今日のタイトルに厭世的なことを感じられたら、それは申し訳ありません。
そうではなく、むしろだからこそ精一杯生きるという意味のつもりだ。
それは、映画監督の実相寺昭雄氏のこんな言葉から。
◆「どうせ死ぬんだから」
これは、氏が奥さんの一言で気づいたことだという。
氏はそれまで、別にコレクションをしている訳ではないのに、使いもしない物が身近に溢れていたそうだ。
無駄な物が溜まる。
すると妙なブランド志向が芽生え、物に捉われはじめてしまう。
後生大事に高級酒やら、時計やら、装飾品を愛でる様にさえなる。
機械ものも、次々に店頭に並ぶ新品に心を奪われる。
完全にモノに振り回される生活だ。
だが、奥さんの一言で気づいたのだ。
モノやお金をかかえて、冥土に旅をするわけじゃない。
とっておいたり、集めたりしても仕様がないのだ。
生きているうちに、呑んだり使ったりすべきなのだ。
ブランドに身を飾ったり、使いもしない物をサイドボードに並べておくのは、ムダでしかない。
それよりも、一片の雲に目を慰め、一陣の風に頬撫でられる方がどれほどましか。
いまある酒は、全部空にしてからあの世に行こうと考えたら、妙にすがすがしくなった。
→なるほど、そういう思いは傍から見ても小気味よいですね。
おいらも、ささやかな蓄えを景気よく使ってみるかな・・