月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

吉岡刑事物語・その14

2009年03月21日 | 小説 吉岡刑事物語





玄関のドアが開いて、
部屋の明かりもつけないまま靴を脱ぎ、
ネクタイを緩めながら短い廊下を歩き抜けて、
吉岡は薄暗いリビングへと入っていった。
捜査明け、三日ぶりに帰ってきた部屋は、
どことなしか他人行儀な空気を漂わせている。
青白いグレーの幕を張った薄闇の中で、
小さなテーブルと椅子が二脚、
窓の外から入りこむ人工質な光の中に、
ひっそりと浮かび上がっていた。
解き取ったネクタイをテーブルの上に置いて奥の寝室へと進み、
そのままベッドの上に倒れこんだ。
額に載せた手の甲の下で、閉じた両の瞼がかすかに痙攣している。
不眠不休が続いた捜査はさすがに堪え、
ひどく疲れていて、体がだるかった。
吉岡はゆっくりと呼吸を繰り返した。吐き出される息が熱い。
暗く閉ざされた視界の端に、赤いランプが点滅していた。
瞳を閉じたまま、気だるい動作で体を僅かに横に傾けながら、
右腕を伸ばしてサイドテーブルの上にある留守番電話のボタンを押した。

「俺、筒井だ」

吉岡はそっと目を開けた。

「お前の携帯にかけても繋がらないから、こっちにもかけている」

ひっそりと静まり返った部屋に、高校時代からの友人の声が響いていく。
吉岡は耳をすました。

「至急連絡がほしい。何時でもいいから、このメッセージを聞いたら
すぐに電話をしてくれ。今日は当直で俺の携帯の電源は切ってあるから、
医局の方に直接かけてくれ。必ずだ。連絡待ってる」

そこでメッセージは終わった。
吉岡は視線だけを斜め横に動かして、
電話の横に置いてあるデジタル時計を見た。
時刻は夜中の一時を既に回っていて、
とうに「何時でもいい時刻」は過ぎている。
電話の上に置かれた右手が、するりと下に滑り落ちた。
床すれすれの所でだらんと垂れ下がった右腕を、
吉岡はしばらくぼんやりと眺めていた。
開いたままのカーテンから差し込む月の光が、
しなやかに伸びた吉岡の身体と溶け合いながら、
蒼くほのめく藍色の影を白いシーツの上に落としている。
そっと繰り返される呼吸だけが、
部屋の空気をかすかに揺り動かしていた。
静かな夜だった。
吉岡は、無音の中へとゆっくりと瞳を閉じていった。
疲労しきった意識が眠りの波に引き込まれていくその間際、
胸の奥底から咳の塊が咽あがってきた。
コホコホと咳き込みはじめた咳は、
やがて窒息させてくるような激しい咳へと変わっていき、
押し寄せる呼吸の苦しさに、吉岡はシャツの胸元を思わず強く握り締めた。
ベッドカバーを掴みながら立てかけた片腕に、
咳き込む上半身をかろうじて支えながら、もう片方の手が
サイドテーブルの上の電話の受話器を手探るように必死に掴んでいく。
荒れた呼吸のまま顔を上げるとそこに時計の文字盤が目に入ってきて、
吉岡は掴んだ受話器をふっと放した。
胸を切り込んでくる痛みに堪えながら
右手でぎゅっとシーツを掴んで手繰り寄せ、
胎児のように丸まった。
そのままじっとしている内に、
発作のような激しい咳はようやく治まってきて、
吉岡は荒れた呼吸を懸命に整えながら、
ベッドの上でさらに身体を丸めた。

眠らなくちゃ・・・

眠るんだ・・・

このまま・・・深く・・・

眠って・・・

そこで携帯電話が鳴った。
公用と私用に分けてある呼び出し音だが、
いま耳に入ってきたのは前者からのものだった。
反射的に対応した吉岡の手が、
着込んだままのスーツの内ポケットから携帯を取り出し、
素早い動作で応答ボタンを押した。

「すぐ署に戻って来い。トカゲの出動だ」

吉岡が声を出す前に、山村の低い声が耳に飛んできた。

         


警視庁には、犯人追跡時に機動する、
通称「トカゲ」と呼ばれるオートバイ部隊がある。
バイクの運転技術に最も優れ、尚且つ捜査能力にも格別に秀でている、
文字通り選びぬかれた捜査員たちが、誘拐事件などが発生した際に、
緊急応援部隊要員としてまっさきに各課から駆り出されて、
犯人追跡にバイクで出動する仕組みになっている。


