ふくしまきずな物語プラス佳作 相馬市向陽中学校3年 渡辺梨夏さんの作品
「塩」
二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、当時小学六年生だった私は友達と下校中に、地震に遭った。
大きく揺れ屋根瓦が落ちてきた。恐怖を感じた私達は、学校へ引き返した。
学校のグラウンドには全校児童が集められていて津波が来るという放送が入った。
保護者が迎えに来ている人は帰っていく。私このまま学校にいるしかないのだと思った。
地震が来てから三十分くらい経ったころに当時二十歳だった兄が迎えに来てくれた。
走って母が待つ家まで帰った。消防車が「津波が来ているから避難しなさい」と危険を知らせて行った。
母と兄と私は車に乗って高い場所へ逃げた。でも、その逃げた場所は情報が何も入らないところであった。
だから、一旦家に帰ることにした。家までもう少しのところで警察に
「これ以上先に進んではいけない」と、言われ家には帰れなかった。
避難所へ行った。中には沢山の人がいて床が見えないほどだった。
避難所のテレビを見てやっと私は危険を感じた。
水も電気も充分に使えないし、食料もない。その日の夜は何も食べることが出来なかった。
次の日のお昼におにぎりが配られた。ラップに包まれた何もついていない真っ白なおにぎり。
正直、美味しくなかった。
その次の日も真っ白なおにぎりが配られた。またあのおにぎりかと思って渋々食べた。
「おいしい。お母さん今日のおにぎりおいしい。塩がふってあるよ」と私は泣きながら食べた。
今は何事も無かったように私たちは毎日、学校へ行き勉強をして、給食を食べ部活もしている。
大人達は会社へ行き仕事をしている。
大震災ではあったが皆で協力して助け合うことで人々との間に絆が生まれた。
このきずなで私たちはいろいろな人と繋がっている。とても頼もしい綱である。
そして、私はあの塩がふってあったおにぎりの味が忘れられない。
あの当時の避難しなければならなくなった時の不安感や焦燥感
避難所での不安感や絶望感そして脱力感
わずか数日の間に一気に老け込むような気がした。
南相馬市に帰ってきて立ち上がるまで困難な日が続いたが、
多くの人に支えて頂き、みんなで協力し合うことで絆が深まった。そして今は無事に普通の生活を送れるまでになっている。
俺も避難先の埼玉から暗い自宅へ帰ってきて不安でどうしようもなかったとき、
自分で作った米が無事で炊き立てのご飯を食べた時のおいしさ、気が抜けるような安堵感は忘れられない。
もうあの炊き立てのご飯の味には巡り合えないのかもしれないね。