11/28 東京新聞「こちら特報部」より
米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する声が地元沖縄でかつてないほど高まったきっかけは、鳩山由紀夫元首相(68)が民主党政権誕生前夜に打ち出した「(移設先は)最低でも県外」の方針である。
辺野古の代替地が見つからずに頓挫したが、米側の意向を付度する官僚支配の病弊と、沖縄への差別構造を間違いなく可視化した。
民主党政権の理想はもっと評価されていい。
安倍政権が真逆の方向へ突き進む今、鳩山氏本人に聞いた。
(佐藤圭、木村留美、白名正和)
東京・永田町のビルの一室。
鳩山氏は、インタビューを謝罪の言葉から始めた。
「首相として(普天間移設問題を)希望通りに落着させられなかった。
自分の力不足だったと申し訳なく思っている」民主党は、政権交代を果たした2009年衆院選のマニフェスト(政権公約)で、在日米軍基地問題について「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」と明記した。
自公政権が決めた辺野古の見直しをにじませた格好だ。
当時民主党代表の鳩山氏は、遊説先の沖縄で「最低でも県外」とさらに踏み込んだ。
しかし、民主党政権が誕生すると、米国と気脈を通じる外務、防衛官僚らは「県外つぶし」に暗躍した。
例えば、防衛官僚は「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル(約104㌔㍍)以内」と主張した。
「防衛官僚が、日米の作業部会の結論として持ってきた。
訓練の一体性を考えると、移設先は65マイル以内でなければ無理だ、と。
そうなれば沖縄県外はほぼ不可能。
ところが、実は出所不明で、米側はそんなことは言っていないという。
後に佐賀県への訓練移転が検討されたことからも分かるとおり、事実無根だった。
私をあきらめさせるための理屈をひねり出したとしか思えない」
閣僚も「面従腹背」だった。
鳩山氏は独自に、ヘリを搭載する輸送船を数隻建造し、海兵隊をローテーション展開することで「事実上の県外」を実現する案を検討した。
北沢俊美防衛相に日米防衛首脳会談で打診するよう求めたが、米側には伝わらなかったという。
一方の岡田克也外相は裏手納統合案を持ち出した。
「官僚主導を打破して政治主導でやらなければならなかったが、大臣たちは役所にからめ捕られてしまった。
嘉手納統合は一つの落としどころだったかもしれないが、これがダメだとなって岡田氏も次の案を見いだすことはできなかった。
北沢氏は早い段階から辺野古に染まっていた」
鳩山氏は、鹿児島県・徳之島への移設案も探ったものの、最後は遡野古に回帰せざるを得なかった。
沖縄の人たちは、鳩山氏の裏切り行為を厳しく問い続ける。
それと同時に、辺野古ノー」を沖縄の民意として確立したことも事実だ。
むしろ、普天間問題の迷走が鳩山氏個人の責任に矯小化され、「県外は幻想」との世論が本土で醸成されることを心配している。
鳩山氏は首相退陣後も沖縄に何度も足を運ぶ。
「全国を歩いていると、沖縄が一番やさしく接してくれる。今でも失望の念はあるだろう。ただ、自分たちが今まで言いたくても言えなかったことを、ときの首相が口に出してくれたおかげで、勇気を持って行動できるようになったと思ってくれているようだ」
2010年6月、鳩山政権はわずか八カ月半で瓦解した。
退陣の理由は、普天間問題だけのように思われがちだが、鳩山氏の資金管理団体をめぐる「偽装献金問題」が大きかった。
「普天間問題は政府全体で責任を負うべきテーマだが、献金問題は違う。
プライベートなことにより、来るべき参院選(10年7月)で同志がバタバタと倒れることは、私には耐えられなかった」
献金問題では、鳩山氏の母親が毎月千五百万円を七、八年間、鳩山氏に提供していたことが判明している。
罪は罪だが、利権をあさっていたわけではない。
「秘書は、企業から(資産家の)鳩山に政治献金なんて必要ないだろうと、断られていたみたいだ。
やむなく母親の世話になったようだが、私に言えず(虚偽の)帳簿を作っていた。
私個人の問題で民主党政権が短命に終わったことは申し訳なく思っている」
09年衆院選の民主党マニフェストをめくると、「税金のムダづかいと天下りを根絶」 「一人当たり年三十一万二千円の『子ども手当』を支給」 「対等な日米同盟関係」などのスローガンが目に飛び込んでくる。
確かに有権者の多くは、民主党の理想に大きな期待をかけた。
それが今となっては「民主党政権は失敗だった」と総括する論調が幅を利かせている。
安倍普三首相は、国会答弁などで「民主党政権時代」を否定的な文脈で多用する。
このままでは民主党政権は「なかったこと」にされかねない。
鳩山氏は「子ども手当にしても、、直接家庭に資金を提供するということは今までやってこなかったことだ。
方向性は間違っていなかった」と強調する。
とはいえ、あまりにも経験不足だったのではないか。
「いっぺんにやろうとして官僚にも理解されなかった。官僚の天下り先を奪うような方向にしたために官僚の抵抗に遭い、(民主党の理想自体が)意味がないものと喧伝された」
その民主党は下野後、反転攻勢のきっかけをつかめないどころか、政界再編や選挙協力のあり方をめぐってゴタゴタしている。
鳩山氏は13年に「昔の民主党とはかけ離れてしまった」との理由で民主党を離党し
たが、「創業者」として行く末を気にしている。
「安倍政権への明確な対抗軸をつくれるはずなのに、何を目指しているか見えない。
既存勢力でないところに大きな旗を立て、そこに一人一人が結集する。
(他党で)比例復活した人たちは新党でないと合流できないので、いったん解党して出直すしかない」
政界引退後も「鳩山バッシング」はやまない。
安倍政権が大手を振る中、民主党政権の象徴ともいえる鳩山氏に対する風当たりが強いのは当然といえば当然だが、本人も挑発的な行動を辞さない。
今年三月、ロシアに併合されたウクライナ南部クリミアを訪問した際は、併合を認めていない安倍政権が激しく反発した。
「存在を認めてくれている」。ニヤツと笑った後、真顔に戻って「ロシアが軍事的に併合したと思われているが、クリミアの人たちは自分たちの意思で行動している」。
そして「国益に沿ったことをしているつもりだ。
これからも行動していく」と重責するのだ。
「行動」の中心は、やはり沖縄である。
「辺野古を阻止するのはもちろんだが、今は、国内にも普天間の移設先を求めるべきではないと考えている」
最後に「政界に復帰する気はないのか」と質問したところ、「全く考えていない」と否定した。
「あのような形で首相を辞めたことが、結果として現在の政治状況につながっている。
バッジをつけない形で責任を果たしていきたい」
【デスクメモ】
鳩山さんの名刺は「友紀夫」。
自らの政治信条である「友愛」の一字を取った。
友愛の英訳はブラタニティー。
フランス革命の理念「自由・平等・博愛」の博愛に当たる。
ただし戸籍までは変更しておらず、あくまでも政治活動用だ。
新聞の表記も「由紀夫」のままだが、小欄で鳩山さんの思いを伝えます。(圭)