オダサガ(小田急相模原)には、駅から国立病院まで真っ直ぐに続く「病院通り」があります。

かつては、病院までバスが走っていました。
現在では、その距離が1000mであることからサウザンロードと命名されています。

現在の国立病院機構相模原病院は、国立病院として全国一の敷地面積ですが、戦中に陸軍病院として建てられたためにかつては広大な敷地がありました。
敷地内には、野球場やプール、独立した感染病棟、そして野外の遺体処理場までありました。
私は、その感染病棟とゴミ捨て場の跡地に建てられた相模台中学校の一期生です。
体育の時間は校庭のゴミ拾いで、注射筒や血液のつまったチューブなどを拾い集めていました。
遺体処理場は、子供の時にはお線香が漂っていたから戦後も使用されていたようです。
今は公園となり、桜の季節はその場所の上でお花見しています。
ここが病院通りから自宅へ曲がる路地です。

オダサガの道路の狭さは世田谷並み。

セットバックしてくれて、この電柱がなくなると助かります。

かつては、病院までバスが走っていました。
現在では、その距離が1000mであることからサウザンロードと命名されています。

現在の国立病院機構相模原病院は、国立病院として全国一の敷地面積ですが、戦中に陸軍病院として建てられたためにかつては広大な敷地がありました。
敷地内には、野球場やプール、独立した感染病棟、そして野外の遺体処理場までありました。
私は、その感染病棟とゴミ捨て場の跡地に建てられた相模台中学校の一期生です。
体育の時間は校庭のゴミ拾いで、注射筒や血液のつまったチューブなどを拾い集めていました。
遺体処理場は、子供の時にはお線香が漂っていたから戦後も使用されていたようです。
今は公園となり、桜の季節はその場所の上でお花見しています。
ここが病院通りから自宅へ曲がる路地です。

オダサガの道路の狭さは世田谷並み。

セットバックしてくれて、この電柱がなくなると助かります。