「ヒデ!」

警視庁本部庁舎ビル入り口への石段を足早に登りきったところで呼びかけられて、
吉岡は正面ドアへと足を進めながら後方を振り返った。
高校時代からの友人であり、警視庁詰めの新聞記者でもある萩原が、
タクシーから降りた足を吉岡へ向けて小走りにやってくる。
歩速を落とさないまま、軽く片手をあげて萩原に挨拶の返事をし、
吉岡は大玄関入り口のドアを素早く通り抜けた。

「トカゲの出番ですな」

軽口を叩きながら追いついた萩原が、
歩速を合わせて吉岡の隣に並ぶ。

「ブン屋も出番だね」

「まぁね」

「こんな時間に呼び出されるなんて、新聞記者って大変だよな」

「それは刑事のお前だって同じことだろ」

萩原は笑った。見慣れた顔の記者たちが数名、
後方から二人を駆け足に追い抜いていく。

「元裁判長が拉致されたんだって?」

何の気なしに、といった口調で萩原が吉岡に尋ねてくる。
吉岡は軽く微笑んだだけで、その質問には答えない。

「報道協定がすばやく布かれたよ。第一お前を叩いたって
ミクロの塵すら出てこないこないことは百も承知ですよ、秀隆くん」

「ごめん」

「友情は手段じゃない、がお前の信念なんだ、それでいいさ」

二人は大ロビーを大股で闊歩しながら突っ切っていく。
そういえばさ、と軽い調子で話題を変えた萩原は、

「お前が単独で追っている例の件なんだけど」

次に声のトーンを落として言った。
ちょっと面白いことを耳にしてさ、と言葉を繋ぎながら、
萩原は更に声を落とした。

「お前に話しておきたいことなんだ」

吉岡は足早に歩きつづけながら、
うん、と自身も低い声で頷いた。

「わかった。ありがと」

二人はゆるい螺旋を描く中央階段口へと辿り着き、
萩原は歩みを緩めないまま一段飛びにそこを駆け上がっていった。
吉岡は地下駐車場へと続く階段を下りていく。
そうだヒデ、と途中で萩原に再び呼び止められて、
吉岡は階段を駆け降りながら上方を見上げた。
手摺に上半身を凭れかけさせて、
階下を覗き込むような格好をしている萩原の姿が目に入る。

「筒井から何度も連絡があってさ、お前を署で見つけたら、
引き摺ってでも病院に連れ来いって言われてんだ、俺」

階段を降りる吉岡の足がふと止まった。
その顔に、推し量るような表情がゆっくりと浮かんでいく。

「ヒデ、お前、大丈夫なのか? 顔色がすごく悪いぞ」

懸念を含んだ萩原の声がロビーに響き、
吉岡は一瞬言葉に詰まったような表情で口を噤んだあと、

「大丈夫だよ」

といって明るく笑った。

「ちょっと寝不足気味なんだ。筒井には後で連絡するよ」

それからそう言って、じゃぁ、と萩原に向かって片手を上げると、
階段を一気に駆け下りていった。
その姿が視界の外に消えるまで、
萩原は気がかりそうに吉岡の背中を目で追っていた。






つづく

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2 コメント

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吉岡刑事、大丈夫? (まーしゃ)
2009-05-11 15:23:56
筒井とか萩原とか、どこかで聞いたことある名前が出てきましたね!
もしかして、永堀という名前の友人もいたりして・・・。

風子さん、「トカゲ」なんて専門用語、
よくご存知なんですねぇ!
私は初めて聞きました。

吉岡刑事の体調が気になりますね。
本当に、ちゃんと後で筒井に連絡するんだろうか??
返信する
吉岡刑事は・・・・・ (風子)
2009-05-12 05:25:04

んっふっふ~。
そうなのですの、そうなのですの、まーしゃさん。
どこかで  となりながら聞いていた名前たち・・・
んは

>もしかして、永堀という名前の友人もいたりして・・・

あ、・・・・・・・・・・、えへ。

父さん、
彼はいづこへ?


「トカゲ」のことなのでぃすが、
以前読んだノンフィクションの本のなかに
「トカゲ部隊」のことが書かれてありまして、
そりでたまたま知りますたでぃす♪
かっちょええですよね~、トカゲ部隊って。


ところで吉岡刑事の体は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
細くてツボ。
ハッ、そうではなくてっ、そうなのでぃす、
大丈夫なのでましょうか・・・・・。
自分で書いていながら、もうどうしてええのか・・・・。
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