アンダンテ ~私の歩幅で~

季節のこと、音楽のこと、誕生日シリーズなど

思いがけなくバッハ

2009年11月29日 | 音楽
年に数回、私が足を運ぶ古書店があります。

すぐ近くではないので、そちら方面に行くついでに、
立ち寄ることがほとんどです。

しばらく掘り出し物がなくて、収穫ゼロが続いています。
それでも、音楽関連の書架は、必ずチェック。

幸いなことに、今回、
バッハに出会うことができました。

存在感のある、その本は、音楽之友社
『作曲家別 名曲解説ライブラリー 12 J.S.バッハ』です。

ただ、この本が、私の手元になかったとしても、
何の支障もないわけですが。

550ページある、厚い本。

一度、その場を離れて、店内を、ゆっくり一回り。
ほかのジャンルでも、興味深い本を見つけました。

さあ、どうしましょう?

悩む(迷う)ということは、
買わないで帰ってしまうと、どこかで後悔しそう。

これも、何かのご縁です。
“掘り出し物”があったら、買うつもりでしたしネ。

本が1冊増えると、わくわくします♪

幸せなドビュッシー

2009年11月04日 | 音楽
少し前、音楽之友社の作曲家◎人と作品シリーズ
『ドビュッシー』を読みました。

このシリーズは、著者が日本人のためか、
とてもわかりやすくて好きです。

この本のおかげで、
それまで、よくわからなかったドビュッシーの人物像が、
私なりに、少しは把握できたように思います。


クロード・アシル・ドビュッシーで知られていますが、
もともとは、アシル・クロード・ドビュッシーだったのですね。

心機一転のため、ファースト・ネームを、
意識的にクロードにしたそうです。

この頃、ピアノ曲も書き始めたのだとか。

「二つのアラベスク」や「夢」、「ロマンティックなワルツ」
などは、この頃、書かれた作品。

音楽よりも金銭的な目的のために、
作品を書いては売っていたみたいです。

2つの出版社へ
“うっかり”二重売りもしてしまったこともあるそうですね。

ドビュッシーに余裕があったなら、
この頃の作品も、もっと良い条件で売れたかもしれないのに、
なんだかもったいない気がします。

ドビュッシーの初期の作品の多くは、
現代人の心にも響いて生き続けているのですから。


ドビュッシーは、自分の気持ちに正直な人だったみたい。
好きな女性ができると、他の女性は目に入らないかのよう。

それまでお付き合いしていた女性であれ、妻であれ、
他に好きな女性ができてしまうと・・・・・。
これには、ちょっと驚きました。


もしかしたら、ドビュッシーの音楽も、
感性のままに描かれているのかな?

ドビュッシー独特の不思議な音の重なりは、
作曲時のドビュッシーの気持ちが、そのまま音符になっている?


ドビュッシーの人生は、幸せだったと思います。

よりドラマティックにしたのは、ドビュッシー自身ですが、
常に、誰かがそばにいたことは確かみたいですから。

何よりも、
近しい人たちに手を取られながら、静かに息を引き取った、
ということ。

そして今も、
ドビュッシー本人が希望したとおり、
パッシーにある墓地に眠っているということ。

クリスマスに聴くのは?

2009年09月27日 | 音楽
先日、友人たちと、おしゃべりしているとき、
クリスマス・シーズンのコンサートの話題になりました。

クリスマス・シーズン。
コンサートに行くなら、どんなプログラムが良いですか?

ベートーヴェンの第九?
それとも?

こちらでは「メサイア」が人気でした。
私も、第九よりメサイアがいいな~♪

あなたは?


ちょっと気が早いかもしれませんが、
今年は、どんなクリスマスにしましょうか?

「器の大きなピアニスト」とは?

2009年07月21日 | 音楽
7月2日の「クローズアップ現代」で放送されました

  心癒やす “至福”の旋律
  ~ピアニスト・辻井伸行~

興味があったのに見損ねてしまった方は、
内容が、とっても気になりますよね?

