つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

ひらめき

2022-12-26 06:48:25 | 日記
作家の八木龍平氏の著作からだ。
生活の中で、ひらめきに助けられることは多い。
そんな気づきやひらめきというものは、ただなんとなくの生活に降りてくるものではないそうだ。
そのためには、意図的にこういうことを行うといいと言う。
それが得られるならば、しっかりと身につけたいものだ。

◆ゆったりとした時間がもたらすもの
 「歩く、温泉、神社参拝」が、いいそうだ。
 ひらめきや気づきを得るためには、リラックスすることが必要で、それはこれらで得られるそうだ。
 まず歩く、それはある意味瞑想状態なのだそうだ。
 つまりは、自分を客観的に眺めらるということらしい。
 そして温泉は、究極のリラックスで、日本文学の代表的な作品の多くが生まれている。
 夏目漱石の道後温泉、川端康成の湯ケ島温泉、泉鏡花の辰口温泉、宮沢賢治の大沢温泉など数多くある。
 まあなかには、湯治目的もあったのかもしれないが。
 
 たしかに、温泉に浸かれば心はゆるんで、ひらめくこともあるのだろうな。
 そしてそれは、おいらの大好きなことでもある。
 好きが役に立つならば、こんな有難いことはない。
 そして神社参拝だが、参道を歩いて瞑想、祈っても瞑想で、歴史上の人物や政治家・経営者の多くが通った道だ。
 前述の三つのぼんやりとした状態から、集中して何かを目指して動き出せば、直感が働くものらしい。
 いろいろと書き連ねたが、「温泉」が役に立つということでいいのだろう。

 →温泉最高でいいですよね。
  そしてそれは、意外に地域の公衆浴場にあるものです。
  ありきたりの温泉懐石料理から脱却して、本当の温泉+αとしたいものです。
 

 
 
 
 


魔法の杖

2022-12-25 06:38:39 | 日記
BMWのトップセールスマンの飯尾昭夫さんという方が、こんなことを語っていた。
彼は4年連続でトップセールスを続けていたが、それでも9000件の商談をして、2400台の販売だったそうだ。
4件に1件の販売という事で、残りの75%の人達は、おそらくは他社で購入したわけだ。
そこで気づいたこととは。

◆営業に魔法の杖はない
 当時は営業優先で、メカニック部門は従の存在だった。
 トップセールスの私の顧客の修理点検は最優先、それでも私は不満だった。
 もっと早くできないのか、なぜ出来ないのだ等々・・・
 だが、メカニックマネージャーの涙を見て、やっと気づいたのです。

 セールスの責任は全て私の責任なのです。
 商品のせいでも価格のせいでもメカニックのせいでもないのです。
 そんな他責の態度は、自分の未熟さを認めているのと同じです。
 営業マンが一生懸命にやれば、商品は輝き売れるはずです。
 謙虚であれば、いい仕事ができると思います。
 少しばかりの成功で、俺が俺がと声を挙げればそれは傲慢です。
 多くの方々の協力があって、始めてクルマは売れるのです。
 
 そして、営業には、こうやれば絶対に売れるという魔法の杖なるものはありません。
 すべては、自分の努力次第だと考えます。

 →日本と違い欧米ではセールスマンの社会的地位が高く、マネジメント階層よりも多くの収入を得るらしいです。
  たしかに、モノを販売するためには自分の全人格を動員しなければならないのでしょうね。
  そんな方々は、尊敬に値します。
 

健康の有難さ

2022-12-24 06:54:45 | 日記
生きていく上で、生活していく上で、健康が大事なのはいうまでもない。
だがそうは言うものの、人々は日々それほど健康を重要視はしていないようだ。
ジッドは、その著作の中でこう言っている。
「目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいるのだ。」
その通りで、万一目が見えなくなれば、この世界が全てなくなるような不幸を感じるに違いない。

