昨日の午後5時18分頃、緊急エリアメールの激しい警告音が鳴り響いた直後に激しい揺れが始まった。
三陸沖を震源とするマグニチュード7.5の地震。南相馬市は震度4であった。
久し振りの激しい揺れに、誰もがあの3.11の恐怖と緊張を思い出したと思います。
俺はちょうど車を運転して忘年会へ向かう途中だった。地震の情報が入ってこないので車を止めてテレビで情報を確認した。
震源地に近い宮城県では震度5弱を記録し津波警報が出されていた。NHKのアナウンサーは「命を最優先にしてください。東日本大震災を思い出してください。」と切迫した口調で繰り返し呼び掛けていた。東日本大震災の大津波を経験してから呼びかけ方も変わったようですね。緊迫感が伝わってきました。
忘年会の幹事をしているが、会社が心配なので状況を確認しようと会社へ向かった。でも、津波注意報が出ているため海へ向かう道路は閉鎖されていた。電話をかけてもなかなかつながらない。震度4の地震では会社への被害はないだろう、津波も予想50cmでは大丈夫だろうと自己判断し忘年会へ向かった。
市内の防災無線のサイレンは繰り返し鳴り響いている。
今日の忘年会は会社の職場の忘年会である。こんな状況で酒を飲んでていいんだろうか?不安な気持ちのまま会場へ着くとすでにみんなが集まっていた。俺が遅れているので電話をかけ続けていたがつながらなかったらしい。会社へ連絡がついて話ができた状況を聞くと。すでに運転を停止し、車も全て高台に避難し待機していると言うことだった。「安心して飲んでくださいと言われました。」と報告されて安心した。
そういえばあの日も金曜日だった。寒くて雪がちらつく中、津波の塩水に使った濡れた足で暗い中を歩いて帰ってきたのを思い出しました。地震の激しい揺れには慣れきっているが、「津波警報」と聞くと身体がなんか不安になる。やはりあの光景が頭から離れないんだろうと思う。
忘年会の席上でもやはりあの時の話が続いた。聞くとみんないつでも避難できるように荷物をまとめているらしい。忘年会に来る前に車に荷物を積んできたと言っていた。
ところが俺は避難準備をもう忘れていた。
災害は忘れたころにやってくる。だから常日頃から訓練や災害への備えが必用なんですね。あれから1年9ヶ月しかたっていないのにもう安心しきっていた自分が恥ずかしかった。
事故を起こした原発から自宅まで約21kmしかない。今度大規模な地震が発生したら崩壊するかもしれない原発の事を考えたら、いつでも避難できるように考えていなければならない。
充分な備えや経験があれば、大災害が発生したとき自分や家族や地域の人の命を救うことができるかもしれない。そのためには常日頃の災害への備えについての点検が必要だと思う。
人間は忘れやすい動物だ。東日本大震災から間もなく1年9ヶ月。昨日の大きな揺れはあの大災害を再認識させてくれる天からの警告だったのかもしれない。
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