ということで、私なりに、まとめてみたのですが、
かなりの長さになったため、記事を2本に分けました。

  ・ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール審査員のお話
  ・辻井さんの恩師であるピアニスト・川上昌裕氏のお話
  ・ピアニスト・加古隆氏のお話
  ・ドイツ・ドルトムント音楽祭での辻井さん

については、「辻井伸行さん in ドイツ」をご覧くださいね。


書ききれなかったスタジオでのトーク部分を、
以下にまとめてみました。


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♪ 出演者
…………………………………………………………………

 ・ピアニスト    辻井 伸行 (つじい のぶゆき)

 ・神奈川フィルハーモニー管弦楽団
  常任指揮者  金 聖響 (きむ せいきょう)

 ・キャスター    国谷 裕子 (くにや ひろこ)


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♪ インタビュー & トーク (抜粋)
…………………………………………………………………

 辻井さん

  (ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでは)
  自分が勝ち進むに従って、アメリカの聴衆の方たちは、
  僕が出て行くと、大きな拍手で迎えてくれたので、
  リラックスして弾くことができました。

  ドイツは音楽が盛んで、
  聴衆は、みなさん耳が肥えていらっしゃる方たちばかりで、
  すごく緊張しました。

  (ドイツの聴衆からは)「音楽を聴くぞー!」という姿勢が
  感じられてそういう空気がひしひしと伝わってきて、
  すごく緊張したので、
  ピアノを吹いて、気持ちを落ち着かせました。

  コンクール優勝後ということもありましたので、
  クオリティの高い演奏をしなければならないと思いました。



 金さん

  優勝すると、自分は変わらないのに、
  周りの反応とか対応の仕方とかが変わるし、期待もされます。

  辻井くんの場合、日本中が沸きましたからね。
  その分、プレッシャーとか、目に見えないいろいろなものを
  背中にしょっているんじゃないかと思います。

  ドイツで感じたように、厳しい耳を持った聴衆にさらされる。
  その繰り返しの中で、すごい勢いで伸びていくんじゃないか
  と期待しています。



 国谷キャスター

  「器の大きなピアニスト」とは、
  具体的に、どんなピアニストですか?



 辻井さん

  特に海外では、ホールやピアノが
  条件の良いところばかりとは限らないので、
  どんな所でも対応できて、お客さんを納得させる
  演奏をしていきたいなと思っています。

  

 国谷キャスター

  今の自分が抱えている課題を、
  どのように考えていますか?



 辻井さん

  まだまだ勉強不足で。
  表現力とか、音楽以外のことも勉強して、
  立派なピアニストになっていきたいと思います。



 金さん

  辻井くんの場合、楽器との一体感が、
  音だけでなく、楽器との接点の持ち方が、本当にすごい!

  これから厳しい環境におかれるので、
  課題も容赦なく来るでしょう。

  それは、期待の大きさでもあり、
  求められていることでもあり。

  コンクールに優勝したことにより、
  ハードルが上がってくるので、
  とにかく一つ一つこなしていくという気持ちでしょう。

  今までと同じで、一生懸命やっていく中で学んで、
  伸びていくということが、自然にできるようになると。



 国谷キャスター

  「辻井さんの、これが聴きたい!」とは、
  具体的にどういうことですか?



 辻井さん

  たとえば、ショパンは好きな作曲家で、
  来年はショパン・イヤーなので、
  ショパンの作品を次々に録音したり、
  コンサートでも取り上げていきたいと思っています。

  将来的には、まだ手をつけていない作曲家も勉強していきたい。

  「この作曲家なら辻井だ!」と言われるように、
  1人の作曲家を掘り下げていきたいです。


辻井伸行さん in ドイツ

2009年07月14日 | 音楽
7月2日の「クローズアップ現代」で放送されました

  心癒やす “至福”の旋律
  ~ピアニスト・辻井伸行~

興味があったのに見損ねてしまった方は、
内容が、とっても気になりますよね?

ということで、私なりに、まとめてみたのですが、
かなりの長さになってしまいました。

最後のスタジオでのトーク部分は、
また改めて、別記事で公開しますね。


…………………………………………………………………
♪ オープニング
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 まるで森の中かと思いたくなるような
 そんな映像と照明の効果の中。

 辻井さんが奏でる
   ショパン エチュード 作品10-4
 冒頭部分。

 演奏は、途中でフェイドアウトされて・・・


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♪ 審査員は語る
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 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。
 今回の審査員の1人に、ご自宅でのインタビュー。

