恵那山を望む
数日前95歳で亡くなった祖母
39年前に祖父が急死してから彼の分まで孫達を愛してくれた祖母。その祖父の死も冬休みに会いに行って家に着くわずか1時間ほど前のことだった。まだ温かい祖父に触れた覚えがある。ZUYAさんはいわゆる“おじいちゃん子”だった。ビールの味を教えてくれたのも祖父だった。かなり小さい頃から頃から祖父の晩酌の時に横か膝の上に座りコップに1cmぐらいから与えてもらい小学生なった頃にはコップの半分は飲んでいたような
祖父が死んでからは田舎に行くと祖母と飲んだような気がする。今と違って昔は酒に大らかな社会だったから高校生の頃はもう普通に飲んでいた
ZUYAさん夫婦は結婚してから祖母を9回訪問している。お互いの祖父母で唯一生きていたのが彼女だったので。始めの数回は一緒に暮らしていた伯父の家で会ったが、そのうちデイ・ケア施設で会うようになり、体調を崩し病院での面会をしたこともあった。8回目、9回目は“終の棲家”となる特養ホームでの対面であった
今年の春の最後の回は祖母の誕生日とは知らず訪問し、祖母もこちらも両方驚きのプレゼントとなった。“また近い内に来るからね”と約束していたが、祖母の方が我々がもう訪れることの出来ない場所へ...
まさかの知らせ、しかもすでに“全て済んでいる”って...
ZUYAさんは25歳まで実家暮らしでカナダと東京で一人暮らしを始め、幸運にも縁あって嫁をもらい今では親元を離れて20年ほどになるが、やはり母親と言うものは子供の性格をしっかり把握しているようだ
よく巷で事件を起こし“あんなことをする子ではなかったのですが...”なんて言っている親がいるが、はっきり言ってやろう。こんな親は無能です。親になれなかったZUYAさんが何をほざくかと思うかもしれないが、誰かが親と言う任務にも評価を付けるべきだ。一般社会では職場に勤めたり、自分で店を持っても組織や上司から、或いはお客様から評価を受けるのだ
電車の中やスーパーの売り場で子供を野放しにするバカ親ども。もちろん子供は子供だから好奇心旺盛だし大好きなパパやママとお出掛けで嬉しいのはわかる。でもさぁ土足で座席のうえに上げさせたり、棚の商品をべたべた触り床に並べたりって...
話を戻そう
もしZUYAさんが祖母の危篤、或いは死を知ったら何を差し置いても駆け付けるであろう。母親はそれをちゃんと知っているのだ。今回の祖母の葬儀は 『 実子とその配偶者のみ 』 。つまり孫は参加できなかったのだ。全ては終わってからの知らせ...
その理由を推察することは容易なのだが余りにもプライベートな問題なのでここに記載することは控えよう。でも私や他の孫たちも色々な問題を乗り越えて決して優雅な暮らしではなくても足を地に着けて頑張って生きているのです。それは祖母がいたからでこそであり、その幸せも祖母あってのもの。その祖母が逝ってしまい最後に見送ることが認められないとは...
気持ちの整理が付かないので成人してからも心安かった叔父に手紙をしたためた。昨今はEメールやライン等の電子機器でのやり取りが当たり前だが、あえての手紙。久々の手紙、字も汚ければ誤字も多いが文字通り自分の気持ちをダイレクトに伝えられるだろうと
この手紙でもう考え込むことは止めようと思う
さて今日は久々にマブダチと会う。新しい生活の始まりとしよう~
Have A Good Day,Folks!