書類に署名させる。これで形は強制ではなく志願と言う形に変わる。
当時、キーセンなどに娘を売り渡す場合、半島の相場は、100円から200円で、国内の吉原や、柳町は、300円から、高い女性の場合1000円もの高値が付く場合もあった、慰安婦と言う売春を強制させられる苦海に娘を沈めるなら、何も軍の慰安婦にならずとも朝鮮半島内のキーセン宿や日本国内のそう言った民間施設に売り渡したほうが遥かに利を得られる。
つまり、前私の30円は、買い取るための資金というより、給与の前私の類で、その仕事内容は、女中奉公程度だと考えていたとしても、あながち間違いとは言えない。こういった状況証拠を根拠にして河野談話は作られている。つまり傍証によって強制性が認められる限り、直接的な公文書が残されていないを理由にした言い訳はできないと省庁、つまり官僚が考えた苦肉の策であったのだろう。
直接的な証拠がないは、我が国の場合、言い訳に使えない、なぜなら、国を上げて公文書を焼き捨てているからだ。証拠を故意になくしておきながら、証拠がないは通用しない。刑事裁判ではない、歴史をどう解釈するかである。傍証が確定的に存在し、間接的な証拠や情況証拠が揃っていれば、それは、認めなければ歴史認識などできない。まだ70年前のことだから、直接的な証拠などを保守派は主張するが、数百年前の事象など、直接証拠など得られる場合は奇跡的なことで、だからこそ、歴史は、新しい文書が発見されるたびに書き換えられてきたのだ。徳川家康が、タヌキおやじとして何となく胡散臭い、腹黒い人物と言う認識から、今では、人の神輿に乗るのが上手な好人物としての評価がある、誰も彼に直接あった人などいないかからだ、つまり、歴史認識うというのは、現在ある直接証拠、間接的な証拠、情況証拠などを集めて、総合的に推論を作り上げることであり、刑事裁判のように確定させるものではない、保守派の言う、直接的な証拠を見せない限り、慰安婦の強制的な畳用はなかった、あるいは、著しい人権侵害はなかったとする見解は、卑劣である。同じ日本人として恥ずかしい限りだ。
現実に、年齢18歳に満たないものは、女衒による売り買いの対象にはならないのだが、半島からくられた従軍慰安婦の中には、14才以下の少女の記録すら陸軍軍医などの記録にも散見している。つまり、こう言った行為があったと言う事実から、強制性の認識を作り上げたのであって、根拠のないものではない。しかし、ヘイトスピーチなどには、そう言った被害者の全てを嘘つき、詐欺師、カネ目当ての卑劣漢などと言い放っている。それこそ、卑劣で卑怯であろう。
ヘイトスピーチ、これは、自らの精神病を認めるコンプレックスの現れであり、そう言った感情が心を支配している人は、早急に精神病院や神経内科に通うことをお薦めする。