 実際にコンクールで使った審査員の公式ノートを
 見せてもらいました。

 ノートは、1人の演奏者につき1ページを使って、
 批評を書き込んで、点数をつけるのがルール。

 しかし、この審査員のノートを見ると、
 辻井さんのページに書いてあったのは、
 曲目と作曲家名のみです。

 コンクールのときのことを、審査員は語ります。

 「彼の演奏が始まると、
  私は思わずノートを閉じてしまいました。

  手をひざにのせ、すっかり聴き入ってしまったのです」


 さらに、審査員は続けます。

 「最近、テクニックに頼る演奏家が多い中、
  辻井さんには新鮮さを感じました」

 「若いピアニストは、極端に音を大きくしたり、
  速く弾こうとする傾向があります。

  でも彼は、まったく、そんなことはしなかった」

 「左手で安定した音を出しながら、
  右手では歌うような演奏ができる、
  世界でも数少ないピアニストの1人です」


 辻井さんの飾り気のない素直な演奏は、
 審査員全員の胸に、深く響いたのでした。


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♪ 恩師は語る
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 ピアニストの川上昌裕氏は、
 辻井さんが6歳の頃から12年間、指導してきました。

 川上氏は、辻井さんのために、
 左手と右手、それぞれを、カセットテープに録音しました。

    そのようにして録音した曲の数は、
    100を超えています。

 辻井さんは、そのテープを聴いて、
 左手で弾く音と、右手で弾く音を、別々に覚えました。

 左手と右手、それぞれが奏でる音の重要性を理解してきたこと。
 それが、現在の心地よい表現につながっているのでしょう。


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♪ ピアニストの視点から
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 作曲家でありピアニストの加古隆氏は、
 辻井さんの腕や体の動かし方に注目しています。

 「鍵盤をたたいた後、絶妙のタイミングで力を抜いて、
  弱い音を美しく響かせている」

 「演奏している姿を見ても、とっても体が流れているし、
  力でかたまったり、どんな場合でも、かたくなって
  ピアノをたたきつけるような、そういうことはない」

 「美しい音、美しい響きというのは、
  それだけで、人の心をふるわせることができると思う」


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♪ ドイツのドルトムントにて
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 国際コンクールで優勝してから、3週間。

 クラシック音楽の本場、ヨーロッパのドイツ。
 さっそく世界への第一歩を踏み出します。

 辻井さんは、繰り返し語ります。

 「優勝はスタートライン。
  腕を磨いて、器の大きな立派なピアニストになりたい」


 ドイツでは、ほとんど名前を知られていない辻井さん。
 そんな辻井さんに用意されたコンサート会場は、
 オフィスビルの一角にある多目的ホール。

 リハーサルに臨む辻井さんは、
 いつもと違う雰囲気と、会場の小ささを、
 すぐに感じ取りました。

 また、実際にピアノを弾いてみると、
 音が響かないなど、なかなか調子がつかめない様子。


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♪ 音楽祭、当日
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 辻井さんのチケットは、24ユーロ(約3千円)で、
 この音楽祭に招かれた音楽家の中では、
 もっとも安い価格でした。

 コンサート当日。
 会場に来た人たちにインタビューしてみると・・・

  「急に来られなくなった友だちから、
   チケットをもらったのよ。
   大して期待していないわ」

  「満足できる演奏じゃなかっったら、
   (途中で)帰るつもりよ」

 と、厳しいコメントばかり。


 評価の厳しいドイツの観客を満足させることができるのか?
 辻井さんのプロとしての今後を左右する正念場です。

 独特の緊張感を覚えつつも、辻井さんは決心して、
 「行ってきます」と言って、ステージへ出て行きました。


 辻井さんは、おじぎをして、ピアノの前に座りましたが、
 何回も座り直したり、鍵盤をハンカチで拭くなどして、
 なかなか弾き始めることができません。

    空気がシンとしていて、
    厳しい目で見られているなと感じたので、
    失敗は許されないと思った。

 そして、いよいよ鍵盤に指が乗り、演奏が始まりました。
 最初の曲は、辻井さんがもっとも得意とする
   ショパン エチュード 作品10
 です。

 演奏が進むにつれて、観客の表情が変わり始めました。
 (きっと、それは空気となって、辻井さんにも伝わったのでしょう)