◆健康な時にこそ健康の有難さを感じるべき
 たしかに健康というものは不思議なものだ。
 健康なときには、特に幸福とも思わないし、ただ健康なだけでは人生に満足はできないものだ。
 ところが、いったん健康を失うと、健康ほど欲しいものはなくなる。
 健康を取り戻せるならば、すべてを差し出しても良いと思うほどに。
 歩けるだけで幸福を感じる人はいないと思う。
 だが、いったん歩けなくなった後に、歩けるようになればどれほどの幸福を感じるものか。
 そういう幸福を、失う前にしっかりと噛み締めて生きたいものだ。

 15世紀イタリアフィレンツェ政治家のロレンツォ・デ・メディチもこう言っていたな。
 「人はいつ死ぬかわからない。
  朝起きて、今日も命があったと思う。
  だからこそ、今日を、精一杯生きるのだ。」

 →おそらくそれは、数多の先人・賢人が揃って説く「感謝」に通ずるんでしょうね。
 

暇つぶし

2022-12-23 06:38:46 | 日記
ひろゆき氏の発言はなかなかユニークで、その中にはうんうんそうだよねと感ずるものも多い。
そして今日は、その中でこんな言葉。

人生というのは死ぬまでの暇つぶしです
 最初はそこまで言うかと思った。
 だがよくよく話を聞いて自分でも考えてみれば、そういうものかもしれないと思えてくる。
 
 「生きる意味は何か」と考え続けている人もいる。
 だが野生動物に生きる意味があるのかと問えば、それは種の保存ぐらいしか思いつかない。
 それなのに、なぜ人間だけに生きる意味を見出さねばならないのか。
 僕は(ひろゆき氏)は、人生というのは死ぬまでの暇つぶしだと思っています。
 80歳か若しかするとそれ以降まで、暇な時間をいかに楽しく過ごすかです。
 時間をつぶして楽しめる者を見つけた人は、わりと人生を楽しめます。
 趣味や美味しい食事の時間を多めにとるのもいいでしょう。

 人類の未来を切り開くような有能な方は別ですが、それ以外の人は楽しく生きればいいと思います。
 ちなみに暇な時間の大部分は、自分単独で幸せになれることに費やすのがいいです。
 買い物でお金を使うならば、時間を使って稼がねばなりませんね。
 他人と係るならば、相手も暇じゃないといけません。
 だから自分の幸せの基準って、お金や人に依存しない自分だけの幸せをみつけられるかどうかじゃないのかな。

 →異論もあるのでしょうが、そういう考えもアリなんでしょうね。
 

秋の夕暮れ

2022-12-22 06:58:31 | 日記
寒波が訪れて急に寒くなったので、季節はもう秋という感じではなく冬となってしまった。
だがそんな秋は物思いにふけるにはいい季節で、先人もそんな感覚があったのだろうなと思う。
良選法師の句だ。

さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
 ここで言う宿とは恐らくは、旅館の類ではなく自らの住む庵(いおり)なのだろう。
 だから、無性に寂しくなって家を飛び出してはみたものの、どこに行っても寂しい秋の夕暮れでしかなかったのだろうな。
 それは自分の気持ちも、見える情景も同様に寂しかったということなんだと感ずる。
 孤独は人を強くはするが、ときにはそれに負けてしまうような感覚にもなるのかも。

 この「ながむれば」という言葉にも惹かれる。
 ただ見るだけではなく、なんとなくぼんやりと見ているのだろう。
 法師ほどであっても、やはり自身の寂しさは感ずるものであり、葉が落ちた木や枯れた草を見て改めて空虚感が迫ったのだろうな。
 だからおいらが、同じように寂しさを感じても、なにも卑下することなく堂々とそんな感傷に浸ればいいのかも。
 そこから生まれる感性や発想やひらめきもあるかもしれないな。
 留意することは一つだ。
 寂しさに負けないこと、それだけだな。
 同化したり越えたりすれば、そこから何かが生まれるかもしれないから。