福島民報新聞にふくしまきずな物語プラスで作品募集し入選した作品が掲載されている。
ふくしまきずな物語プラスはラジオ福島の「きっとずっとなかまふくしまスマイルキャラバン」の番組で
震災から現在まで、様々な形で支えてくれた人々に対する感謝のメッセージや故郷ふくしまへの思いを募集したものだそうです。
あの当時の子供たちが感じたことが伝わってきます。
ふくしまきずな物語プラス 優秀賞 「いっしょが一ばん」 南相馬市第二小学校 2年 宮原知大真君の作品
「あしたのじゅんびは、できたの。」
と、お母さんがぼくにききます。ぼくは、わすれものがないか、いそいでランドセルの中を見ます。
夜、しゅくだいをしている時は、おにいちゃんが、まちがっているところを教えてくれることもあります。
いっしょにしゅくだいをしながら、おにいちゃんと原町二小に行けてよかったなあ、といつも思います。
二年まえの大きな地しんのあと、ぼくたちは、さいたまにひなんしました。
みんなでさいたまにいるのかと思ったら、
「土よう日には、またくるからね。」
と言って、お父さんとお母さんだけ、すぐに原町にかえってしまいました。
さびしくて、なみだがぽろぽろこぼれてきました。
おばあちゃんは、
「ちゃんとかえってくるから、だいじょうぶだよ。」
と言って、ぼくの頭をなでてくれました。夜は、おにいちゃんといっしょにねました。
おにいちゃんが学校に行っている時は、おばあちゃんがかいものにつれていってくれたり、
こうえんであそんでくれたりしました。
だから、さいたまにいる時は、さびしくてもがんばることができました。
七月に原町にかえるまで、お父さんとお母さんは、土よう日にはいつもぼくたちにあいにきてくれました。
じどう車の音がして、
「ただいま。」
とかえってくると、ほっとしました。
さいたまには、原町とちがっていろいろなものがありました。
たのしいことも、たくさんありました。でも、みんなでいっしょにごはんをたべたり、
テレビを見てわらったりするほうが、ぼくはうれしいです。
今みたいに、原町でお父さんとお母さん、
おにいちゃんたちみんないっしょにいられるのが、一ばんいいです。
家族と離ればなれにならなければならなかった両親の辛さ、大変さも実感できます
本当はまだまだ子供たちを避難させておきたい
でも、毎週交通の不便な南相馬市から埼玉県まで通う辛さや子供たちを心配しながらの毎日に比べたら
放射能の不安はあっても一緒に生活する道を選んだんでしょう
子供たちの事を考えて南相馬市から離れた人
子供たちの事を考えて南相馬市に戻ってきた人
今も大きな決断を迫られている人たちが多くいます
みんな共通することは子供たちといっしょが一番なんですよね!!