 音楽に合わせて、頭を動かしたり。
 思わず感嘆の声をあげそうになったり。

 アンコール曲を含めて、
 用意していた曲をすべて弾き終わった辻井さん。

 会場は、大きな大きな拍手に包まれて。
 その拍手は鳴りやみません。

 ステージを後にした辻井さんは、
 鳴りやまない拍手に、思わず立ち止まりました。
 そして、自ら、再びステージへ。

    とにかく感動してくれてるんだってことが分かって、
    うれしかったです。

    (さらなるアンコール曲の)
    用意は特にしていなかったので、
    (ピアノの前に)行ったはいいけど、何を弾こうかなと、
    ピアノに向かってすぐに考えました。

 そして、辻井さんが弾き始めたのは、
   リスト ハンガリー狂詩曲 第2番
 でした。

 優勝したヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでは、
 一番観客を盛り上げた曲。

 最後は、スタンディング・オベーション。
 観客の心をつかんだ手応えを、辻井さんは得たことでしょう。


 2時間に及ぶコンサート。
 辻井さんは、もてる力を、すべて出し切りました。


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♪ エンディング
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 スタジオで、辻井さんの演奏。

 まるで満天の星空の下で弾いているかのような。

 曲目は、ショパンの子守歌。



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♪ 2009 年 7 月 21 日 公開記事
  「器の大きなピアニスト」とは?

ロベルト・シューマン

2009年06月08日 | 音楽
きょう6月8日は、
作曲家 ロベルト・シューマン のお誕生日です。

1810年に生まれました。
ご存じ、ロマン派を代表する作曲家のひとり。


クララとの結婚を、
クララの父親にずっと反対されていたシューマン。

しかし、1839年、シューマン29歳の誕生日には、
新たな生活を始めるための一歩を踏み出す
勇気と確信に満ちていたようです。

クララも、シューマンとの結婚を、決心したのでした。


シューマン29歳の誕生日から1カ月ほど経った
1839年7月。

シューマンは、ライプチヒの裁判所に、
クララとの正式な結婚許可を求める訴訟を起こしています。

その年の9月、クララは20歳になりました。

翌1840年。
シューマンは、初めてリートの作曲をしています。

1840年7月7日。
クララの父親であるヴィーク氏が、
シューマンへの告訴理由の証拠提出を拒否。

そのため、1840年8月12日には、
シューマンの勝訴が確定しました。

結婚式は、クララが21歳になる前日の
9月12日でした。



シューマンとは、まだお付き合いが浅い私ですが、
遊び心あるパズルやアナグラムなどを音楽に埋め込んだ、
シューマンのトリッキーな作品には、興味を抱いています。

ただ、「しかけ」を目で探し出すことよりも、
音を再現する作業の方が、私にとっては難しいのです。

1ページにも満たないシューマン作品が、
なかなか思うように弾けなくて・・・。

構造が、ぼんやりとしか見えなかった頃は、
ぼんやりとしか弾けませんでした。

一旦、挫折。

しばらくして、成り行きで、
もう一度、この短い曲を取り出してみることに。

同じことの繰り返しになるかなぁ・・・と思っていたところ、
違う景色が見えてきたのです。

ようやく、求めていた流れに、
自分がたどり着けたような気がしました。

技術は一朝一夕では無理ですが、
気長~に、少しずつ進めていくうちに、
私でも、それなりに弾けるようになれるのだと。


「こどもの情景」作品15。

シューマンが作曲し、小品集としてまとめたのは、
1838年3月のことでした。

レクイエムが似合う日

2009年04月03日 | 音楽
ブラームス作曲「ドイツ・レクイエム」。

たまに、聴きたくなることがあります。
「聞きたくなる」という方が、正しいかもしれません。

わが家にあるCDは輸入盤。
解説その他ぜんぶドイツ語なので、読めません…。

私にはわからないことも多いので、
あまり考えないことにしている、というのもありますが。

キリスト教のことも、むずかしいですし。

それでも、
シンプルに「感じる」のは良いかな~と。

以下は、7曲あるうちの最初の曲です。
よろしければ、少しだけ体感してみてくださいね。




生誕200年

2009年02月03日 | 音楽
きょう2月3日は フェリックス・メンデルスゾーン
200回目のお誕生日です。

メンデルスゾーンて、どんな人?

