いよいよ今週末の土曜日から相馬野馬追祭。
今年も相馬に暑い・熱い・篤い夏が南相馬にやって来ます!!
南相馬市のHPから紹介
一千有余年の昔、
相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、
敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられ、
現在では、毎年7月末の土曜日・日曜日・月曜日、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、
背に旗指物をつけて疾走する豪華絢爛で勇壮な戦国絵巻を繰り広げる。
今年の予定は、
7月23日(土) 宵祭り
出陣式
出陣式は、相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社の相馬三妙見神社で執り行われ、
御本陣である主会場の雲雀ヶ原祭場地(南相馬市原町区)へ出陣します。
総大将お迎え
北郷の陣屋では、副大将を中心に、侍大将、副軍師がそろい、
軍者をはじめとする各役付武者や螺役などが整列して総大将をお迎えします。
総大将訓示の後、御本陣である雲雀ヶ原祭場地に進軍します。
宵乗り
熱気あふれる古式競馬の再現
馬場清めの儀式が相馬太田神社宮司によって行われ、
螺役が全山に鳴り響くと、白鉢巻に野袴・陣羽織といういでたちで、いななく馬にまたがり、宵乗り競馬が開始される。
騎馬武者達による古式馬具をつけて、一周千メートルの馬場を走る競馬は荒々しく、古式再現の熱気が伝わってくる。
夜は、南相馬市原町区駅前通りを会場に盆踊りパレードが行われます。
7月24日(日) 本祭り
お行列
夏空にとどろく花火を合図に、三番螺、陣太鼓が鳴り響き、出発を告げる。
相馬太田神社に供奉する中ノ郷勢を先頭に、相馬小高神社(小高・標葉郷勢)、相馬中村神社(宇多・北郷勢)の順に総勢五百余騎。
総大将、執行委員長、軍師、郷大将、侍大将、軍者、組頭、螺役長・・・などの役付騎馬が整然と駒を進める。
行列は陣螺・陣太鼓の合図により時に止まり、時に前進して隊列を整えながら、約三キロメートル先の御本陣雲雀ヶ原の祭場地へ。
騎馬武者全員が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗差物を風になびかせながらの威風堂々にして豪華絢爛な戦国絵巻は、
まさに天下無比の圧巻であり、文化財的逸品が揃う「お行列」は動く文化財展として好事家に野馬追をもう一度見たいと言わせる所以である。
甲冑競馬
祭場地に到着した行列は、神輿を御本陣に安置し、式典を挙行。
しばしの休憩をとった後に、勇壮な甲冑競馬が行われる。
甲冑競馬の開始を告げる螺の音。
若武者たちは兜を脱ぎ、白鉢巻をしめる。駿足に自信のある馬にまたがり、先祖伝来の旗差物をなびかせながら風を切って疾走する。
この甲冑競馬は、一周千メートル、十頭立てで十回行われる。
指旗のはためく音、鎧、草摺の摺りあう音・・・。
渾然となった音のかたまりが、砂塵が舞う中を走り抜ける。迫力と感動のシーンだ。
神旗争奪戦
山上の本陣から陣螺が鳴り戦闘開始の合図を告げると
、騎馬武者達は馬を駆し、雲雀ヶ原に格好の場求めてたむろする。
陣螺が鳴り終え、空中に炸裂した花火の中から二本の御神旗がゆっくりと舞い下りると、
数百の騎馬は一斉にその方向へ。旗の下に群がり、鞭を振りかざしての奪い合いは、抜刀こそないが、まさに戦闘さながらである。
御神旗をとった騎馬武者は高々と誇らしげに旗をかかげながら、本陣山の羊腸の坂を一気に駆け上る。
この時のどよめきと喝采は、旗を得た者の最高の栄誉だ。
こうして花火二十発・御神旗四十本が打ち上げられ、そのたびに旗の波が揺れ動く光景は一幅の戦国絵巻をも彷彿させる。
詳しくは、相馬野馬追執行委員会公式HPをご覧ください。
昔、騎馬行列が雲雀ヶ原祭場地より小高の地へ帰るころ、
住民が沿道に松明や提灯をかざして慰労の意を表したのが始まりという「火の祭」
今年は避難区域が解除されたことから6年ぶりに正式に復活します。
7月25日(月) 野馬懸
騎馬武者が馬を小高神社境内に追い込むところから行事が始まる。
馬を素手で捕らえるのは、御小人とよばれる数十人の若者たち。
小高神社神官のお祓いを受け、白鉢巻・白装束といういでたちで荒れ狂う馬の群れに飛び込む。
屈強そうな馬に御神水に浸した「駒とり竿」で印をつけ、この馬を御小人総がかりで捕らえるのである。
こうして第一番に捕らえた馬は、神馬として妙見社に奉納される。
野馬懸行事をもって三日間にわたる相馬野馬追祭は幕を閉じるのである。
南相馬市HPと相馬野馬追執行委員会HPより抜粋して紹介させて頂きました。
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