ヤコブ・ルードヴィッヒ・フェリックス・メンデルスゾーン
は、1809年、ドイツのハンブルクで生まれました。

「フェリックス」は、ラテン語で「幸せな」という意味。

メンデルスゾーン家は、教養ある裕福な家庭です。

フェリックスの祖父、モーゼス・メンデルスゾーンは、
著名なユダヤ教の哲学者で、
「ドイツのソクラテス」と呼ばれているそうです。

またモーゼスは、一家で銀行を創設し、
それをフェリックスの父親アブラハムが引き継ぎました。

フェリックスの母親レーア・サロモンは、
ベルリン出身で、ユダヤ系の資産家の娘。
音楽家であり、複数の言語を話したそうです。

母親が、幼いフェリックスにピアノを教えました。

フェリックスは、そのほかに、
ヴァイオリン、ヴィオラ、和声法、絵画、外国語、文学、詩、
乗馬、体操、水泳、ダンス、チェスも習ったそうです。

1日は朝5時から始まり、終日忙しかったようです。
にもかかわらず、フェリックスは、日曜日も、
フランス語、英語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語も
学んだらしい!

フェリックス・メンデルスゾーンというと、
線が細めで、きゃしゃなイメージがあるのですが、
中身は、なんとも、たくましい。

フェリックスは、
クレメンティや、ジョン・フィールドの弟子でもあったとか。

8歳にして、
ベートーヴェンの交響曲を暗譜でピアノ演奏。

9歳で、公の場にてピアニスト・デビュー。

そして10歳にも満たないフェリックスが、
音楽家として最初に自覚したことは、
  ・過去の音楽について、よく知ること
  ・先祖が残したドイツの音楽遺産を学び、保護すること
だったそうです。

フェリックス・メンデルスゾーンが、
最も影響を受けたと思われる作曲家は、
  J.S.バッハ、ヘンデル、C.P.E.バッハ、ハイドン、
  クレメンティ、モーツァルト、ベートーヴェン、フンメル
といわれています。

プラス、スカルラッティの影響も受けているのでは、
という説もあります。

私が今練習中の「慰め op.30-3」も、
J.S.バッハのエッセンスが入っているように感じています。

私がメンデルスゾーンの音楽を覚えやすいというのも、
基本が理論的であるからかもしれません。

そうなると、たまに出現する不協和音は、
かなり意味深なものであると捉えても良いと思われます。

では、その不協和音の意味は?
と問われると、はて?

私にとっては、まだまだナゾなんですねぇ。

フェリックス・メンデルスゾーンが、
この世に生まれてきてくれて、
素敵な音楽をたくさん作ってくれて。

時空を越えて楽しむことができるのは、
とっても素敵。

フェリックス・メンデルスゾーンの存在に、
心から感謝しています。

音楽のチカラ

2009年01月21日 | 音楽
先日、高校吹奏楽部のコンサートへ行ってきました。
チケットをもらった友人からのお誘いです。

出演は3校の吹奏楽部。
3校それぞれと、3校合同による演奏でした。

現代の吹奏楽コンサートというのは、
吹奏楽の演奏だけに留まりません。

歌あり、踊りあり、その他パフォーマンスあり、で、
観客席側は、ぐいぐいと、ずっと引っ張られ通しでした。

運動部も顔負けのトレーニングをしているのではないかと、
そう思いたくなるくらい、動きは激しかったです。

「のだめ」の「R☆Sオケ」も真っ青!

どの吹奏楽部にも、コントラバスやピアノ、ハープもあり、
曲目によっては和太鼓まで加わった構成でした。

3時間という長い時間だったにもかかわらず、
アッという間に終演の時間となりました。

内から、外から、音楽とエネルギーに満ちあふれ、
私自身も音楽で満タン以上状態でした。

すご~~~く楽しかったです♪♪♪
音楽って、いいなぁ♪

いろいろな音楽のカタチがあって、
それぞれの音楽にはチカラがある。

音楽は素敵です☆

冬のイメージ

2008年12月29日 | 音楽
冬らしい澄んだ青い空をながめていたら、
「どぉ~こまで~も白~い・・」という歌詞が、
ふいに浮かんできました。

はい♪
ヴィヴァルディ「四季」より
「冬」第2楽章ラルゴのメロディに、
海野洋司さんが作詞した「白い道」です。

この「白い道」の歌詞は、
原曲とは、また違う意味を持っていると思いますが。


で、いきなりヴィヴァルディが聴きたくなりました♪

YouTubeで、「冬」の第3楽章を発見!

寒さで凍てつきそうな第1楽章。
あたたかな部屋の中を感じさせてくれるような第2楽章。

そして、第3楽章は・・・

  興味のある方は、コチラ からどうぞ♪

では、いってらっしゃいませ~。